宮崎学「森の動物日記」

森と里と野生動物たちから教わった自然のメッセージ 信州・駒ヶ根在住の動物写真家宮崎学のフォトエッセイです

ヒトの傍らで – シナントロープから見た世界

長野県諏訪湖にハクチョウが初めて飛来したのは1970年代中頃のことでした。
以来、地元の有志によって餌づけが行われてハクチョウはどんどん増えていきました。
これを美談として当時は新聞やテレビなどでも取り上げられていましたが、ハクチョウを見ていると、どうも餌をもらえる環境をしたたかに計算して、やってきているだけのように感じました。
そしてハクチョウたちは、近所の田んぼなどにも出かけていって落ち穂ひろいしながらお米を食べていたのですから、人間の生活をありがたく利用していたのだと思います。
この後日本に「鳥インフルエンザ」が流行してきて、ハクチョウに餌をやることについての風当たりも強くなり、こんどは人間の側が「餌付けは良くない」と言ったり、野生の生き物とこういう形で触れ合うことを拒否するようになりました。
こうした互いの心理状態が面白くて、自然保護の概念もどんどん変化しているんだなと、ボクは思うようになりました。

自然は、美しく素晴らしく優しく見守りつづけるもの。それが“自然保護”なのだ、と考えている人たちは少なくないと思います。
ところが、木を切ったり、土砂崩れがあったり、山中に別荘を建てたり、橋をつくったり、自然破壊といわれるような人間の行為を実は歓迎している植物や生物がいます。

例えば、大昔には森林だった山野を人間は長い時間をかけて開墾して田んぼや畑にしてきました。
元は樹木がうっそうと生い茂っていたところを、田んぼや畑にすれば陽当たりもよくなり、風通しもよくなって、そのような環境によろこび適応していく生物を地球の“造化の神様”はつくり育てています。

例えば、スズメやカラスやツバメなどは、人間の生活圏に寄り添って生きています。
みんなに親しまれている美しいカワセミだって、洪水や土砂崩れが起きて、切り岸となったその場所に巣をつくり子育てをします。
ノウサギは山林を伐採したり、山野の近くの田んぼや畑のような環境が、生きていく上ではとても重要な場所です。
人間が自然を撹乱することが、生物たちに力を与えて繁栄につながることがあるのです。


(Photo:河川敷の切り岸は、カワセミのマンションに好適。右下は土の中。使わなくなった巣の断面を見てみました。)

こうしたことを「シナントロープ」とギリシア語では言ってきました。
この言葉はすでにローマ時代から使われてきており、何世紀にもわたって繁栄と盛衰を繰り返しながら、動物はヒトと共生してきました。

確かに木を切れば大喜びする生物と、切られることによって大きなダメージを受ける生物たちがいます。
そして人間からは、そのバランス感覚が大切なのではないかと思うようになってきました。
木を一本切っただけでそれを「自然破壊」だと非難してしまうのではなくて、その木がそれまで何をしてきたのか、切られることによって環境がどう変わっていくのか、そこまで考えながら自然を見つめてみることがイマの私たち人類には必要なことではないのか、と感じます。
このようなテーマで、今年は東京と大阪の「ニコンサロン」で「ヒトの傍らで – シナントロープから見た世界」と題して写真展をやります。>展覧会の詳細はこちらの案内をご覧ください

(Photo:東京都下の新興住宅街の田んぼで野生のキツネが普通に暮らしています。)

(Photo:トラクターが田んぼを耕せば、カエルなどの餌が土中から出てくるからシラサギたちが餌を求めてあつまってきます。)

(Photo:田んぼには落ち穂などの餌があるから、ナベヅルも安心して越冬できます。)

(Photo:コンクリート水路のマンホールが土砂で詰まったところを、タヌキがマンションにしていました。)

(Photo:三面張りのコンクリート水路。そこに落ちたネズミは這い上がれないので、ノラネコが餌場として利用していました。)

(Photo:商品価値のなくなったミカンの捨て場。イノシシがよろこび「ミカン定食」を食べていました。)

 

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