田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

夏の薪ストーブ

 

春蝉が鳴いてる。
それは、何百匹かの春蝉が森の聖堂で唱える真言陀羅尼の大合唱のようだ!
郭公が夏を謳っている。
♪カッコー、カッコー、カッコー…。
郭公はエピキュリアンだ。彼らは薪ストーブに興味がない。
郭公は春と高原の夏だけを求めて旅の人生を生きる。
しかも、彼ら彼女らは子育てをしない。
鶯の巣に托卵して、あとは知らんぷり。
勤勉をモットーとする敬虔なプロテスタントは、郭公のことをどう思っているんだろうか?

木立の緑が日毎に深くなっていく。
岩魚釣る川の水がその緑に染まってエメラルドの流れになっていく。
そして、日が落ちても、薪ストーブに火が入らなくなる…。

我が寒山では、ストーブに火が入らないのは6月と7月と8月の三ヶ月間だけだ。
薪ストーブと薪のことを忘れていられる夏は嬉しい。
その分、庭仕事と好きなフライフィッシングに没入していることができる。

しかしながら、日が暮れても居間のアンコールに火が燃えていないのはなんだか寂しい。
それは、文字通り火が消えたような寂しさだ…。
熱心な薪焚き人なら、みんなそう感じていることだろう。
そこで、寒山からグッドニュース!

 

 

実をいえば、夏は薪ストーブクッキングのシーズンなのです。
夏には、アンコールを暖炉として楽しんでいる。
日が暮れたら、観音開きのドアを全開にして、
庭の木立で拾い集めた枯れ枝に火を起こすのだ。
その枯れ枝が熾き火になってきたら、炉室に焼き網をセットして魚をグリルする。
定番は鰺やサンマの開き、それから自分で釣ってきた岩魚。
鶏肉のグリルも素敵だ。
炉室の熾き火で焼いた魚や鶏は美味しい。
夏のアンコールは、素敵なバーベキューグリルである。

また、ストーブの炉室をオーブンに見立ててピザを焼くのも楽しい。
庭のハーブを鱒のお腹に詰めて「フローレンス風鱒のムニエル」を焼き上げるのもいい。
隣村の高原に50センチの虹鱒が釣れるフィッシングレイクがあるんだ。

 

 

暖炉は、金持ちの居間やホワイトハウスの大統領室にある飾り物のように思われているかも知れない。
しかし、そうではない。
暖炉は元々はキッチンにあって、それは暖房を兼ねた竈(かまど)であり囲炉裏のような物だった。
暖炉用の自在鈎とクッキングスタンドを活用して、そこで全てを調理していた。
観音開きの大きなドアを持つ我が家のアンコールは、現代に甦ったコンパクトな暖炉なのだと思っている。夏は特に…。
我が家の薪ストーブが、「故きを温ねて新しきを知る」という言葉の意味を教えてくれている。

尚、薪ストーブクッキングについては、ファイヤーサイド出版部グッドライフプレス刊行の「ViVa! 薪ストーブクッキング」に楽しくて実用的な情報が。
この書物に対する1800円の投資は、決して無謀な金額ではないことを筆者の一員であるわたしが保障する。


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