宮崎学「森の動物日記」

森と里と野生動物たちから教わった自然のメッセージ 信州・駒ヶ根在住の動物写真家宮崎学のフォトエッセイです

カモシカに教わった日本の自然


(Photo:ニホンカモシカの母子。カモシカはゆるい家族関係なので、常にくっついているわけではなく、近くに父親がいるかもしれません。)

つい最近、中央アルプスの森でニホンカモシカに出会いました。
70mくらい先の森で、静かにボクを見つめていました。
親子でした。
母子カモシカは真っ黒でクマのように見えましたが、その頭にはちゃんと角が生えていてカモシカでした。そして、子供は今年生まれたばかりであどけなくボクを見ていました。
母親は、子供がいるので表情に少し緊張感がありました。

カモシカとの出会いはいつもこんなカンジです。なので、こちらも別に驚くこともなければ彼らを驚かせないように静かに「やぁー」と心で挨拶をするようにしています。
こうしたオーラが相手にも伝わるので、カモシカもすっとんで逃げるようなことはしません。

(Photo:1985発行の「ニホンカモシカ」ボクはこの10年ほど前からずっと、中央アルプスの山に通い追い続けていました。)

(Photo:カモシカは当時まぼろしの野生動物と言われていましたが、この当時から少しずつ増えていたことをボクは確信していました)

思い返せばボクは、「ニホンカモシカ」で写真家として一枚看板をあげました。
1960年代の後半に、当時では「まぼろし」と言われていたニホンカモシカに中央アルプスではじめて出会い、夢中になって撮影をはじめたからです。
いまから50年ちょっと前のことですから、ニホンカモシカは「絶滅寸前」とか「生きた化石」などと呼ばれていた時代です。
でも、ニホンカモシカは中央アルプスにはたくさん生息していました。

それは、人間が森林を何百ヘクタールと皆伐した撹乱場所がカモシカは好きだったからです。
切り株だらけのこんなところにと驚きましたが、森林を伐採すると、土中に眠っていた植物の種子が一斉に芽吹き若い芽を出してくるからカモシカはそれを食料にしていたのです。
当時は国策として日本中の森林を伐採していましたから、カモシカに出会った場所も木を切って数年が経っていたころでした。
木を切ったので新芽が続々と生えてきており、そこが「牧草地」となってカモシカを呼び込んでいたのです。

これは、一般的に自然保護を考えてみると真逆なことに思えるかもしれませんが、そこが自然界の奥の深いところで、人間社会が行った森林伐採が「まぼろし」のニホンカモシカを激増させる結果になったのです。

(Photo:伐採地にヒノキが植林されたその先(矢印)にカモシカがいて、12年後に同じ場所を訪れたらヒノキがこんなにも成長していました)

時代は、このころから日本社会全体のライフエネルギーが電気、ガス、石油に変化していきました。
イマでは全家庭の100パーセントが電気やガスに頼り、日々の食事や暖房や風呂など生活ライフに森からの「薪炭」のみで生活している家はありません。
70年前までは、あるいは江戸時代やもっと前から日本社会のライフエネルギーは「薪炭」でしたから、山野の森をいつも人の手によって切り開いては萌芽更新の繰り返しがされていました。

それが、電気、ガス、石油に取って代わってから70年余。
日本の山林は木を切られずに放置されるということにある意味初めて直面しているのかもしれません。
そしてイマでは森が密に豊かに大きくなりすぎて「森林飽和」ないしは「森林過多」状態になっています。
こうして、森が豊かになったことで、日本を代表する大型動物であるニホンカモシカやシカ、ツキノワグマ、イノシシ、ニホンザルなどが爆発的に増えてきました。

(Photo:増えたカモシカ(矢印)。このような車の多い国道脇の斜面まででてきて、山から人間の生活を見ています)

森と人間社会が確実にリンクしていることがこれでわかります。
その裏で、野生動物を増やしたり減らしたりしているのも人間社会でした。
ボクは半世紀にも及んで日本の野生動物を写真家として見届けてきましたが、いまこのようなことを自信をもって言えるようになりました。
そこからたくさんの新知見を得て今日でも撮影活動をつづけています。

このような半世紀におよぶボクの写真活動の集大成が、「東京都写真美術館」で始まります。
今年の8月24日~10月31日までの長期間ですが、コロナ禍にあっても写真展覧会は続きますし期間中に講演会もいくつか予定しています。
講演ではテーマをそれぞれ変えて、これまで経験してきた自然界の妙理というものを伝えるつもりです。
詳細は東京都写真美術館のHPで確認してみてください。
写真家として半世紀の活動は長いと言われますが、ボクにとってはあまりにも短すぎます。
それは、自然界のことを伝えたいことがいっぱいあるから、あと100年でも続けて見てみたいし、やはり時間が足らないのです。
日本の自然とは、奥が深くて複雑で知ればしるほど楽しくて仕方がないです。
そしてそれを皆さんに伝えていきたいと思っています。


(Photo:森のことは何でも知っているといった表情がよく似合う「好々爺」カモシカ)

(Photo:1969年当時の伐採地現場に出現したニホンカモシカ)

(Photo:1970年、カモシカを追って山に入っていた自分です。森林皆伐現場は見渡す限りの雪原でカモシカの姿をすぐに発見できたが、今日では巨大化した樹木に遮られて視界はまったく得られない)

(Photo:カモシカは夜間でも活発に行動している。当時カモシカが寝ている写真を撮りたくて苦労したが、フィルムカメラの時代で難しく、結局かなわなかった)

(Photo:カモシカの糞は独特の形をして、一箇所に貯められているからすぐにわかる)


= ファイヤーサイドより =
77編に渡る長期連載となった「森の動物日記」は今回で最終回となります。
宮崎学さん、12年間ありがとうございました。
ご愛読いただいた読者の皆さまに感謝申し上げます。

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コメント

  1. 40年くらい前にオリンパスのCMで宮崎さんを知り、以来ずっとファンです。最近ではNHKの番組に出演されておられたので、録画をして何度も見返しています。
    今回、連載が終了すると言うことで少し寂しい気持ちです。長い間お疲れ様でした。そしてたくさんの自然界を教えて頂きありがとうございました。
    けもの道のカモシカ、「けもの道」から入った自分としては、これぞ宮崎学!と心が踊りました。
    これからも宮崎さん目線の自然界を発信し続けて下さい、楽しみにしています。

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