田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Summer vacation of the Woodstoves 薪ストーブの夏休み


「森の中で道が二つに分かれていた
わたしは……踏み跡が少ない方の道を辿った。すると、すべてが違うものになった」

Robert Frost (ニューイングランドの詩人)

人生はひとつづきのハイウェイのよう思える。
しかし、人生のナビゲーションは、目的地が入力されていないモニタースクリーンに似ている。
人生には目的地がないからである。
人生のGPS は、今、自分がここにいることだけを示している。

高速道路がある。一般国道がある。県道があり、村道がある。
農道があり、林道がある。そして、草深い脇道がある。

人生にはいくつかの交差点がある。
いずれにしても、その道が何処につづいているのかは誰にも分からない。

ある時、わたしは草深い森の小径を行くことにした。
同行者は踏み跡の確かな道を選んだ。
わたしはみんなと別れて、その路を独りで辿った。
草深い森の小径の奥のほうに、明るい光のようなものがあるように感じたからだ。

森の中に草地があった。
テントを張ってそこでキャンプをすることに決めた。
枯れ枝を拾い集めて焚き火を起こした。
焚き火の煙のいい匂いが森に漂った。
「いいな、これだ! 焚き火だ。薪だ。
薪さえあれば何とかなるかも知れない」。そう思った。

わたしは、この森の空き地が好きになった。
もっと、ここで暮らしてみたいと思った。
季節は夏で、天気もよかった。
誰にも逢わない森の中だったが、淋しくはなかった。

インディアン・ティピーを持ち込んで、長逗留することにした。
ティピーの床に石で囲炉裏を組んだ。
ティピーの囲炉裏で焚き火を焚いて、夏を暮らした。

夏はいつまでもつづかない。
季節が巡って、秋の長雨がやってきた。
インディアン・ティピーは、雨の少ないデザートに向いたソフトハウスだということを悟った。

四角い木の家を建てることにした。
木の家の中で焚き火はできない。
薪ストーブを買ってきた。台湾製の素朴なストーブだった。
当時は、そんなストーブしか手に入らなかった。
それでも、薪ストーブの暖かさは素敵だった。

わたしは、“薪ストーブ”というこの古風なエネルギー・システムに魅了された。
ヨシオ君は、大都会の下町のガソリンスタンドの子供として育った。
化石燃料の臭いの中で育った子供にしてみれば、薪エネルギーは“魔法の火”に思えた。

最初は水道もガスもなかった。
沢水を汲んだ。薪ストーブで煮炊きした。
不便だとは思わなかった。
毎日がキャンプ生活のようで、ヨシオ君は幸せだった。
そして、薪ストーブのない暮らしなど考えられなくなった。
「きみがいなければ生きていけない……」。ヨシオ君はそう思うようになった。

やがて、電気が来た。プロパンガスが来た。
電話が通じた。ファクシミリが普及した。
パソコンが来た。光ファイバーが来た。
月が移り、星が巡り、木々が育った。
29年と9ヶ月の歳月が過ぎた。

テクノロジーの進歩には凄まじいものがあった。
で、「アナログ世代にしてみれば目が回るような三十年間だった」ようにも思える。
けれども、その一方で「べつにー、何にも変わっていない!」という思いが強くある。

利便さと不便さは、相対的なものにすぎない。
ひとは幸福を求めて自分らしく生きようと務める。
だが、文明の利便さを享受することが幸福への近道だと思うのは、錯覚だ。
なぜなら、文明の利便さにはコストが伴うからである。

利便さを、ひとは金で買ってる。で、より多くの金とリスクが必要になる。
ひとは今、さまざまなジレンマの海に漂って悩ましい。

FUKUSIMA のおかげで、我々は今、避けては通れないジレンマに直面している。
ジレンマとは二律背反している状況に陥っていることだ。
二律背反とは、「相互に矛盾する二つの命題が、同等の妥当性をもってせめぎ合う」ことだ。

哲学に興味があろうとなかろうと、我々は今、哲学的な時代を生きようとしている。
原発ありやなしやという議論は、優れて哲学的な命題としてある。
短絡的に結論を強いる議論は慎むべきだ。

にしても、ヨシオ君の意見も聞きたい?
だったら、薪ストーブ愛好家の感想はこうだ。
原発は帝国主義的だ。
原発の内部をテレビスクリーンで見ていると、帝国主義者の秘密要塞を見ている思いがする。

森の中で、道が二つに分かれている。
踏みならされている道と、草深い小径とに。
その交差点に道標はない。
我々は、二つの道を同時に歩くことができない。

木々の緑に従って夏が深まっていく。
すべてを忘れ、きみを忘れ、夏をただ暮らしている。
どんなに愛していたって、きみを忘れる日々も必要だ。
きみは今、サマーバケイションの旅に出ている。 

Photoes by Yoshio Tabuchi
 

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