田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

寒山梅雨徒然草

春蝉が鳴きやんだ。
日差しが梅雨空に遮られる。雨が降り始める。
梅雨。梅の実が熟す季節の雨期だから。
梅雨はまた、“米作りの母”であり、日本人の水瓶を満たす。

日本列島は、世界一の季節風地帯。
モンスーンは、アラビア海に半年交代で向きの変わる風のことをいう。
アラビア語で“季節”という意味。
インドや東南アジアで夏の雨期をもたらす季節風のことを“アジアンモンスーン”と呼ぶ。そして、この季節風が日本列島の夏に豊かな雨と湿潤な気候をもたらす。
列島の年間降雨量は1,700mm前後。もの凄い雨量だ。

我々は、自分の家も人生もより高いところに築くべきだ。

 

 

園芸家は長雨が嫌いだ。
花壇の花穂が倒れてしまう。
菜園の野菜が徒長する。
トマトは特にそうだ。草丈ばかりが伸びてしまう。
こんな湿潤で日照時間の少ない雨期には、畝にストーブの灰を撒く。
木灰の主成分であるポタシウム(カリウム=カリ肥料)が徒長を抑えて、作物の健康を維持してくれると思うからだ。

しかし、この長雨がもたらす湿潤な夏の気候が日本の林野を緑豊かなものにしている。日本列島の夏の、この分厚くて豊かな森の生態系は特別なものだ。
木々や草々が繁茂し、それはまるで熱帯のジャングルのよう(熱帯のジャングルを訪ねたことはないけど……)。
そう、日本の夏は、実は熱帯なんです。
そしてこのことが、日本列島を世界に類い希な森林王国にしている。

林野に囲まれて暮らしていれば、薪(たきぎ)こそが、
この列島の永遠のエネルギーだと感じる。
林野のそばで暮らしているのに、
薪エネルギーを活用しようとしない日本人は馬鹿ですね! 

 

 

Let it be. あるがままに……。
余計なことをするな。この列島の森は、天然更新しつづける。
リスが、秋にドングリを森の腐葉土に埋めてミズナラの種を播いてくれる。
鳥が木の実を食べて、その種をそこいらじゅうに播種してくれる。
翼持つ木の実や草の種が、風に乗って新天地をめざす。
木々や草々の種は、いつだって潤沢に播かれている。
多分、新しい文明や文化の種もまた……。
季節が巡り、その時が来れば、
それらの種は元気に芽吹いて立派に成長していくだろう。

自然は、多種多様な種(しゅ)が奏でるハーモニーとしてある。
この多種多様な種は、“棲み分け”としてある。
自然は、個性と個性の共生として成り立っている。
その個性に優劣はない。 
世界の救いは、自然の成り立ちを見つめるその眼差しのなかにある。
 
自然は敬うべし。
人生は、夏でも薪ストーブ焚いて楽しむべし。

 

 

種は播かれている。
信じられないほど大量の雑草の種が菜園の圃場に播かれている。
雑草という名前の植物は存在しない。
それらの植物は養分に富み、日当たりのいい花壇や圃場を好んで栄えようとしているだけなのだが……。
菜園家は、野菜のためのリッチな土壌を作る。
それは、好ましからない草の夢のベッドでもある。

 

 

スベリヒユ、アカザ、ジシバリ、そしてニガクサ等々の植物が領土の拡大を企み、子孫の繁栄を願っているんだ。
園芸家は、平和を好み諍いを嫌う人種だと信じている。
だが、雑草の侵略に対しては決然たる覚悟でその防衛権を主張し、武力行使を厭わない。

園芸家は、悩ましい存在だ。
世界中の地域紛争が我がことのように思えて、心が痛むのである。
何故なら、我々もまたアカザやスベリヒユの言い分に傾ける耳は持たないからである。

言いたくはない事だったのだが、
「実は、農耕の起源が人類を好戦的にした」とも言えるのではないだろうか?
農耕は、雑草と呼ばれる植物との絶え間ない闘いの歴史としてあるからである。
雑草には何の罪もない。
農耕が、雑草を繁栄させているんだから……。
アーメン、アフラ・マズーダ、偉大なるアッラー、南無阿弥陀仏。

とはいえ、菜園の雑草は断固として排除しなくてはならない。
花壇や庭先の雑草もそうだ。
口先だけで実行の伴わない人のことを“雑草だらけの庭のような人だ”と言う。
そうは、言われたくない。

雑草と戦う我々の武器は忍耐と手指だ。
園芸用のゴム手袋をはめれば、指先は防衛される。
しかし、細かい仕事をこなすためには手袋は邪魔。
さりとて、素手の指先は繊細なので土が指先を傷める。
爪先に土が入り込んで綺麗な手指が台無しになってしまう。

 

 

指先をアスリート用のテープでテーピングして除草に立ち向かっている。
Johnson & Johnson の1インチ巾(26mm)のテープが扱いやすい。
アスリートショップで売られている。
指先をテーピングしている園芸家は、本物といえる。  

畝の除草は、ウィーダーと呼ばれる片手使いの草掻きと共に行う。
ウィーダーで表土を掻くことで雑草の根を起こして、指で摘み取りやすくするためであり、土の中で発芽している雑草の芽をやっつけ、その野望を打ち砕くためでもある。

また、土を掻くことで、畝の表土を耕すことにもなる。
この行いを“中耕”という。
畝の表土を柔らかなものにし、土を活性化させる。
畝の除草と中耕は、一体の行いとしてなされる。

 

 

それから、菜園の除草で肝心なことはウォーキング・スペース(通路)の草掻きだ。
通路の草掻きは両手使いの“草掻き”でなす。
これは、通路の表土を削り取って雑草を根元から駆除するための“鉋(かんな)”だ。
通路の草を掻く草掻きは刃物だ。

そうであれば、草掻きの刃先は鋭利に研がれていなければならない。
わたしは、粒度の荒い砥石でその刃先を常に整えている。
また、草掻きには土がこびり付いてその切れ味が鈍る。
そのつど木べらで泥をこそぎ落としている。

この草掻きは、海外では見かけない日本の優れたガーデンツール。
これは、鋼と軟鉄をラミネートした刃物鍛冶の打出刃物だ。

 

 

日本の農具の多くは、刃物鍛冶の手によって作られてきた。
我々のガーデンツールスは刃物なんです。
刃物は研がれることでその真価を発揮する。
物事の理を究めることを“研ぐ”という。
“研究”とは物事を研ぎ究めることである。

連載の次回では、我々に身近な刃物を巡って、
タブチ君の研究成果をお知らせ致しましょう。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

 



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