フォトエッセイ「写風人の薪焚き日和」

風のように自由気ままに撮り続けたい…カメラマンの視点から綴る日々の薪ストーブライフ

裏山の片隅から駒ヶ根の森へ

少年は焚火の前にしゃがみ込み、小枝を炎の中へ突っ込む。
小枝の先が蚊取り線香のようにジワジワと燃えてくると、その枝をグルグル回し始める。
少年はその灯りの軌跡が面白くてたまらない・・・

これは、フォトエッセイ1話目の書き出しです。
初めて火に触れたのは、親父と2人で行ったキャンプの焚火。
おそらく3・4歳だったと思います。
5つ下の弟が出来てからも、3人の漢キャンプは続きます。

20代は父親の後を継ぎ写真業を営む傍ら、ジュニアリーダーのインストラクターとしてキャンプに携わっていました。
特に小学校が夏休みに入ると、子供会やスポ少のキャンプファイヤー指導に明け暮れる日々が続きます。

1995年、今から26年前、スタジオを新築した際に念願の薪ストーブを導入しました。

とてもお客様をお迎えするようなロビーとは思えないほどマニアックですが・・・。


原木は、地元の造園関係の友人が伐採する度に運んでくれたので、常に薪に溢れていました。
チェンソーと斧の薪活はここから始まります。
この頃は働き盛りの40代。
スタジオを新築したこともあってほとんど休みがないほど多忙な日々が続きます。
裏山での焚火と薪割りだけが僅かな余暇の楽しみでもありました。

その様子を記録し、写風人というハンドルネームでブログを始めたのもその頃です。
ブログでは理想郷を想い描く事もあり、次第に田舎暮らしや森暮らしという願望は益々強くなります。
近隣に住宅が建ちはじめ、裏山での焚火も自粛気味になっていたこともあり、
50代半ばに差し掛かった頃、引退後の移住を本気で考えるようになっていました。


そんな時、ファイヤーサイドのポール社長に出会う機会を得ました。
その日がポール社長の誕生日だったとは、後で知ったことです。
初めて訪れた駒ヶ根の自然豊かな土地に魅了され、こんな環境で暮らしたい、いや、ここに移住しようとその場で決意することになります。
それから休日の度に駒ヶ根に通いつめ、3年がかりで理想のフィールドに出会います。


看板にもあるように、元々は研修センターだった施設。
中央アルプスの麓に位置し、森に囲まれ焚火の煙で近隣に迷惑をかけることもありません。


春は桜が咲き乱れ、夏はアルプスの清流で川遊び、秋は紅葉狩りと落ち葉焚き、冬は銀世界で雪中キャンプ。


四季を通じて自然を満喫できるこの施設を「KOMAGANE BASE」と名付け、こちらにも薪ストーブを設置して週末森暮らしの拠点としました。


当初は荒れ果てた土地を開墾するぐらいの勢いで作業に専念し、疲労困憊状態で岐阜に帰ることもしばしば。


時には、プライベートサイトとしてソロキャンプを満喫することもありました。
賑やかなキャンプ場やグループでのキャンプが苦手な自分にとって、ソロはこの上なく自由で気楽。
”孤独と友達になった” 田渕さんの言葉を実感する場面でもあります。


森に囲まれ、ご近所さんに気兼ねなく焚火できる環境はストレスもたまらない。
早く移住したいという気持ちは募るばかりでした。

週末通いも6年続いた頃、岐阜での仕事もようやく後継者に任せる手はずが整いました。
いよいよ完全移住です。

終の棲家として、思い切ってリフォームを敢行。
自分で作れそうな薪棚などは初の大物DIY。
後輩が屋根材を調達してくれたので助かりましたが、思ったより材料費が掛かるものです。


そしてこれだけは必ず実現したかったデッキ。
屋根は大工さんに建ててもらいましたが、デッキ材は岐阜から運んでくれた松材を張り巡らせました。森を眺めながらのコーヒータイムは格別です。

そして森暮らしの核となる薪ストーブは3台態勢。

広すぎる間取りの平屋なので真冬は3台でも足りないくらいですが、薪の消費量がハンパないです。
岐阜では薪が心細くなることはなかったので、やはり新天地の課題は薪です。


昨年はたまたまご近所の伐採した原木をいただき豊富にありましたが、それもすべて使い果たしてしまうほど。


駒ヶ根は薪ストーブのメッカ、原木の激戦区でもあります。
今後の原木調達の課題はありますが、しばらくはこの雄大な森の恵みにあずかろうと思います。

冒頭のキャンプを思い返す焚火シーンは、岐阜の裏山の片隅でエッセイ用に撮影した最初の一コマです。
本家の長男に産まれた私は、この裏山から一生離れることはないと思っていました。
いち薪ストーブユーザーとして憧れであったポール社長、故田渕義雄氏、シェルパ斉藤さんと同じ土俵に立たせて頂けたことはとても光栄なことであり、叶わぬ夢だと思っていた森暮らしを実現できたのもこのエッセイのお陰かもしれません。
つたないエッセイをご覧頂いた読者の皆さま、関係者の方々に深く感謝申し上げます。
(了)
 

= ファイヤーサイドより =
「写風人の薪焚き日和」は今回で最終回となります。
移住の過程をリアルタイムで伝えていただいた写風人さんも
今やファイヤーサイドの一員、駒ヶ根の仲間に。
60編にわたる連載ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

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コメント

  1. 毎回、センスのいい写風人さんの薪焚き日和を楽しみに拝見していました。
    写風人さんから多くの事を教えていただきました。
    ありがとうございました。

    • こちらこそ、いつも愛読ありがとうございました。
      コラムを書きながら、私自身もいろいろ学ばされました。
      また違った形でブログ等あるかもしれませんので、
      その際はよろしくお願いします。

  2. このエッセイの更新を、毎回とても楽しみにしておりました。
    写風人さんのライフスタイルに憧れて薪ストーブを導入した私としては
    薪焚き日和の終了はこの上なく淋しいですが、またズクショップでいろいろ教えてください。
    ありがとうございました。

    • 返信が遅くなって申し訳ありません。
      そう言って頂けると大変嬉しいです。
      ズクショップには、週5日出勤しておりますので、
      お近くにお越しの際は、是非お立ち寄り下さい。
      コメントありがとうございました。

      • 毎回楽しみに拝見(拝読)しております。
        最終回と言う事で初めてコメントさせて頂きます。

        我が実家が八ヶ岳 原村に移住して20年、ディファイアントが山小屋に鎮座しています。いつしか、子供達含め毎回ストーブで何か調理する事が実家に行く一つの楽しみになっています。

        2000年当時、生活に密接した薪ストーブに関する情報も少なくこちらで拝見する皆さんの生活は私の憧れ、貴重なバイブルでした。駒ヶ根にも何度かお邪魔させて頂きました。

        また機会を見つけてお店にもお邪魔させて頂きます。
        これからの新しい情報発信も楽しみにしております。

  3. Well, what’s going on ? Three ‘saishuukai’ in only three weeks ? Guys ! tell me I won’t see it anymore, will you ? Tonto gata, Sitgreaves national forest AZ

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