田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

薪ストーブとカッパーケトル

寒山の春…。
或る朝、枯れ葉に埋まっている庭の日溜まりに綺麗な紫があることに気づく。
「なんだろう?」と思ってその色をみつめる。クロッカスの花の蕾が ふくらんでいる! 
もしかしたら…と思ってムスカリの花壇をのぞき込んでみる。
すると、冬越しした葉叢(はむら)の付け根に花の蕾を発見する。
今年最初に 花の色を見た瞬間の嬉しさは、会いたかった女(ひと)に或る日偶然街角で出会ったときのそれに似ている…。

やがて、ヒマラヤン・ピリムローズが真ん丸いピンク色のボンボリを灯す。
水仙がレモンイエローの笑顔で微笑む。チューリップの蕾がふくらむ。
そして、スモモの白い花が甘い香りを春風に乗せる。
そうなれば、春はもう日捲りのカレンダーのよう。
山桜咲き、リンゴの花の蕾がほころび、木立の新緑が窓ガラスをもえぎ色に染めていく。

この寒い山里で25度目の冬を数えて、またの春。
季節は春たけなわだが、気がついてみれば人生の夕暮れについて思いを巡らさなければならない齢(よわい)になった。
人生は思っていたより長くて、「どんな人生も容易くはないんだ」と今頃になって悟っている。

誰でもが、自分の生活を向上をさせたいと願っている。
だが、貧乏を追い抜く貯金通帳には恵まれ難く、そうは容易く生活の向上を果たすことはできない。
では、どうすればいいのだろうか?
で、アサヒのステタイニーボトル片手にソファーに寝そべって、
好きなメジャーリーグのベースボールゲームをテレビ観戦しながら考えた。

「いつまでたっても生活が向上しないんだったら、生活に対する態度を向上させるしかないな。
それだったら、金がかかることではないから、できるかもしれない…。
そうだよ、絶対にそうだ! カッパーケトルがそう言ってる」と。

去年、大小二つのカッパーケトルを買った。
19世紀にストーブトップで愛用されていた銅製の湯沸かしをリストアーした物だ。
円錐形のクラシカルなデザインが気に入ったし、アンコールのストーブトップに似合うとおもった。

秋からずっと、大小二つのこのケトルはストーブトップに置かれつづけた。
両手使いのハンドルなので使い勝手が良かった。
ストーブトップでいつも熱い湯がたぎっているのは素敵なことだ!
「この家の生活が向上した」と感じた。とにかく便利なのである。
好きな紅茶をいれるとき。食事の用意をするとき。食後に食器を洗うとき等々。

熱い湯がいつも潤沢にある便利さと豊かさを数え上げてみれば、枚挙にいとまがない。
少し温くなった湯に浸かるときにもケトルをぶら下げていく。
5リットルの熱湯を湯船に注げば、結構いい湯加減になるものだ。

それからもうひとつ、ケトルの湯には有り難いことがある。
それは、ストーブトップで沸かした湯は “柔らかくて美味しい”ということである。
さて、問題の核心に入ろう。ここで問題にしたいのは、熱湯のコストだ! 
つまり、ストーブトップで沸かす湯のエネルギーコストはフリー(ただ)だという事実である。
では、5リットルの湯をプロパンガスのレンジで沸かすにはいくらかかるのだろうか?

小雪舞う冬の日の徒然なるままに、電卓で計算してみた。
その日の水道の水温は4℃だった。
ケトルに5リットルの水を入れた。
ガスレンジでケトルの湯が沸騰 するまで25分の時間を要した。
そこでガスを止めてメーターをチェック。そのコストを計算してみた。

35円というエネルギーコストがはじき出された!
大 きい方のカッパーケトルなら、5リットルの湯がたぎっても噴きこぼれない。
そのときのアンコールの火力によるが、だいたい1時間で熱湯になる。
ということ は、アンコールのストーブトップで1日50リットルの熱湯を楽々湧かすことができる。
プロパンガスのコストにすれば、1日350円。1ヶ月10,500 円!

寒山のこの家でアンコールの火が消えるのは7月と8月の二ヶ月間だけだ。
結論。グランマーカッパーケトルがこの冬にわたしに教えてくれたことはこういう ことです。
「節約とは、ケチをすることではない。
気の利いた道具への気の利いた出費が、自分のビール代を肩代わりしてくれるかもしれない。
物より心だ、な んて言う奴は嘘つきだ。買いなさい。心ある道具を買いなさい」ということだ。



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