田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

田渕さんの訃報をお伝えします

一月三十日、田渕義雄さんが永眠されました。
ここ数ヶ月の連載は闘病中に執筆されたものであり、一月の原稿を準備されている最中の突然の訃報でした。
一月の原稿に添えられる予定だったイラストと写真をここに掲載いたします。
イラストは田渕さんのお姉様のご主人、義兄にあたる田中靖夫さんの筆によるものです。本連載でも何度か登場していますが、田中さんの力強い絵を田渕さんはとても敬愛されていました。
今回はお見舞いに訪れた田中さんにリクエストして、その場で描き上げてもらったそうです。
薪ストーブと薪小屋。
田渕さんからの永遠のメッセージです。

田渕さんは最期までご自宅で過ごすことを望まれました。
自ら丹精した大好きな家で、自ら作ったウィンザーチェアーに腰掛け、「きみがいなければ生きていけない」アンコールの暖かさに包まれながら穏やかな時間を過ごし、最愛の奥様に看取られて旅立ちました。

13年間、94回に及んだ連載でしたが、もっともっと田渕さんの言葉を聴きたかったと思います。その信念と哲学を私たちの血と肉に、次の世代に。田渕さんが残してくれたものを大切にしていきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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ぜひ田渕さんに送る言葉をお寄せください。
(FIRESIDE)

Illustrations by 田中靖夫
Photoes by Yoshio Tabuchi

 

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コメント

  1. 今年から薪を作って北海道の冬を迎える準備をしています。やっとここまでたどり着きました。田渕さんに憧れて素敵な暮らしを夢見て20年も掛かってしまいました、年月が過ぎた分だけ今はとても幸せに感じる事が出来ています。全ては田渕さんの言葉から始まったと思います。今年の冬は薪ストーブの前で毛針を巻きますね、心からのありがとうをおくります。
    感謝 合掌。

  2. 京都での学生生活をしていたのは35年ほど前のこと。北白川の下宿、比叡山が見える窓、暑い夏に寒い冬。カセットコンロにかけた薬缶の湯気。Be-Palの『森からの手紙』で、都会から森の中に移住されたばかりの田渕さんの文章とイラストに、そういう生活に憧れました。レッドウィングのインシュレーティドブーツとTSエリオットの、spring is the cruest season、から始まる文章。赤い屋根の家に一度はお邪魔したかった。ただ憧れてでも普通に都会に住んで都会に勤めて、時々、軽井沢などで山に暮らしている気分だけを味わうだけに終始してしまっている自分に疑問を持ちながらも今に至っています。田渕さんから少しは影響を受けたと自負する私にとって憧れの存在の田渕さんが逝かれてしまったのは残念です。

  3. 田渕義雄さんが亡くなられたこと昨日知りました。
    フライフィッシングを始めて20年、私も「フライフィッシング教書」をバイブルにしている一人です。
    私の趣味を、いや大袈裟かもしれませんが私の人生を少なからず豊かにしていただきました。
    未だにカーティスクリークは見つかっていません。
    いつの日か秘密の川、心の川を探し当てたいと思います。
    ありがとうございました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

  4. 今日知りました 残念です
    Natural life を夢見て何年たっただろう
    寒山の森から  薪ストーブの本 自由人–などの本は薪ストーブの円赤外線のように芯からわたしのこころを暖かくしてくれた
    一度川上村に行きたかったが。是非とも叶えてみたい 裏から見る奥秩父も新鮮だろうから

  5. 田渕さんの逝去を知り、悲しい思いで一杯です。
    私がフライフィッシングに入ったきっかけは、まさしく田渕さんとその仲間が書いて昭和62年に出版された「ザ・フライフィッシング」でした。それから30年余フライフィッシングに魅了され60代最後の今も楽しんでおります。田渕さんのフライフィッシングにたいする想いに相通ずるものがあり、一種のあこがれでもありました。それから田渕さんの著書「フライロッドと人生」等は今も本棚を飾っております。

    北軽井沢(軽井沢の印象とは程遠い)の地に山小屋を買い、念願の薪ストーブをいれ、厳寒の冬は、読書とまきわりで過ごし、春はここを拠点としてフライフィッシングに出かけておりました。 今年の暮れに、北軽井沢に行く途中に、田渕さん宅を訪れてみたいと思った矢先の訃報でした。 残念です。お会いしたかったです。

    田渕さんの想いだけは引き継いでゆかせてください。
    心からご冥福をお祈りいたします。

  6. フライフィッシングを始めて三年。
    田渕さんを知って二年。
    人生の豊かさが広がりました。
    いつかは自宅に薪ストーブを入れて過ごしたいと思いました。
    いつかは自宅に伺えればと思っていました。
    田渕さん本当に残念です。
    謹んでご冥福をお祈り致します。

  7. 田渕さんを知ったのは快著『フライフィッシング教書』でした。フライフィッシングを始める直前だったように記憶しています。もう引き寄せられるようにこの本を買い、むさぼり読み、実践と落胆と稀に狂喜乱舞を繰り返すたびに、なぜか確認したくなって(何を?分かりません)この本に戻って行きました。フライフィッシングに関しては、もう丸ごと教えてもらったようなものです。一例だけ挙げれば、キャッチ&リリースを教条主義的に強いるような所には行かずに済んだということです。キャッチ&ストマック! いいではないですか! ここには真の意味で自由な釣りがあると直感して今に至るまで変わりません。

    田渕さんも木工をやっていると知ったのはずっと後ですが、私も木工趣味があります。実は今、針葉樹の「さわら(檜の仲間だそうです)」で自分のために本棚を作り始めたところなのですが、目指すのはカチッとした直線基調の軽いイメージの本棚。

    一番対極にあるのが耳付きで直線のほとんどない10人ぐらい座れそうな大きな大きな広葉樹のダイニングテーブル、例えば厚さは100mm。しゃれたペンションなんかに置いてありそうなやつですね。

    田渕さんの作る家具はこんな民芸調?ではないです。アーリーアメリカンと呼ぶのが適切なのでしょうか…。おためごかし? こけおどし? 不誠実? そういう世界から最も遠いのが田渕義雄だったと思います。私は知らぬ間に田渕義雄なら作るであろう方向を知っているように思います。

    何かを作ろうとするときに、深層心理の中にあるこの思想(たぶん、そう呼ぶより他ない)に動かされていて、それが彼から手に入れたものだと思えば、田渕義雄の死は当座私が直感したより、もっと多くのものを失ったのです。

  8. 2回目の投稿です。田渕さんが亡くなられて1年が経とうとしています。72歳の私には、コロナウイルスの脅威の日々です。こんな状況下なら、田渕さんはどうコメントしてくださるのかな!と思っています。生前には、お伺いする度に、寒山の家でビールをグビグビ飲みながら話して下さいました。田渕さんの文章から生き方を実践してきた私です。田渕さんの著書を折々に読むという1年間でした。「Be Romantik。ロマンチックであれ!時代や人がどうであれ、ロマンチックであることは、自分らしく生きるための力となる。」かな!

  9. 今日は田渕義雄さんの一周忌です。大阪から、あらためて田渕さんのご冥福をお祈りいたします
    ••••••••。緊急事態宣言が解除され、COVID-19が今よりずっと下火になったら、田渕さんのお墓にお参りしたいと思っています。その時、田渕さんからどんなパワーをもらえるか・・!楽しみです。

  10. 高校の山岳部に在籍していた25年前にバックパッキング教書に出会って以来の愛読者です。
    今、お亡くなりになったこと知りました.ご冥福をお祈りします。

    学生時代に始じめたシーカヤックが縁でその後、カナダに住んでいます。今は森の中にある家で夏は菜園、冬は裏山の木をを薪ストーブの燃料にして生活を楽しんでいます。まだまだ田淵さんのような美しい椅子を作ることは出来ませんが、テーブルやベンチを自作する楽しみをおぼえました。フライフィッシングで鮭や鱒を釣るようになりました。

    地球の片隅の小さな村の森の中で、どんな時も家族や仲間と助け合い、そして一緒に笑いながら生きていく。
    18歳の時に田淵さんが著書を通して見せてくれた人生の楽しみ。ゆっくり実践させて頂きます。

  11. 暦が大寒になる頃、田渕さんに初めてお会いした1980年代のことを思い出します。

    小学館のアウトドア雑誌BEPALのイベント「サマーミーティング」で仕事をご一緒した数年間の数々のエピソードが昨日のことのように懐かしく蘇ってきます。田淵さんが川上村に移住したばかりの頃で、ミーティングの会場が長野県の南相木村から川上村の小川牧場へ移るということでたいへんお世話になったことも楽しい思い出です。

    今日は田渕さんが1980年代に書かれた本を読み返して思い出に浸ることにします。

  12. 当時、私は公安職で常に神経を削り、仕事に追われ、精神的にも疲れきってしまっていました。そんな時、はじめて本屋さんで田渕さんの著書に出会いました。それからは、いつもお守りのように持ち歩くのが常で、持っているだけで安心しました。今は定年退職して山梨で果樹園を経営し、時折、釣りをしたり、アウトドアを楽しんでいます。
    何度も何度も読み返した本は、これからもの私の大切な宝物です。
    本当に残念でなりません。
    謹んでご冥福をお祈り致します。

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