宮崎学「森の動物日記」

森と里と野生動物たちから教わった自然のメッセージ 信州・駒ヶ根在住の動物写真家宮崎学のフォトエッセイです

野生動物たちに餌づけをするなというけれど…

(Photo:ハクチョウたちに餌を与える直接的餌づけ。人間が食べ残したパンや青米の寄付での「まかない」に集う。)

先月ボクは東北の旅に出ていました。
そこで有名な白鳥の越冬地に立ち寄りました。
そこでは野鳥ファンの方が、ハクチョウを守っていて、餌のパンも売っています。
ハクチョウが食べるパンのおこぼれに預かろうとたくさんのカモたちも群がっていました。

このような風景を見て「野生動物に餌付けをするのは良くない」という人々が、最近は増えてきました。
少し前まで、日本ではニホンザルやハクチョウ、ツルなどには人間が「餌」を与えて親しむことが普通の認識でした。
そうして集められた野鳥や動物たちの場所は観光スポットとして自治体も力を入れて誘客に余念がありませんでした。
こうして野生動物たちとふれあうことが自然との調和とみんなが思っていたものです。

(Photo:牧場の牧草を食いにきたエゾシカ。牛や馬が食べて美味しいのならシカにとっても美味しいハズ。)

ところが、やがて集まる動物たちも増えて、それが目に余るようになると、ある意味では嫌悪感をいだく人間も出てきました。
すると、「野生動物に餌づけをすることは野生を失うからしないほうがいい」との風潮が芽生え、近年では野生動物に「餌」を与えることが悪いことのように思われています。
それは、ボクに言わせれば間違った自然観なのではないか、と思います。


(Photo:餌づけで楽しんだら「鳥インフル」の発生で餌づけ禁止となったハクチョウ飛来地。人の勝手のよさを憂う…。)

「餌づけ」にも「直接的餌づけ」と「間接的餌づけ」があるからです。
ハクチョウなどに人間が意識的に餌をあたえることは、「直接的餌づけ」です。
しかし、人間が広大な農地を開発して作った田んぼや畑。そこにやってくる動物たちには「餌づけ」とはまず言いません。

(Photo:砂防工事の法面に植栽された植物を食べにきたニホンジカ。新種の植物を食べたら美味しかった…。)

人間が、自分たちの生活のために開発していることには気づきにくいものですが、これこそ「間接的餌づけ」なのです。
まさに、気づかないところで餌づけをしているといえましょう。
人間が直接手で野生動物に餌を与えるより、この「無意識間接的餌づけ」のほうが、圧倒的に膨大甚大広大だとボクは思いました。

(Photo:家畜飼料用モロコシ畑で残粒を拾うオオハクチョウたち。大型機械での収穫だから、ハクチョウたちが丁寧に拾って食べてくれている。)

ボクは最近、「シナントロープ」という言葉を知りました。
これは、ギリシャ語で、すでにローマ時代には誕生していたようです。
「シナントロープ」とは人間が活動する周辺で、喜び増えて共存していく生物たちのいることを言います。
すなわち、カラスやスズメ、ツバメ、ムクドリ、ヒバリ、野ネズミ…のように、人間が、自然を開発し破壊することで、そうした環境を好み、そこにしか生きられない生物のいることを物語っています。

自然を開発し破壊することが「自然撹乱」とすると、
人間が森林原野を、田んぼや畑などの農地にするのも自然撹乱。
人間が食べ生きるために漁業をしたり、家畜や魚を養殖したりするのも自然撹乱。
森林伐採をしてスキー場やゴルフ場を開発するのも自然撹乱。

そして、そうした自然撹乱を、必ず喜び、そこに生きる場所を求めてくる生物がいることも、自然界は必要なことだとプログラムしているのです。

なので、自然を語り目撃するには、小さく短い時間軸で結論を出すのではなく、もっと大きな時間軸でおおらかに見つめてみることが大切なのではないでしょうか。
地球上で人口がやがて100億人になろうとしている人類も、地球環境的に考えてみればある意味では地球がその行為をプログラムしているのではないか?
人類そのものを、地球は自然撹乱生物にしているのだと思えば、気持ちもラクになります。

(Photo:田んぼで落ち穂を拾うナベヅル。コンバイン収穫で落ち穂だらけで大喜び。)

(Photo:養魚場で魚を狙うアオサギ。アオサギにとっては近場にできた魚市場との認識。)

(Photo:アユの養殖池でアユを食うツキノワグマ。山中でアユが食えるなんてと大喜び。)

(Photo:稚魚放流されたサクラマスが回帰してきた川でマスを食べるヒグマ。秋になれば産卵に遡上してくるから秋の「さかな定食」が食い放題。)

(Photo:冬の田んぼで落ち穂を拾い食いするニホンザル。落ち穂はサルにとっても貴重な蛋白源。)

(Photo:麦畑で青汁を確保するニホンザル。冬の緑野菜がこんなに豊富にありがとう。)

(Photo:捨てられた缶コーヒーの残り香をたのしむニホンザル。彼らにとっては山の樹の実よりはるかに甘くて美味しいのかも。)

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