山の親爺 カモシカに会う
(Photo:ヒノキ人工林の中の「けもの道」を歩くカモシカ)
中央アルプス山中の急峻な森のなかから、カモシカの声が聞こえてきました。
「フィシャー フィシャー … 」
っと、断続的に聞こえてきます。
声からしてボクからの距離は、およそ150メートル。
深い緑に覆われた森の渓流を隔てた対岸なので、カモシカの姿を見つけることはできません。
しかし、カモシカの声は、何かに驚き警戒して緊張しているときに発する独特な「声」です。
森のなかで何かが起こっていることは確か、でしょう。
この声は、山中で人間と不意に出会っても出しますが、どう考えてもそこには人の気配なんてありません。
考えられることは、クマのような大型動物とカモシカがニアミスをしたことです。
カモシカの声が5~6回くらい聞こえてきたところで、岩石の落ちる音がしました。
人間の頭くらいの石が互いにぶつかりあって落ちていく、重く鈍い音です。
カモシカは緊張して啼いたあと、急斜面を駈けていったのでしょう。
そのときに、石をひづめで蹴飛ばして落としたにちがいありません。
石は、急斜面を転げ落ちているので、下に人間でもいれば危険な状況でした。
(Photo:新緑のなかからこちらをじっと見ているカモシカはまるで影絵のように自然にとけこんでいます。【矢印の先】)
山の中では、ときにはこのように思わぬ落石の危険もあり細心の注意が必要です。
しかも、150メートルという近いところでクマとカモシカがニアミスをしているなんて危険な状況にあるかもしれないのに、濃い緑に遮られていて、ボクからはまったく見えません。
でもカモシカの姿は見えなくても、声や音だけで森の中の緊張感は伝わってきます。
カモシカはこのように騒ぎますが、クマは啼きもしないし足音なんてまったくたてませんから不気味です。
こうしたことも、森からのひとつの「サイン」ですから、フィールドではこのような感覚は大切にしたいところです。
カモシカといえば、いまから半世紀も前には「幻」の動物でした。
とにかく、数が少なく、出会うだけでも大変な野生動物でした。
このため、国の特別天然記念物にも指定されて、厳重に保護されてきました。
そのカモシカに会いたくて、ボクは40年ほど前に山岳会にはいりました。
登山経験を積んでおかないと、山岳地帯でカモシカの撮影が難しいと思ったからです。
雪渓での滑落訓練やテントの設営など、なかなかに厳しい訓練を重ねてきましたが、今日ではスニーカーや下駄履きでもカモシカに出会えるようになりました。
そんなカモシカですが、今日では非常にたくさん増えてきています。
その証拠に、中央アルプスではハイマツのある高山帯から人家付近の低山帯まで、どこでもカモシカを目撃できるようになりました。
地味な動物で、いつもひっそりと単独行動をしていますが、目立たないけれども確実に生息範囲を広げています。
そのくらい、自然は確実に変化してきているのです。
クマのことを「山の親父」といいますが、ボクはカモシカが「山の親爺」に見えてなりません。
人家付近で出会うカモシカは、風貌が爺さんみたいだからです。
まさに、好々爺がどこにでもいる感じ、です。
(Photo:早春の若芽を求めて、待ちにまった春がやってきました)
(Photo:若芽を美味しそうに食べています)
(Photo:左下の草むらに小さな子供を休ませている母親。そこへ前年の子供が挨拶に来ました)
(Photo:カモシカは、夜間でも積極的に移動しながら採食をします)
山でこのようなものを見かけたらカモシカのいるサインです。
(カモシカの糞は横長の独特な形をしています)
(Photo:そしてこのように大量の糞場を設けてあって「ため糞」をしていきます)
(Photo:このように枝先が食べられていたらカモシカの食痕です。写真はウリカエデの新芽)
(Photo:春になるとカモシカの冬毛がこのように抜けて枯れ枝などにかかり、それを小鳥が巣材に使います)
(Photo:雪に付いた足跡は大きなヒヅメがついているのでわかりやすいです)
(Photo:カモシカは人工物があっても平気で行動します。カモシカのためにも山火事に気をつけましょう)
琵琶湖で船に乗り、つづら尾崎のカワウ観察をしていた時に、水辺近くにカモシカが出てきて、大感激したことがありました。
小谷山に登ると、「クマ注意」の立て看板が数多くありましたが、「カモシカ注意」の写真入り看板もあり、その写真を観て「暗い森の中でカモシカに遭遇したら、絶対クマと間違ええるだろうなあ」などと思いました。
森の中を歩く時は、日ごろから目、耳、鼻を訓練していないと面白くならないのですね。
>森の中を歩く時は、日ごろから目、耳、鼻を訓練していないと面白くならないのですね。
そうなんです。
日頃からいろんな角度で訓練しておきますと、瞬間的な直感力で何が起きているのかがわかります。
ボクは、こうした直感力を大切にしてきましたから、いまのところ事故もなく野生のいろんな仕事ができている、と思っています。