田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

美しい夏

白い風の娘の夏は逝った。
黒い瞳のスーザンの、黄色い夏が燃え立っている。

(白い風の娘はキンポウゲ科のAnemone dichotoma=フタマタイチゲのタブチ君的詩的別名。
アネモネはギリシャ語で風の娘の意。
このアネモネに対するフタマタイチゲという命名はいかにもそっけない。
この北方由来の清々しい初夏の白いアネモネは、
その名前ゆえにいちじるしく過少評価されている。
このアネモネは、ハクサンイチゲのお姉さんだ。
黒い瞳のスーザン=Black eyed SusanはRudbeckiaのコモン・ネーム)

 

 

たったの2行で初夏から盛夏への季節の移ろいを表現することができる。
自然趣味的教養=情報を共有できないから、このような注釈が必要になる。
どうして詩が読まれなくなったのか?
それは、人の興味が散文的になったからだ。
人は今、人同士でばかり人生を分かち合いたがっている。

「個性的で、友達がたくさんいる子供に育って欲しい」
若い母親がそう言う。
個性的であることは、友達が少ないかいないかのどちらかであることを、
この母親は理解していない。
だから、人と人の関係が難しくなる。
子供の苛めが社会問題になっている。
思うに、苛められる側の子供の個性が尊重されないから苛めが起こる。
「友達なんかいなくてもいいのよ!」
親や周囲の大人はそう言ってあげるべきなんだ。

 

 

今にして思えば、タブチ君は個性的な子供だった。
この子供は自分の趣味にしか興味がなかった。
盆栽と魚釣りと、それから昆虫採集。
季節を巡ってこれらの趣味を渡り歩いた。
彼の友達は自然趣味だった。
自然趣味には、自然を巡る教養が必要だ。
この子供は盆栽と魚釣りと昆虫採集の本と雑誌をたくさん読んだ。
「学業はおおむね優良といえるが、協調性に欠けるきらいがある」。
彼の通信簿の通信欄にはいつもそう書いてあった。

 

 

盆栽好きな老人以外には、彼に友達はいなかった。
友達が欲しいとも思わなかった。
この子供は、人間よりも自然に興味があった。
だから、彼は誰も苛めなかったし誰にも苛められなかった。
この子供の夢は、いつか薪ストーブを焚きながら山で暮らすことだった。
 
資本主義の最大の欠点は、人が人や人が造った物ばかりと人生を分かち合うようにプロパガンダしつづけることだ。
それが、資本主義のテーゼ(綱領)だからである。
資本主義にとって、自然趣味は危険な存在だ。

 

 

今朝、ワスレグサが咲いた。
ヘメロカリスが咲けば夏はたけなわ。
Hemerocallis =hemera(一日)+callos(美)。
萱草(かんぞう)と書いて忘れ草と読む。
ユリ科ヘメロカリス の花を見れば憂いを忘れるという。
で、この花には忘憂草という漢字もある。
ヘメロカリスの英名はDay-lily。
一日限りの開花だからだ。
とはいえ、次々に毎朝新しい花が咲く。
恋は束の間だが、惜しみなく咲きつづける?

ヘメロカリスは欧米では人気の百合だ。
昔、日本から輸入されたそれが品種改良または交配して、多くの品種がある。
その多くに、Japanese Day-lilyのコモン・ネームが。

 

 

タブチ君が作詞作曲した忘れ草にまつわる歌の歌詞を紹介しましょう。
歌詞は古典的なソネット。
14行の定型詩でやんす。

 夏のソネット

♪八ヶ岳見えてて 
 忘れ草咲いてた
 草原の道だったね 
 二人で歩いた

 八ヶ岳見えてて
 忘れ草咲いてた
 あてどない日々だった
 二人で暮らした

 八ヶ岳みえてて
 忘れ草咲いてた
 あれが赤岳
 その横が横岳

 八ヶ岳見えてて
 忘れ草咲いてる

 

 

菜園の圃場では、チコリーの青い花が満開だ。
この花の青さは、フェルメール・フォン・デルフトが描いた北方の空の青さだ。
(フェルメールの絵の原画は見たことがないけど)。
蜜蜂さんはこの青い花が好き。
花から花へ飛び移って、後ろ脚の花粉籠に白い花粉を貯め込んでご満悦。

 

 

夏の風呂焚き釜は、化石エネルギーのそれから断然薪エネルギー・モード。
夏の遅い夕暮れに、風呂焚き釜に手作りの火を起こして風呂を沸かす。
それは、山暮らし人の特権。
薪焚きの湯は6時間以上冷めない。
熾き火が湯を温めつづけるからだ。
わたしは夕食前にお風呂に入るのが好き。
妻は、わたしが就眠して後の深夜に。
それでも熱くて、浴槽から湯がこぼれるほどに水を流しつづけたと言う。

村内では、薪で風呂を沸かしている家は案外と多い。
庭先に積まれている薪山を見れば、そうだと分かる。
風呂焚き用の薪は、細く割られているからである。
ボイラー・システムとしてある風呂焚き釜は、
薪ストーブと違って温水転換チューブに熱を奪われつづける。
で、細く割られた薪で火力を高温に保たなければならない。

 

 

薪風呂を沸かしていると聞けば、人はそれを素朴な暮らしだと感じる。
素朴の朴の字に木があるからね。
でも、実際はそうじゃないんです!
薪で風呂を沸かしている人たちは、ソフィストケートされた者達。
田舎者じゃないんだ。

薪エネルギーこそが風呂を沸かす最良のエネルギーであり、
その湯の高級さ贅沢さに気づいているからこそ、薪で風呂を沸かしている。
薪焚きの湯に浸かってみれば、人は温泉に浸かりたいとは思わない。
薪で風呂を沸かすことは、損得じゃないんだ。
それは、山村における人生のクォリティーに関わる問題なんです。

 

 

薪焚き風呂の愛好者に、キンドリング・クラッカーの存在を教えてあげたい。
ニュージーランドの娘が発明したこの薪割りツールは最高だ。
こういう道具を“リアル・グッズ”という。
これは、全ての薪焚き人垂涎の道具だ。
3年間この道具を庭に置いて使って、
この夏その真価を理解したことを報告したい。
アーメン! 合掌!

 

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は2018年9月下旬です。

 

  • ページの先頭へ

薪ストーブエッセイ・森からの便り 新着案内