田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

アナボタ・モト……火を夢見ている

カッコウー、カッコウー、カッコウー……郭公が夕日と名残を惜しんでいる。
キョロン、キョロン、キョロン……アカハラが夏の夕暮れを歌いはじめた。
キョッ、キョッ、キョッ……ヨタカが夜を呼んでる。

 

 

去年の12月に庭のミズナラを4本倒した。
庭の隅に積み置いていたその枝木が、ほどよく乾いている。
それを手折ってきて、アンコールに火を起こす。

オレンジ色の焔が静かに立ち上がる。
火炎に力が付いてきた。
細割りにした落葉松の薪をそっと焼(く)べ足す。
落葉松に焔が燃え移ってパチパチと火が爆ぜる。
鳥の声だけがしていた部屋に新しい音が加わる。
落葉松の薪がパッと燃え上がる。
寂しかった夕暮れの部屋が華やぐ。

書斎のパソコンを立ち上げる。
iTunes のラジオステーションからクラシカルサイトを呼ぶ。
タブチ君のお気に入りはCALMRADIOのLight Classical and New Age instrumental Music。
ストーブで火が爆ぜる音と、アカハラの声と、ライトミュージックの
“初夏の夕暮れコンサート”が開演する……。

 

 

夏の夕暮れには、アンコールを暖炉モードにして火を焚くのが好きだ。
梅雨の最中の夕暮れは特にそうだ。
岩魚泳ぐ流れにほど近い我が山里では、夏でも朝夕にはその煙道から紫煙が棚引いている。
この夕暮れの外気は12℃。
とはいえ、家の中には日中の暖かさが留まっている。
だから、殊更にストーブに火を入れることもないのだが……。
でも、火を起こすんだ。
ストーブに火を起こせば、部屋の空気が乾いて心地良い。
静かな夏の夕暮れを、薪ストーブの焔と共に分かち合うことができる。

夏の夕暮れに、ショーツ姿の薄着になって、暖炉としての薪ストーブを焚く楽しみ。
それは、寒山薪焚き人の娯楽である。

 

 

バーモントキャスティングス社の薪ストーブには、様々な美徳がある。
その内で、案外知られていない素晴らしさをお教えしたい。
それは、暖炉としての火の優雅さを楽しめるように、
全てのストーブがデザインされていることだ。

誰だって、自分のストーブを自慢したがる。
だが、暖炉としての娯楽性に優れたストーブは、私たちのそれをおいてない。

人は、パンのみにおいて生きるに非ず。
コンテンポラリーな薪ストーブは、芸術的な娯楽でもあるべきだ。
夏の夕暮れに暖炉として薪ストーブを焚く楽しみは、
メタフィジカル(哲学的)なものとしてある。

人は今、利便さのハリケーンに巻き込まれている。
我々は、時間泥棒の餌食だ。
私はケータイもスマートホーンも持たない。
人は、そんな私を訝る。「何故?」と。
私は皮肉を込めてこう応える。
「金持ちと自由人はケータイを持たず」と。

人は、「何故、ケータイを持っているんですか?」と、何故、問わないのだろうか?

 

 

タブチ君の夏のアウトドアレジャーはフライフィッシング。
寒山の渓流で毛鉤を振れば、彼はいつもこう思う。
「清らかな流れの畔で、時を無駄遣いするのは、どうしてこんなに楽しんだろうか」と。
釣り場でもケータイを手放さない釣り人は、時を無駄遣いする歓びを知らない。

夏には、ストーブのドアを取り外してしまおう。
ドアを垂直に持ち上げて、少しそれを傾ければ、ステンレスの細い回転軸が下の円溝から外れる。
ストーブのドアは、円溝に回転軸を落とし込んでいるシンプルな構造になっている。

重たいドアを取り外されたストーブは、軽快な夏姿。
ただし、火の粉が飛び出すから、暖炉モードで火を焚くときにはファイアーガードが必需。
ドアのガラス越し見るストーブの焔と暖炉モードで見るそれは、全く別のものだ。
それは、暖炉の焔であり、生き生きとした焚き火の焔だ。

 

 

アナボタ・モト……。
焚き火や蝋燭の焔を見つめてうっとりとしていることを、スワヒリ語でそう言う。
“火を夢見ている”という意味。

夏の薪ストーブは、クヮイエットな換気装置としてある。
暑い日差しが煙道を暖めるので、ストーブに火が入っていなくても強い対流が起こる。
部屋の空気をどんどん排気していく。
薪ストーブは、1年中部屋の空気を綺麗にしてくれる。
だから、夏のストーブはダンパーを開いて吸気口を全開にしておこう。 

 

 

夏の夕暮れに、暖炉としてアンコールに火を起こしてみれば、
電気の無かった時代を旅することができる。
電気の無かった時代は、どんなだったのだろうか? 

アナボタ・モト……。
暖炉モードでアンコールに火を入れるということは、
時間を遡って過去のそれを旅することだ。

欲望と嫉妬と明日への畏れと怒りと刹那主義と……。
自分勝手のあげくの果てのハルマゲドン。
世界の最後の日に起こる善悪諸勢力終局の決戦場。世界の終わり。
ヨハネの黙示録はロマンチックだが、ハルマゲドンはない。
あるのは、同時代人のなし崩しにされていく感受性の堕落だ。

ストーブのドアを取り外して、我々は暖炉の火の優雅さを楽しもう。
そして、19世紀、18世紀、17世紀……へと時間を遡っていこう。
それから、この21世紀がどうあればいいのかを、心静かにしてみんなで考えてみよう。

Photoes by Yoshio Tabuchi

 

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