田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Woodpile 薪山

チェンソーを新調した。
大中小のそれを使い分けているが、中型の主力機種が老朽化した。
30年前に買ったHusqvarna 238SG と共にこの山暮らしはあった。
238SG はプロ使用の高価な機械だった。20万円以上した。
2ヶ月月賦にしてもらったことを憶えている。

この時代の工業製品は高価だった。
だが今にして思えば、これらの道具はおしなべてロングライフ(長寿)だ。
この家の自慢である赤いアンコールもそうだし、
薪焚きのクックストーブであるハスクバーナ・ベトスピスもそうだ。

238SG はまだ健在なのだが、
どうチューンしてもエンジンの出力がマキシムには至らない。
ハスクならではの、あの甲高い排気音が轟かない。
ハスクはモーターサイクル・メーカーである。 

軽量であることで評判が高いSTIHL のそれにしようと思っていた。
しかし、縁あってまたハスクになった。
今度のそれは、338XP 。エンジン排気量39c.c. 。
ガイドバー15インチ(38㎝)。
238SG と同じスペックだが、3,8 ㎏と軽量だ。
 
タブチが、新しい翼を持った。
この11月は、ハスクの甲高い排気音がコールドマウンテンを飛び回っている……。

 

 

林業的労働は、古典的な肉体労働である。
これは、今時貴重な男の仕事だと言える。
今ではチェンソーを持つ女子もいる。
そういう婦人には、背筋を伸ばして敬礼!
「世界は誰かの仕事でできている」。
ジョージアの缶コーヒー・メーカーは、彼女らに缶コーヒーを贈るべきである。

樵的労働は、3K そのものといえる。
汚い、きつい、危険。だが、この古典的肉体労働には不思議な魅力が潜んでいる。
この形而下的な肉体労働の本質は、
実は形而上学的な“悟り”から成っていると思えるのだ。
そのことを意識しようがしまいが、
「人はどう生きるのか?」という哲学を抜きにして、
なんびともこの仕事に従事することはできない。
高度にハイテク化された時代だから、そう云う言い方に新鮮さがあるように思える。
でも、そうじゃないんだ!
昔も今もそうだったのではなかろうか? 

 

 

言いたくはないのだが、
アスレチックジムに通って汗を流す者の人生がわたしには理解できない。
彼ら彼女らは、二重に疎外されている。
命削って稼いだ金を無駄遣いして、非生産的な運動に汗水流して、削った命を取り戻そうと努力する……ということは、そういうことである。
 
時代の変遷とそこに生きた人生の踏み跡と。
わたしはこの30年間、
“21世紀における自給自足的自然生活”ということに興味がある。
なぜなら、現代における究極のアウトドアアクティビティーは自給自足的自然生活だと信じるからある。
30数年間に及ぶこの山暮らしは、毎日がアウトドアアクティビティーだった。
わたしは、この国ではちょっとは名の知れたフライアングラーだが、今では食べない魚は釣らない。

 

 

薪小屋の庇を2尺ほど増築した。
そこに樋を取り付けてもらった。
薪小屋にも樋は必要だ!
薪小屋は、いつも乾いているべきだ。

積み込むのが難しい曲がった薪や根株は、雨水のかからない軒下に立てておく。
木元を天にしてしておけば、より早く水分が下がる。
実をいえば、薪は立てて乾燥させたほうが早く乾く。

薪の水分は木質の細胞に閉じ込められている。
その細胞壁が壊れて水分が蒸発することで、薪は乾いていく。
薪山は、陽当たりがよく風通しがよい場所に築く。
風が、その水分を運び去ってくれるからだ。

薪は、凍り付く厳しい冬によく乾く。
夜間に凍った薪が昼間に熔けて、
それを繰り返して薪はフリーズドドライしていく。 
薪は、原則12ヶ月は乾燥させるべきだ。
晩秋に積み込まれ薪は、冬にフリーズドライされる。
そして、夏の高温でその水分を更に蒸発させる。
1年間シーズニングされた薪は、飲み頃のワインになる。
2年物のそれは、ブランデーになる。
3年物はコニャックに。
しかし、それ以上ねかせた薪はヴィネガーになる。
カミキリムシの幼虫の食害等により、
炭素エネルギーとしての質量を損なっていくからである。

 

 

野積みの薪山には、さまざまな積み方がある。
一般的には薪山の両端を井桁に組んで、その間に薪を積む。
全てを井桁に組み上げる人もいる。
薪山は日当たりのいい面を高くして積み上げていく。
そうしないと、その薪の壁は早晩崩れるだろう。
なぜなら、そこの薪はより早く乾いて痩せて低くなっていくからである。

わたしの庭は、立木に恵まれている。
なので、立木と立木の間に薪を野積みするのが好きだ。
この薪の壁は、芸術家には描くことのできない見事な曼陀羅の壁画だ。

この家には5台の薪ストーブがある。
一台のアンコールとレゾリュート、2台のイントレピット。
それから、台所のクックストーブ。
実をいえば、風呂焚き小屋にもう一台、薪焚きのボイラーが。
だから、薪の長さとその太さはよって積み分けられる。
50,40,30cm。
三つの薪山に分けてそれは積まれる。

 

 

この晩秋に、1年分以上の薪山を積み上げてみれば、
わたしの命運はまだつづくと感じた。
どう言えばいいんだろうか?
購入した丸太の他に、みんなの力を借りて、
目通しの直径50㎝のハルニレを2本倒して、
自力で中継木のミズナラを7本伐木して、
少し冷や汗もかいて、自分は自分できっちり健康診断したのだった。

家庭菜園、大工仕事、椅子作り、それから自分のヤードの樵仕事と薪作り。
自分たちのために為す自分たちの古典的肉体労働は、昔も今も貴い労働である。
それは、時代や金や社会化状況がどうであれ、
今までもこれからも自分は自分らしく生き長らえていくんだという決意表明でもあるんだ。

 

 

「誰もが、自分の薪山をうっとりとした気持ちでみつめる。
わたしはそれを好んで窓辺に積んだが、
木っ端が多ければ多いほど、それは愉快な仕事を思い出させた。
誰の物とも知れない古い斧を持っていたが、
それを振るって冬の日に家の日溜まりで豆畑から掘り出した根株と戯れた。
わたしが豆畑を耕していたときに、
例の御者が断言した通り、それはわたしを二度暖めた。
根株を割っているときと、燃やしているときと。
つまり、薪以上にわれわれを暖めてくれる燃料はないということだ」
 WALDEN Henry David Thoreau

 
Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は2019年1月下旬です。

 



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