娯楽論序説
七色の緑が谷を渡って……山々を緑の虹で染め上げていった。
落葉松のエメラルドグリーン、白樺の黄緑、山桜の赤緑、浅葱色。
銀灰の新緑に煙っているあの木々は何だろう?
木立の林床を染めてたすみれ色の春は過ぎた。
今は、桜草が庭の土手をピンクに染めている。
小梨(ズミ)が咲きはじめた。林檎が五分咲きになった。
蕨が採れはじめた。
アスパラガスと独活と二十日大根と、
サンルームのリーフレタスがサラダボールに溢れている。
菜園の準備が整った。
馬鈴薯を3畝植え付けた。トマトの苗を半分定植した。
胡瓜と茄子とピーマンと南瓜とズッキーニはまだ定植しない。
6月を待って定植すべきだ。
ラズベリーが花穂を付けはじめた。
ラズベリー畑のなかに入り込んだヨモギを除草するのは気の進まない庭仕事だ。
ラズベリーの茎と枝には無数の細かい棘がある。
その棘がズボンやシャツを引っ張る。時々、頬刷りしてくる。
けれども、綺麗なラズベリーレッドの実は我が庭の宝石なんだ。
グッドニュース!
妻はヨモギの和菓子が好きだ。
で、こぞの春に彼女はヨモギのパンケーキを焼いてみた。
この“緑のパンケーキ”が案外と美味しい。
ヨモギの香りが食欲をそそる。きっと体にもいいでしょう。
そしてなにより、ヨモギの除草に付加価値が加わることで、
ヨモギ退治がはかどるようになった。
☆ヨモギパンケーキのレシピ
- 若いヨモギをさっと茹でる。
- ぎゅっと握って水を切って、牛乳と一緒にミキサーにかける。
- その後は、通常のパンケーキに準じる。
- ベーキングパウダーを混ぜた薄力粉に、牛乳でミキシングしたヨモギと溶き卵を加えて生地を練る。
- あとは、フライパンで焼くだけです。
<蛇足的助言>
グロッサリーで売られている“パンケーキミックス”を買ってきて
パンケーキを焼いている人は馬鹿ですね。
パンケーキの生地なんて、その商品のパッケージを分解するよりも早く簡単に、手作りすることができます。
閑話休題(さて)、娯楽の重要性について。
伊那市の郊外に“ノースフィールド”というストーブ屋さんがある。
この春、新しいショールームがオープンしたという。
駒ヶ根にあるファイヤーサイドを訪ねた折りに、立ち寄ってみた。
ノースフィールドの伊東さんは山好きで、二十数年来の旧友です。
新しいショールームは素敵でした!
旧友のセンスの良さにエール。
自然趣味的な小物が売られていて、これが嬉しい品揃えなんです。
ファイヤーサイドのショールームも好きです。
ですが、伊東さんのそれはまた、伊東さんのセンス。
伊那谷を訪ねるときには、両方訪れることをお薦めします。
ノースフィールドのショールームの一角には、
英国ブランドのガーデンツールスのそれがあります。
わたしは、剪定ばさみとステンレスの大きな移植鏝を迷わず買いました。
剪定ばさみはすでに2丁持っているし、
移植鏝はその数を数えたくないほどあります。
でも、買いたかったんです。
またの春が巡って、庭仕事に精を出した自分への、それはご褒美なんです。
自然趣味としてあるフライフィッシングもそうですが、
ガーデニングはタブチ君の娯楽としてあります。
彼の木工も薪ストーブもそうです。
”嬉しく楽しむ”と書いて、娯楽と云う。
そうであれば、「人生は“娯楽”としてあるべきだ」というのが、わたしの持論。
娯楽はその人の人生の試金石としてあります。
その人の娯楽を知れば、その人がどんな人生を生きたいのかがわかる。
タブチ君の娯楽は、おしなべて自然趣味としてあります。
誰よりも薪ストーブを愛していることを標榜している彼ですが、
それは、彼にとっての薪ストーブが、
自然趣味としての大切な大切な娯楽としてあるからです。
彼は、自分の娯楽を真摯に受け止めています。
だから、素敵な斧を見れば買わずにはいられないんです。
15本以上の斧が彼の家と庭にはあるが、彼はその数を数えたくないと言っています。
そんな彼を“浪費家だ”と人は思うかも知れない。
しかし彼は、この30年間新車は1台も買っていない。
お金の使い方に関しては、彼はお利口さんなんです。
300万円の新車よりは、1万円の剪定ばさみのほうが自分の人生を高めてくれると思ってるんです。
人の幸せと娯楽は色々。
七色の虹のような娯楽がイルミネーションになって、
人の欲望と自己満足を刺激している。
娯楽は、もの凄く巨大な産業としてあり、
それはルアーフィッシングにおける数限りないルアー(疑似餌)みたいに、人を誘惑しつづける。
当然じゃないか!
人は、娯楽のために生きているのかも知れないのだから……。
上部構造は、その下部構造に規定される。
そうであるなら、娯楽のクウォリティーが、その人の人生に運命をもたらす。
何故なら、そうではないんだという噂にもかかわらず、
娯楽は人生の上部構造ではなくて、実はその下部構造かもしれないからだ。
「娯楽に目覚めた猿が、人類への道を辿った」
ヨハン・ホイジンガというオランダの歴史家が、
「ホモ・ルーデンス=遊戯人」という書物でそう書いている。
娯楽の商業主義化と、それに伴う低俗化が社会を危ういものにしている。
娯楽の商業主義化は、大衆社会化状況として捉えることができる。
もしもそうなら、現代は大衆社会化状況爛熟期の末期だろう。
大衆社会化状況のこの爛熟期は、早晩終わる。
何故なら、低俗な娯楽は人や社会を幸せなものにしないからである。
Photoes by Yoshio Tabuchi