田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Keep fire woods in your wood-shed. 薪ストーブと原発

いつになく健やかな秋がつづいた。
このまま秋がずっとつづくように思えた。
夏をのらくらと無為に過ごしてしまったので、10月と11月は雑事に追われた。

で、薪作りがまだできていない。
枯葉集めができていない。
枯葉は、木枯らしに吹き飛ばされる前に熊手で掻き集めて、
堆肥置き場に積み込んでおくべきだ。

庭の冬支度がまだできていない。
球根を掘り起こして、植え替えなければならない。
花壇の球根は、5年に一度は秋に掘り起こして菜園の圃場に植え替える。
そうすることで、立派な球根を沢山育てることが出来る。
それを、来年の秋に花壇に植え込むんだ。
毎年、球根を買い求めている園芸家はバカだ。
球根は、自分の庭でいくらでも増やすことが出来る。

ストーブの煙道掃除とストーブメインテナンスは、10月のうちに済ませた。
当然じゃないか!
何があっても、それだけは木枯らしが吹く前に済ませておくべきだ。

薪作りは、来週末に為す。
しかるべき薪友(しんゆう=親友)に電話して、5人からなる精鋭部隊を編成した。
この原稿を書き終わったら、わたしは3台のチェンソー・メンテナンスを為し、
薪作りのための装具を整える。

薪作りの準備は、アウトドア・アクティビィティーのそれに似ている。
今回のそれは、ロッククライミングもある登山に似ている。
庭の大きな立木を何本か倒さなければならないからだ。
クライミング用のロープと安全装具を点検しなければならない。
食糧計画と寝泊まりのための手配も重要だ。
ベースキャンプは、庭のキャビンと庭のキャンプファイヤ・プレイスとする。
いいぞ、五人編成の精鋭部隊が一泊二日の計画で、
薪山のサミットに集中アタックを懸けるんだ!

冒険と計画。
ことを為すに当たっての計画と準備は大切だ。
それを、成し遂げるための戦略戦術。それを考えることが、老兵の仕事だ。
経験が全てだ!
チェックリストではチェックできない伏兵が潜んでいるだろうことを考慮しなければならない。
突進と退却。そして、休息。

わたしの青春は、アウトドア・アクティビィティーと共にあった。
登山とバックパッキングとロッククライミング。
それから、鱒釣りとカヌー旅行。
高山によじ登ったし、身震いするような急流に立ち込んで、でっかい鱒を釣った。
若い間に稼いだ金は、そういうことのために費やされた。
で、わたしの人生に余分な金があったことはない。 

人は、そんなわたしを“アナーキーで自滅的な奴だ”と思った。
さもなくば、“能天気なバカだ”と。
「あんなタブチだから、あんな山奥に引っ越して自給自足だなんて言ってられるんだ」と。
しかし、とうの本人は案外臆病で気の小さい奴だということを、人は知らない。
今も昔も、タブチは大胆な奴ではない。

小学生の頃のわたしの通信簿の余白には、いつもこう書かれていた。
「学業は優良といえるが、協調性に欠ける嫌いがある」と。
担任教諭のこのコメントは、タブチ君をずっと悩ましつづけた。
養老の身になってさえ、それが棘のようなトラウマとなって残った。

この度の大震災と大津波の折りに、こんなことがあった。
海辺の小学校の学童が70人余り、津波に流されて命を落とした。
避難マニュアル通りに、先生に誘導されて指定された避難場所に向かう途中に、
みんな津波に呑みこまれてしまった。

しかし、3人の学童が生き残った。
先生の指示に従わなかった一人の子供が、学校のすぐ側の裏山に駆け登った。
二人の子供が彼の後につづいた。
協調性に欠ける三人の子供は手に手を取り合って、協調しながら裏山に登った。
そして、怪我もしないで助かった。

この物語は、哲学的な寓話として後生に語り継がれるだろう。
辛くて重たい物語だが、協調性に欠ける3人の子供だけが無事だった。
そして、タブチ君のトラウマはとけた。

わたしの学生時代の後半は、学園紛争に明け暮れる日々としてあった。
擦り切れた全学連旗を掲げて街頭デモの先頭に立ったこともあった。
青い林檎にかじりついて、その酸っぱさを学んだし、
機動隊の棍棒は痛いものだと知った。
我々は、野良猫のように蹴散らかされた。そして、高度経済成長の渦に投げ込まれた。

あの時代のあの学生運動への情熱がなんであったのかは、自分には永遠の謎としてある。
だが……協調性に欠ける学徒達の腹いせだったかも知れない…という羞恥は残るにしても、後悔はない。
何故なら、そこには時代や社会に対する“純真さ”があったからである。

“オール電化時代”のただ中にあって、薪ストーブの愛好家になった薪焚き人は、
協調性に欠ける学徒として捉えることができる。
原発よりは、森や山や渓流を敬うべきだと考えた者達が、
薪ストーブのある家を築き、菜園を耕した。

協調性にたけた時代のエリートを笑え。
原発を推進してきた科学者と、
学生運動を笑いながら国家官僚の梯子を登りつめた学友を笑え!
金融資本主義者の鞄持ちになった数学者を笑え。
きみたちは、世界は弱肉強食の競争社会だというダーウィンの亡霊にまだ取り憑かれている。

自然界は、種の多様性から成り立っている。
それを可能にしている原理は、“棲み分け”だ。

エネルギーに関わるカウンター産業として、
20世紀を生きながらえてきた薪ストーブ。
その細い流れを集めて、薪ストーブが今、確かなストリームになろうとしている。

協調性に欠けていた者達が、来週末にこの庭に集まり、
チェンソーと薪割り機のエンジン音を寒山の谷間に轟かせる。
それは、独裁的中央集権主義エネルギー政策にNOを唱える者達の
誇らしげなシュプレヒコールなんだ。

何度でも大きな声で言う、
「原発は時代遅れだ!」と。

Photoes by Yoshio Tabuchi

 



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