宮崎学「森の動物日記」

森と里と野生動物たちから教わった自然のメッセージ 信州・駒ヶ根在住の動物写真家宮崎学のフォトエッセイです

北海道の番屋のオヤジさん

今年の夏、久しぶりに北海道へ、ひと月半ほどの旅をしました。
目的は、恩人の墓参りでした。
若い頃から大変お世話になった漁師が亡くなっていたので、墓前に手を合わせこれまでの礼を述べるためでした。


(Photo:北海道にはこんな車で車中泊しながらの旅でした)

思い返せば24歳のとき、ボクは初めて北海道を旅しました。
まだ写真家としては、駆け出しの頃の話です。
その頃ボクは、オジロワシに出会いたいという夢があったので、迷わず釧路、根室、羅臼の知床半島まで向かったのです。
途中の「野付半島」に立ち寄ったとき、サケの定置網を入れている番屋のオヤジさんに声をかけられました。
ボクが野鳥を求め、自然を求めて旅をしていることを伝えると、「よし、気に入った、今夜から番屋に泊まれ…」と言ってくれたのです。
そのオヤジさんは、なんと番屋の網元で、従業員を15人ほど使って炊事のおばさんまで雇っていました。
布団はどっさりあり、三食付きで、一ヶ月も居候をさせてくれたのです。

網元だから、オヤジさんは親分です。
魚も賄い用にたくさんありました。
魚が好きなボクですから、それはそれは嬉しくて、番屋を拠点に道東の自然を求めて、あちらこちらへ出かけました。
ときにはオヤジさんが案内してくれたり、地域の野鳥や野生動物に出会ったときの体験を話してくれたのでずいぶんと撮影の参考になりました。

「オオジシギのことはなぁー 雷シギといって ズビヤクタマヤクジーンジーンというのだぞォー。」

「俺が子供の頃はなぁー、ヒグマが近所の牧場の牛を襲って殺し、落ち葉をかけて隠してあるのを見たぞ。
 だけどよぅ。牛の脚を一本墓標のように空に向けて立てていたんだナ。
 それを親父に話したら、『ヒグマはいったん捕まえた牛を自分の獲物として認めているから近づくでねぇーぞ。襲われるからなぁー』って言われたのでいつも遠巻きに見てたサ。
 そうしたら、毎日あの大きな牛を山のほうへ引きずっていって、隠しているんだナ。そのときも、脚を必ず墓標のように立てていた。
 あれは、やっぱり、獲物の所有権を見せていたのではないべか…?」

まだ他にも、カモメのことを「ゴメ」と呼んだり、アザラシのことを「トッカリ」だと教えてくれたり、ラッコやクジラも網に掛かることも話してくれて、日本離れした体験をしていることに、ボクもどんなにか感動したことでしょう。
そのような親分だから、野鳥の巣などもいくつも見つけてくれて、撮影もはかどりました。


(Photo:ついでに、利尻島にも出かけキャンプもしました)

このような出会いをしてから以来40年以上にわたって、オヤジさんにはずっと世話になってきました。
ボクも北海道は大好きでしたし、オヤジさんもボクが行くのを楽しみにしてくれていました。

ボクが渡道のスケジュールをあらかじめ伝えると、オヤジさんは地元の知人にいっぱい声をかけてくれてあり、到着すれば次々に情報があつまってくるといった仕組みになっていました。
ときには、町の町長さんや魚加工会社の社長さんたちも集まってくれて、たくさんの鳥や動物の情報をくれ、撮影に協力してくれました。
こうして、ボクは写真集「鷲と鷹」を出版することができたのですが、それをなによりも喜んでくれたのが番屋のオヤジさんでした。
とにかく、無名時代からずっとボクを支え続けてくれたので、ボクはやっと恩返しができたと思ったのです。


(Photo:オヤジさんの住む町には夕方になるとカラスがねぐらに帰ってきました)

そのオヤジさんも、86歳でとうとう鬼籍に入ってしまいました。
亡くなる一月ほど前に会話ができる状態だったから、ボクは急遽飛行機で飛び、これまでのお礼を言うことができました。
そのあと、葬式に出かけられなかったので、今回の旅となったのです。

今回、およそ一ヶ月半におよぶ車中泊の旅でしたが、お墓のある町を通るたびにボクは花を買って墓前に参りその日のことを報告したものです。
なんだか、辛い旅でもありましたが、北海道と信州の素晴らしい自然環境を同時に見比べることの大切さを番屋のオヤジさんに教わったと思っています。
オヤジさんに出会わなかったら、いまのボクはありませんし、これからも自然を見つめる視線は変わることなく続くことでしょう。

そんな今回の旅でしたが、北海道全域を6500kmも走り、45年の時間軸で自然と社会の変化を目撃することができました。
森林が猛烈に拡大して「森林飽和」「森林過多」に向かい、過疎化とともに消滅する人の暮らしがあり、ヒグマやエゾシカ、キタキツネといった野生動物が人に取って代わる日も遠くない、と改めて実感しました。
また、森林が豊かになることで、姿を消していた「ニシン」が帰ってきはじめているということにも興味があったのです。
自然は、こうして、長いスパンのときどきで利用者が変わっていくことを再認識した旅となりました。

 


(Photo:野生動物も確実に増えてきて車との衝突事故もあります)


(Photo:北海道を横断する途中には美しい景色がたくさんあります)


(Photo:ヒグマに出会うために知床半島の最奥部まで林道の通行許可をもらって行きました)


(Photo:巣立ったカラスが北方領土となっている国後島を遠望していました)


(Photo:氷河時代の生き残りといわれるナキウサギはまさにモルモットにそっくりです)


(Photo:エゾシカも増えてきて人を見ても逃げない横着個体もいます)


(Photo:園芸用のルピナスがいたるところに増え、在来種のエゾスカシユリと覇権を競っています)


(Photo:キタキツネは人を見ると寄ってきます)


(Photo:柴犬の「げん」と一緒の旅でした)

(Photo:オヤジさんとの思い出の鳥オオジシギが古いお墓の上でズビヤークズビヤークと鳴いていました)

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コメント

  1. 「どんな小さな情けや恩も石に刻んで覚えて置けよ・・・」という三波春夫の流行歌がありました。素晴らしい「森からの便り」を拝読させて頂きました。先生のご活躍を心からお祈りします。ありがとうございました。

  2. ありがとうございます。
    まだまだ、次なる旅を続けながら発信していきますので…。

  3. 遅れ馳せながら、昭和57年度日本写真協会新人賞受賞作品「鷲と鷹」(1982年5月25日初版第4刷発行)(新品に近い状態の中古書)を本日入手し、拝読させて頂きました。驚愕の写真集でした。ありがとうございました。

  4. 乗鞍高原より

    宮崎さんの写真は、

    今はなき、フォーカスの社会性のある動物写真(都会でくらす鳥や獣)を今でも思い出します。

    東京から離れて今は信州に住んで50年近くなりました。

    ここも昔は都会から来てpensionなども増えた時期もありましたが今は廃墟となりつつあります。

    今問題なのは、耕作放置地が増えて野生の動物たちとの距離が非常に近くなって来たことです。

    この問題は何もここだけの問題ではありませんが、過疎化と共に難しい問題になっています。

  5. 客 謙二朗 さん
    ありがとうございます。土門拳賞の「フクロウ」は発表して30年になりますが、まだこの先30年はあのクオリティー写真集は出てこないと自負しています。
    新品入手はすでにできませんが、中古本でもいいですのでどこかで見てやってください。

    畑 宏康さん
    それは、フォーカスではなくて「フライデー」ですね。
    自然は賛美するだけの世界ではなく人間も含めて、とっくに「共生」を探る時代にきています。
    「アニマル黙示録」は生物の側から人間社会を逆照射しているものでして、このテーマがある意味でボクの写真家としての哲学でもありイマもっとも力を入れているところでもあります。

    最近は、「Facebook」でいろいろ発信していますので興味がありましたら見てやってください。

  6. 土門拳賞「フクロウ」(発行日2001年3月1日初版第8刷)をやっと探し当て(新品に近い状態)、本日、入手し早速拝読させて頂きました。筆舌に尽くし難い素晴らしい書籍で、私の「宝物」です。(勿論「鷲と鷹」もです。)ありがとうございました。

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