田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Dreams of Woodstove 薪ストーブの夢の続き

終日、氷点下の日々がつづく。朝は−15℃まで冷え込んでいる。
今冬の最低気温は、今のところ−18℃。
このところ、−20℃まで冷え込む冬がなかった。
この冬はどうかな?
凛として、更に冷え込んでみせろ!

1月はほとんど雪がなかったので、いつになく動き回った。
で、冬眠する哺乳動物の安息を味わうことができなかった。
もうすぐ2月。
中部高地は、これからが雪深くなってくる。
雪原と紺碧の空と明るい日中の日差しと……。
ハイデザート(高地砂漠)の冬に似た、我が寒山の雪景色が好きだ。

2月は何処へも行きたくない。誰にも会いたくない。
4台の薪ストーブと共に、この冬を数えていたい。

「すべての月は、2月の好天を呪う」。
2月が暖冬なら、春の到来が平安ではなくなる。
そして、夏も秋も……。
2月は、厳しい冬であったほうがいい。
山脈に降り積もった雪は、透明で冷たい水を湛えた真っ白いダムだ!
そのダムの水は、春までそこで凍り付いているべきだ。

今日は、4台の薪ストーブを同時に焚いてみた。
居間のアンコールとオフィスのイントレピッドと台所のクックストーブと、
それから木工室のレゾリュートと。
庭に下りてみれば、煙の匂いがほのかに漂っている。
いいな! 雪の庭に漂う薪ストーブの煙の匂いって素敵だな。
これだよ。これが欲しくて、タブチ君はこの山で29度目の冬を数えているんだ。

木工室の赤いイントレピッドがクラッシック・ブラックのレゾリュートに替わった。
しかも、このレゾリュートはオリジナルモデルのそれ。
フロントドアは観音開きで、ガラスは上半分だけ。
灰受け皿はなくて、そのぶん炉室がぐっと深い。
20年以上昔に、居間で愛用していたビジラントと同じ造りだ。
ファイヤーサイドの松澤さんが、自分のコレクションを譲ってくれたんだ。

レゾリュートに火を入れる。
火力の立ち上がりがスローだ。
フロントドアを半開きにしてみる。
たちまち炎が立ち上がってくる。
炉室がオレンジ色に燃え立つ。
サーモメーターの針が、身震いしながら上昇していく。
昔のビジラントと同じ燃え方だ。
懐かしさが込み上げてきて、わたし感動しました。

1980年代にEPA(アメリカ環境保護庁)の薪ストーブに関する排気ガス規制が施行された。
それは、乗用車並の排ガス規制だった。
で、以降の薪ストーブは今日的な燃焼システムを余儀なくされることとなった。
当時、「EPAの排ガス規制は、オイルマネーと電力マネーの陰謀だ」とも噂されたが、
そのせいで薪ストーブは発展的な進化を遂げることになった。

しかし、バーモントキャスティングス社の初期のストーブも素敵だ!
燃焼システムがシンプルである。部品の数が少ない。
そのぶん、ストーブメンテナンスが簡便だ。
コンテンポラリーなそれは、進化を遂げたストーブとしてあり、燃焼効率にも優れている。
しかし薪ストーブは、その薪とストーブの取り扱い方によって、
その性能を大きく左右されるエネルギーシステムとしてる。

古い道具には、昔のそれならではのよさがある。
いかにもレトロな雰囲気を醸し出していることも、その美徳のひとつだ。
古い物に、そこはかとない佳きノスタルジーを感じるのはどうしてだろうか?
我思うに、それはこういうことなのではなかろうか。

まだ若くて貧乏だった時代に、ひとつの夢を託してタブチ君は高価だった薪ストーブを買った。
そのストーブと共に年を重ねて自分もストーブもひとつの時代を生きた。
それでいいのだ!
逆のことを思ってみよう。
ハウスメーカーから買ったオール電化の真新しい家で、自分だけが年老いている光景を……。

自分もそうであったように、若者は夢の奴隷だ。
ありもしない夢。叶えてみれば、さしたる意味もなく朽ちてゆく夢。
妄想にすぎなかった夢。等々。夢は我々の試金石としてある。

タブチ君には、人が協調しかねるひとつの夢があった。
彼は、その夢を抱いてこの寒い山に来た。
そして、ここでその夢を温めつづけてきた。
それは、薪ストーブの夢だった。

木工室の冬を10年間暖めてくれた赤いイントレピッドは、
春になったら庭のゲストキャビンに施工される。
そして、山の麓に住む老人を訪ねる数少ない客人の夜を暖めることになるだろう。

人の夢や幸せは色々。
十人十色とはそういうことだ。
それが、どんなに突飛な夢であっても、人の夢を笑うな。
時代錯誤でアナルコ(anarcho)的だと思える夢にこそ、
世界の再生が宿っているかも知れなじゃないか。

国策としての原発が完膚無きまでに破綻したことで、
今この国の中央政府はアナルコ的(無政府)だ。
この社会状況は30年間はつづく。
だが、原発を容認してきたのは市民町民村民である我々自身である。
なかんずく、福島県民を率いてきた県知事がそうであったことは明らかだ。

タブチ君の親族には、ある原発の最高責任者を務めた者がいる。
彼は慎重派だったので、野に置かれて退職した。
電力会社の社内にあって、愁いに満ちた者達がいる。
辛いことかも知れないが、この選挙民にしてこの程度の中央政府だということを、
我々は納得しなければならない。

薪ストーブを焚きながら、孤立無援を標榜しながら……山深く住み侍る者がいる。
そういう者にしか、見えてこないビジョンがある。
ビジョンとは、今見えている夢のことだ。
タブチ君の場合には、森林大国としてのこの祖国における薪エネルギーの夢だ。

Photoes by Yoshio Tabuchi

 

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