田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

薪作り

 

菜園の土が凍って、ゴボウも長芋も掘れなくなってしまった。
季節がまっしぐらに冬へと墜ちていく。
来る日来る日の夕暮れを、近所の川で岩魚釣りに興じた夏の思い出も、今は記憶の彼方。

冬へ…。
花も緑もない長い冬。
それが寒い山に住む者の定めとわかってはいても、冬への崖を転げ墜ちていく気分は嫌なものだ・・・。
だが、冬になってしまえば覚悟は決まる。

冬には冬のよさがある。
少なくとも、冬は菜園の草むしりをしなくていい。 芝刈りをしなくていい。
冬は、イントレピッドで木工室を暖めながら好きな木工に没入することができる。
家具作りは、冬の孤独を慰めるに最良の暇つぶしだ・・・。
リビングの赤いアンコールに惜しげなく楢の薪をくべる。
缶ビール片手にロッキングチェアーを揺すりながら、12チャンネルの“午後のロードショー”見て時を無駄遣いするのも、 冬ならではの楽しみといえる。

 

 

冬もいい。冬には冬に為すべきことがある。それは薪作りだ!
19世紀アメリカの自然派作家であるヘンリー・ソローは名著“ウォールデン”のなかで、こう書いている。

「誰もが、うっとりとした気持ちで自分の薪山を見つめる。
わたしは、それを好んで窓辺に積んだ。
薪作りの折りに出た木切れが多ければ多いほど、それが薪作りの楽しみを実感させた。
わたしは誰の者とも知れない古い斧を持っていたが、その斧を家の日溜まりで振るって、
冬の日の幾時間かを自分の豆畑から掘り出した切り株と戯れた。
わたしが豆畑を開墾しているときにあの御者が言ったように、切り株はわたしを二度暖めてくれた。
一度は、切り株を割っているとき。それから、それを燃やしているとき…。
つまり、薪以上に人を暖めてくれる燃料はないということだ」

 

 

薪は、化石燃料や電気の代替エネルギーではない。
薪は永遠のエネルギーであり、それは森からの贈り物である。
薪ストーブを焚いて暮らすということは、自然を敬うということだ。

いろんな考えがあり、いろんな文明や文化が時代と共にある。
全てを乗せて、我が惑星はその地軸を23.5度傾けて一日に一回スピンしながら一年かけて太陽の周りを一回転している。
だから、季節がある。
そして、我が太陽系は二億年かけて我が銀河をひと巡りしている。
不確かな未来図に一喜一憂することなかれ。先のことなど、本当は誰にもわかっていない。

我々は“薪ストーブ党”の党員である。
薪さえあれば我々の暮らしはどうとでもなる。
薪作りは厄介な仕事のように思えるが、やり始めてみればそうでもない。
古典的な労働倫理に促されて斧を振るってみれば、そこには健全な労働の歓びがある。
自分の肉体を自分のために動かすスポーツの楽しみがある。
全てを忘れ、年金と貯金通帳の数字を忘れて薪を割る労働には禅的な瞑想がある。
薪を割る音には音楽がある。

自然を敬え!なかんずく我々は森と樹木を。
樹木は、この世で一番荘厳な創造物。
森は、地上に心地良い木陰を投げかけてくれる。
治山治水を為し、美味しい水と新鮮な酸素を供給してくれる。
樹木は、最も好ましい我々の家になり家具になり燃料になる。
薪ストーブや薪焚きのオーブンで調理した食物の美味しさは、他のエネルギーで為したそれをよせつけない。
そして、樹木は我々の棺となる。

 



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