嗤うキツネ
(Photo:時々キツネはこのような表情をします。人間を嗤っているようです)
長野県の中央高速道の駒ヶ根インターチェンジは、車で駒ヶ根高原に向かう玄関口です。
交通量も多く、人家もあって人もたくさん生活しています。
ここを夕方になって車で走ると、ときどきキツネが駆けていく姿を目撃できます。
車のヘッドライトがその姿を直接照らし出さなくても、目がオレンジや緑色に反射して一瞬で暗がりに消えます。
ネコやタヌキはこんなにも敏捷に姿を消すことはないからまちがいなく、キツネなのです。
ボクは多くの人々が「獣(けもの)は山に棲むもの」というのを常識としてきたずっと以前から、キツネがこのように車が行き交う街場に生息していることを知っていました。
そして彼らは家庭の庭先にも毎晩出没していて、ときには夕方、深夜、明け方の三回コースで巡回していることまでわかっていました。
それは、このような山里の住宅地では、ほとんどの家庭が「生ゴミ」を自宅庭先の畑などでコンポスター処理をしているからです。
人間の家から出る残飯は、キツネにとってはご馳走なので、夜な夜な出没してはこうして環境の掃除屋さんをしているのです。
(Photo:キツネは毎晩やってくるから人の足跡と一緒にキツネの足跡も無数にあります)
(Photo:コンポスターの周りにはキツネの足跡だらけ)
キツネはそれぞれの家庭の台所事情や生活習慣まで研究把握して知り尽くしています。
「あそこの家は、いつも美味しい残滓が出てくる」
「あそこは、あまりいいのが出てこないから後回しにしよう…」
「あそこには犬がいるけれど、庭に繋がれたままだから大丈夫」
「あの家は、夜寝るのが早いから、深夜にはまったく気づかれない」
このように実に良く人間の家の事情を観察して行動しています。
(Photo:こんな姿は、どこの家庭の庭先でもみられるハズ)
そして自分の行動を誇示するかのように、独特の臭いのする「オシッコ」をマーキングしていきます。
こうした行動が普通に行われているのですが、しかし、そのことに気づいている人たちはほとんどいません。
ちょっと鼻も敏感にして臭いの変化に気をつければ、キツネの存在なんてすぐに分かるものですが、やはり現代人は大切な五感を使うことを忘れてしまっています。
こうした現代人センスが、ボクには面白くて仕方がないので、キツネと人間社会を観察するのが大好きです。
(Photo:キツネの巣穴は、人家や畑に出かけるのに便利な場所にあることが多いです)
そんなキツネが、我が家の庭にも夜な夜なちゃんとやってきています。
それを知っているのは、やはりボクだけです。
そこで、キツネの尿臭が強く漂っているようなときには、家族を呼び出して「鼻」を使ってもらうようにしています。
最近では、高校生になる娘がこのキツネのニオイをわかるようになりました。
こうして、体で覚えたキツネの存在は、たぶん一生忘れないことでしょう。
それに期待しているから娘にも教えてきたのですが、やがて娘も母親になり、子供や孫に教えていくのではないか、と思うからです。
キツネは縄文時代以前からこの日本の人里に野生動物として生きてきているのですから、これからもずっと変わらず人間と共存していくと思います。
自然は現代人が考えるほどヤワなところではないし、キツネも五感をフルに活動させてこの平成時代を生きぬいています。
だから人間だって「五感」というものを大切に活用させてイマドキの自然環境を知ることが必要なのです。
(Photo:感度のいい耳でまず音を聞き、そのあと目と鼻で人の動きを探ります。五感をフル活動しているキツネですから里にも棲めるのです)
(Photo:ゴルフボールを拾って、キツネはチューインガムにしたらしい)
(Photo:お稲荷さんはキツネが守り神ですから、
昔から人との関係は深いものがありました)
(Photo:日本では昔からキツネは神聖視されていました。お稲荷さんの
キツネは、いまでもこうして信仰されているから「前掛け」もきれいです)
初めまして。
いつも更新を楽しみにしています。
横浜住まいですが、毎年、夏を駒ケ根で過ごしています。
駒ケ根では、猿にも狸にも会いました。キツネは、もっと近くにいるんですね。
駒ケ根に行くと、圧倒的な自然の中で、動物や植物の世界にそっとお邪魔させて貰うという気がします。
キツネの匂い、感じてみたいです。