シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル

八ヶ岳の手づくりログハウスを舞台におくる火にまつわる旅人的カントリーライフ

僕は薪を割り続ける

わが家を巣立って別々に暮らしている長男と次男が帰省した。
家族がそろえば、外メシである。
わが家の外メシは飲食店に出かける外食ではなく、外のデッキで七輪やグリルを使って肉や魚を焼く食事を意味する。
幼い頃から薪ストーブや焚き火で火に親しんでいる息子たちは炭火の扱いもお手の物だ。

長年使い込んで愛着ある角形七輪やグリルの火起こしを息子たちにまかせて、僕と妻はセンポと夕方の散歩に出かけた。
猫のポノとハチも僕らの散歩についてくる。
ニャー、ニャーと愛らしい声を発しながら追って来て、センポと顔をくっつける姿は何度見ても胸がキュンとなる。
動画で撮ってネットにあげれば、そこそこ反響があるとは思うけど、幸福に包まれたこの空気感は伝わらないかもしれない。

朝の散歩も気持ちいけど、真夏の太陽に熱せられた地面がゆっくりと冷めていく夕暮れどきの散歩も心地いい。
広葉樹の森を抜け、畑の脇の道を通ると八ヶ岳が雄姿を現す。
あらゆる角度から八ヶ岳を眺めているけれど、慣れ親しんだこの姿が最も八ヶ岳らしく感じる。
おそらく東麓や西麓で暮らしている人々も自分が暮らす土地から眺める八ヶ岳が一番だと信じていることだろう。

散歩のあとはセンポとポノとハチに食事を与え、僕らの外メシの時間だ。
まずはソーセージを焼き、お中元に届いたクラフトビールで乾杯する。
「このビール、おいしいね」と長男の一歩が言い、「じゃあ、僕も飲む」と次男の南歩もビアマグにビールを注ぐ。

思えば当連載の第1回が『もっと外メシ!』だった。
当時は僕ひとりがビールを飲んでいたけど、いまは息子たちとビールを酌み交わせるようになった。
それに外メシのときに僕らを囲むメンバーも変わった。
あの頃はわが家で生まれ育ったラブラドール・レトリーバーのトッポと柴犬のカイくん、猫のジッポとポノがデッキで暮らしていた。
当時のメンバーでいま残っているのはポノだけだ。

子供たちが小学校に通っていた頃、食事中は報告会を開催していた。
今日1日どんなできごとがあったのか、何を感じたのかを家族みんなが順番に報告するのである。
きっかけは夕食のときに息子がテレビに夢中になって、ごはんをこぼしたことにはじまる。

テレビを消して家族で語らいながら食事をしたい思いでスタートした報告会だが、息子たちはテレビが見れない不満を少しも口にすることなく、学校で起きたことを楽しく報告してくれた。
息子たちが巣立っていくまで報告会は続いたが、息子が同級生に「うちは夕食のときに報告会をしてるんだ」と胸を張って語っていたことを知り、僕も誇らしかった。

あれからほぼ10年。
成長した息子たちはそれぞれの都会での暮らしぶりや仕事の内容を語ってくれる。
あの報告会を続けてよかったと思う。
きっと息子たちも家族を持ったら、夕食どきは報告会を開く家庭を築いてくれることだろう。

八ヶ岳の生活も四半世紀を超えた。
自分たちの手でつくった家はさらに住み心地が良くなった。
自分たちの手で改良を重ねてきたから、25年前の新築時よりも格段に暮らしやすい。家づくりの顛末をまとめた本のあとがきに「年齢を経てライフスタイルが変化していけば、家もそれに対応して変わっていくだろう。
僕らの家づくりは僕らが暮らしていくかぎり、永遠に終わることはないのだ」と記したが、その言葉に偽りはなかったと、25年の歳月が流れたいま、つくづく思う。

ただし、設備のいくつかは経年劣化により、故障した。
つい先日はポンプが寿命を迎えた。
わが家は地下62mの井戸を掘って「八ヶ岳山麓天然水」を使用しているが、それを汲みあげるポンプが錆びて水漏れが起きるようになり、さらには微量の漏電も感知されたのだ。
25年間毎日動き続けたのだから壊れてもおかしくない。
むしろ25年間もよくぞがんばってくれたと思う。
懇意にしている近所の業者Mさんに頼んで新しいポンプに交換してもらったが、その交換工事で驚きの事実が判明した。
Mさんによれば「井戸の深さは62mもないよ。取水口まで20mちょっとしかない」とのこと。

井戸掘りはこの土地を売った不動産屋に紹介された業者に依頼したが、その業者は20mちょっとしか掘らなかったのに、62mぶんの料金を分捕ったのである。
手抜き工事のレベルを超えた詐欺であり、返金を求めたいところだが、井戸掘りを請け負ったじいさんは他界しているし、跡継ぎがいないので井戸掘りの会社も廃業している。
やるせない思いはあるけど、いまさらどうしようもない。
田舎で家を建てようと考えている移住者には、こういうこともありえるとアドバイスしたい。

井戸のポンプ以外にも浄化槽のポンプ、給湯ボイラー、白物家電などを次々に買い換えたが、25年以上経ってもまったく壊れないものもある。
その筆頭が薪ストーブだ。
電気製品とは異なり、シンプルで頑丈な構造は故障知らずで、25年前に設置したときと変わらない性能を発揮し続けている。

この25年間でわが家はどれだけの薪を燃やしただろうか。
汗水流して自分の手で作りあげた薪で体も心も温まる幸福感を、僕は薪ストーブで知った。
東日本大震災で計画停電が実施されたときも薪ストーブはわが家を温めてくれた。
幸せに生きるためには何が大切なのかを、薪ストーブは教えてくれた。

今年もまた、広葉樹の倒木をたくさん手に入れた。
おそらくわが家には5年先までの薪の備蓄がある。
言い換えれば、5年先まで幸せに暮らせる保証がわが家にはある。
それでも僕は薪を割り続ける。
自分の手で明日を生きるために薪を割り続けるのだ。

ふたりの息子がそれぞれの家に帰っていった日、僕は庭のファイヤープレイスでセンポとポノとハチとともに焚き火を楽しんだ。
燃やすのは自分で割った薪と、隣の森で拾い集めた倒木である。
肉を焼くでもなく、暖をとるわけでもなく、ただ焚き火をする。
25年前に芽生えて大きく成長した庭の樹木と森を眺めながら静かに焚き火をする。
木と火。これが僕の八ヶ岳スタイルであり、これからも体を張ってこの八ヶ岳スタイルを継続していくつもりだ。

Photo:斉藤政喜
Illustration:きつつき華

 
= ファイヤーサイド より =
8年間、47編の長期連載となった「八ヶ岳スタイル」は今回で最終回となります。
シェルパ斉藤さん、きつつき華さん、長きに渡りありがとうございました。
ご愛読いただいた読者の皆さまに感謝申し上げます。

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