田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

地球温暖化と薪ストーブ

国連のG7気候変動会議に呼ばれたグレタ・トウンベリが、
世界のリーダー達を相手にしてこう叱責した。
「あなた達は、何かと言えばお金の話ばかりしている。
経済成長が永遠につづくかのようなお伽話を……
よくそんな嘘が言えるもんです。
わたし達は気付いている。
今、何が起こっているのかを。
30年以内にこの温暖化をストップさせなければ、
わたし達は全員悲惨な暮らしをしなければならない。
わたし達はあなた達の裏切りに気付いている。
わたし達子供を裏切ったら、あなた達を絶対に許さない」  

スウェーデンからやって来た彼女は、今、世界で一番輝いている環境活動家。
グレタは翼とイーグルの眼差しを持つ15歳の少女。
アルカディアンのジャンヌダルクだ。
彼女は、セールボートに乗ってニューヨーク・シティーにやって来た。
この日、世界中で400万人の少女少年若者が、
「ストップ・温暖化」のプラカードを掲げてデモをした。

 

 

経済成長しつづけなければ、わたし達はまともな暮らしができないんですか?
もっと多くのお金を稼がなければ、わたし達は豊かになれないんですか? 
自動運転の自動車に乗りたければ、バスかトレインか船に乗りなさい。
運転手付きだぜ。しかも、コストは低廉。
ただし、航空機はださい乗り物。
PM2.5と温暖化ガス大量排出のモンスターだ。

EV(電気自動車)、水素ガス車は走る矛盾。
電気は何からつくられるんだ。
水素ガスはもの凄い量の電力からつくられる。
こういう話を聞いた。
プリウス1台分のバッテリーに使われるリチュームを抽出すると、30坪の土地が300年間土壌汚染する。
塩酸とか硫酸とかで抽出して、猛毒の抽出液はほとんど垂れ流しにされるからである。

 

 

自分の見解によれば、日本には200年分の自動車がすでにある。
これらの自動車を村や町の修理工場で修理しつづければ、新車は1台も造らなくていい。
その分、資源は保全され、温室効果ガスは排出されない。
イノベ−ションよりリノベーション! レトロな車はいいぜ!
余計な物は何にも付いてないんだ。
デジタルよりもアナログ。究極のデジタルはアナログだ。
デジタルは短命で使い捨て。アナログは職人の仕事。
アナログの道具はロングライフ。しかも、簡単に修理修復できちゃう。
100年後の人々は、100年前の車を誇らしげに運転するんだ。

家のベースメントには35年前の二槽式洗濯機がある。
作業服を洗濯している。わたしはこの洗濯機が好きだ。
モーターの動力を借りて自分が洗濯するからだ。
最小限の水と洗剤で、如何に綺麗な洗濯を為すか。
それは、水環境に負荷をかけたくないと願う者の、誇りであり歓びだ! 
お利口そうなデジタルは、浪費家。
お利口な振りして無駄遣いしてドレインシステムに負荷をかけてる。

 

 

過去をゴミ扱いすることで、イノベーション(革新)がある。
産業界はイノベーションの連呼。
環境に配慮した製品作りに心掛けています。
嘘でしょ! きみたちは地球の資源を乱用して、温室効果ガスとゴミを作ってるんだ。
化粧好きの婦人と同じ。洗面所のゴミ箱はゴミだらけ。
ドレインシステムが悲鳴をあげてる。綺麗になったのはあなただけ。

見え透いた夢物語は、ここまで!
技術革新と経済成長の高速道路が何処へ向かっていたのかが、わかってしまった。
それは、ゴミ山脈と未曾有の気候変動の海へだ。
 
どうしよう?
反省してます。悔い改めます。
でも、どうしたらいいんだろう?

 

 

「薪拾って、薪焚いて、暮らすんだよ!」
コールドマウンテン・ボーイズの一員である阿知波さんがそう言ってる。
林野に打ち捨てられた間伐材や倒木。野原や河川敷きに転がっている丸太。
これら“木”と呼ばれる炭水化物は、
酸素と水を消費しながらゆっくりとした酸化過程を経て土に還っていく。

その木を薪にして、ストーブで焚く。
それは、この酸化過程を急激に為すということだ。
よって、ストーブの煙道から排出された二酸化炭素はゼロとして捉えられる。
緑の立木から作られた薪を焚くのも同じことだ。
樹木は、林床の養分に富んだ水と二酸化炭素と太陽光線で驚くべき光合成を為し、炭水化物を形成する。これが材木である。
材木は大気中の二酸化炭素を封印した炭水化物としてある。
それを焚いて排出された二酸化炭素は、
もともと大気中にあったそれに帰っていったのだ。
里山の木を焚くということは、みんなで自分たちの環境を整えるということでもある。

 

 

今のところ、この気候変動をくい止めることはできないだろう。
何故なら、温室効果ガスは我々の欲望の鏡としてあるからだ。
我々は低俗な娯楽と欲望の奴隷だ。
資本主義は、人を押しのけ富を築き、贅沢を為し、
高級車を持つことが人生の目的だと教えつづけてきた。
で、その結末が洪水時代の到来だ。
それは、水位が上昇したゴミだらけの海と、
降り止まない雨の巷での悲惨な暮らしだ。

 

 

みなさん、山で暮らしましょう。
山で、薪拾って、薪焚いて、クリーンな暮らしをしましょう!

我々は、もっと低収入でいい。
しかし、もっと豊かに暮らそう。
貧富の相違は、ただ心の有り様の問題。
我々は自然に寄り添って、質素で無名であることを成熟した野心だと思おう。
 
進歩を疑え。我々は今、文明の転換点に立っている。 
 
「わたしの人生はとても質素なものだと感じる。
簡素さと、安価な物と、質素をわたしに与えよ」
  Thorseau’s Journal 1856年

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は2019年11月下旬です。

 

 

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