Seed to Seed. 種から種へ
花に嵐。紅葉に秋風。
さよならだけが人生?
それとも、さよならはまた会う日までの約束の言葉?
明日もまた会える気軽さで、人は人と別れる。
が、それっきり会えない人が沢山いる。
紅葉の季節になると、人はどうしてセンチメンタルな気分になるんだろうか?
何処にも行かない。誰とも会いたくない。
そう思う心とは裏腹に、人待ち顔になってる自分がいる。
秋なんだね……。
広葉樹の紅葉が終わろうとしている。
ミズナラと山胡桃の紅葉が秋風に吹かれて、カラカラと乾いた音を立ててる。
そして、落葉。落ち葉が舞う。
森に、畑に、道に、庭に、屋根に……孤独な老人の部屋の窓辺に。
落葉松の針葉が色付きはじめた。
落葉松が山々をオレンジ・イエローに染め上げれば、すぐに冬だ。
今日わたしは、ラディッシュの種を採取した。
メイン州のJohnny’s Selected Seeds の1993年版のカタログで通販した
SORAという品種の二十日大根の種だ。
以来、このラディッシュはずっと我が庭にあって、食卓の常連。
SORA はピンポン球ほどに大きく育ってもスポンジ状にならない真っ赤なラディッシュ。
肉質固く、辛み強く、美味。
大根系の種は、大きくて強靱。
保存状態さえよければ、10年前のそれでも容易に発芽する。
で、5年に一度位の割合でSORA の種を採取する。
莢の中に種を宿すものは、莢ごとよく乾燥させてから莢ごと保存する。
SORA を買ったときには、OAKLEAF(レタス)とOREGON SPRING(トマト)と
ピクルス用の胡瓜の種も取り寄せた。
これらの野菜も、その世代を繰り返しながら異国の庭で安らかな旅をつづけている。
トマトや胡瓜は、完熟した物を握りつぶしてバケツの水に浸けて3日ほど日向に置いておく。
それから、種を採って水洗いし、乾燥保存する。
種は、乾燥した暗い所で保存する。
Heir-loom Seed (イアールーム・シード)という言葉がある。
世襲財産としての野菜や植物の種をそう呼ぶ。
地域地域で代々受け継がれてきた在来の固定種だ。
我々は、ホームセンターや種苗店の棚から気軽に種袋を買い求める。
昨今はF1(交配)の種が流行。
一世代限りの固定化されていない種だ。
F1の種からは、同じ種は採れない。交配以前の種になる。
中には種ができない物もある。そのような種を不捻という。
F1は良いとこ取りをしたクローン的な交配種としてある。
均一に育って、収穫期も均一。
で、コマーシャル(商業的な)栽培に向いている。
品種改良の賜とされる交配種だが、その特性は家庭菜園にはかえって不向きだ。
我々の庭では、収穫期はむしろバラバラであった方が好都合なのである。
F1交配の種は悲しい。
「不捻性(植物が種子を生じない現象)の種から育った作物には、
栄養学的な欠陥が潜んでいるんじゃないだろうか?」という疑念が残る。
自分の庭の気候にあった種を育てていく歓びが、F1交配種にはない。
山間高冷地の庭には高冷地に向いた種が必要だ。
種は、三世代繰り返せばその庭に順応する多様性を持つといわれる。
「27年間完全有機栽培の我が圃場で、もっともっと素敵で元気な種になれ」。
そう祈りながら、夏を一緒に暮らす幸せが交配種にはない。
交配種の種は短命。
1年経っただけで、発芽しにくくなる。
エリア、エリアに適した固定種の種を
きめ細かく販売しようとしない大手種苗会社が為していることは、
中央集権的であり独占資本主義的だ。
この国の独占的電力会社のそれに似て、交配種の種はコストリーだ。
そしてね、たぶん、きっと、行き過ぎたそれへの過信と乱用には危険がね……。
1991年8月。「薪ストーブの本 ~薪エネルギーと薪焚き人の人生~」が出版された。
ハードカバー上製本のカバーには我が家の赤いアンコールが印刷された。
表紙カバーの赤い帯紙には大きな白抜き文字で、こう書かれている。
「“薪ストーブの時代”が、そこまで来ている……」と。
版元の社長は刷り上がった「薪ストーブの本」の帯紙を見て、
「本当に大丈夫だろうね」と一言つぶやいた。
「はい、ご安心下さい」と、応えた。
北海道の出身だった社長にしてみれば、“薪ストーブ”には好ましい印象がなかった。
薪ストーブの時代が来るなんて、誰も思っても見なかったのである。
今から20年前に、わたしは“薪ストーブの種”を播いた。
以来、「薪ストーブの本」は12刷りされ、13刷りを待っている。
その間に、盟友ポール・キャスナーのFIRESIDE は大きく育って、綺麗な花を咲かせている。
11月3日文化の日に、FIRESIDE 設立25周年記念“ARIGATO FESTIVAL” が開催される。
タブチ君も呼ばれて、「薪ストーブのチカラ」という標題での講演会も。
こぞって、ご参集されたし!
何かといえば、ネガティブな情報ばかりが流布されやすい時代だ。
しかし、種は播かれつづけている。
木の実や草の実が風に乗って大空を翔ていくように、
翼持つ新しい時代の種が播かれつづけている。
やがて春が巡れば、それらの種は元気に芽吹いて、立派に成長して開花するだろう。
新しい世代は老朽船を修復したりはしない。
新しい人たちは、新しい船を建造する。
そして、月のない暗い夜に、人知れず大海原に出航していく。
「ひとりの子供が、彼の仲間と歩調を共にしないのは、
その子供はみんなとはちがうドラムの音を聴いているからだ。
人は、どんなに遠回りでも、
またそれが、どんなに調子外れなものであっても、
自分の耳に聞こえている音楽に合わせて人生の歩みをつづけていくべきだ。
林檎や楢の木と同じように早く成長しなければならない理由など、我々にはない。
自分の春を、急いで夏にしてしまう理由など、我々にはない」。
Henry David Thoreou 「Wolden or Life in the woods 」1984 年より。
追伸:ARIGATO FESTIVAL の当日、会場でタブチ君の木工品の展示即売が。
また以降、FIRESIDE 本社ショウルームで、彼の木工製品が展示販売されます。
Come visit to KOMAGANE.
Photoes by Yoshio Tabuchi