田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Be Rustic 素朴であれ

ピー、ピー、ピー。
「春はこっち、こっち。さあー、通って、通って」。
ピー、ピー、ピー。
「冬はあっち。まだ雪を頂いているあの高山へ」。

ゴジュウカラが、ホイッスル吹いて交通整理してた。
そのゴジュウカラが口笛を吹かなくなった。
お気に入りのバードハウスで巣作りを終えて、今はきっと卵を温めているんだ。

白樺水の季節は過ぎた。水仙とムスカリが咲き始めた。
ヒマラヤン・プリムラが紫色の花穂を膨らましている。
スモモの花芽が日毎に大きくなっている。
タンポポの若葉を、サンルームのレタスに混ぜて食べてる。
新鮮なサラダはやっぱり美味しいな。
キッチンガーデニングの季節到来! 忙しくなるけど、嬉しい。

寒山の朝はまだ薄氷が張る。
でも、枯れ枝をひと焚きすれば、部屋はたちまち暖かくなる。
紅茶をすすりながら、夏みかんとヨーグルトをたっぷり乗せたシリアルを食べる。
夏みかんの酸っぱさが美味しい。目が覚めるな。
この夏みかんは、40年前に原発建設を拒んだ伊勢志摩の海辺から送られてくる。
ニッポンの夏みかんは、世界で一番美味しい柑橘類だ。
パントリーの夏みかんを食べきれば、季節はもう夏になっているだろう。

サマータイムを導入してますか?
私は一ヶ月前から1時間のサマータイムだ。今は、2時間前倒ししている。
春なんだよ! 朝が待ち遠しくて夜更かしなんかしてられない。
寝るは天国。娑婆の阿呆は夜起きて働く。
朝がまだ清々しい内にひと仕事しておけば、午後はのんびりモードで春の一日を過ごすことができる。
会社務めだって同じことでしょ。
国はどうしてサマータイムを導入しないんだろうか。
サマータイムは楽しい。サマータイムは自然的だ。
サマータイムは季節を敬うリビングスタイルだ。

馬鹿! こんなご時世だというのに、どうしてサマータイム制度を導入しないんだ。
夜は暗いもの。恋はつらいもの。
月のない暗い夜に、悪の炎は燃え上がるもの。
夜起きて政治やるんじゃねーよ。てめえらが、先ずもって節電しろ。

春は、難しい仕事したくないな。
春は、難しいこと考えたくない。考えられない。
安気で楽しい仕事がしたい。春なんだもん!

今朝、わたしはガーデンシェッド(物置小屋)を片付けた。
ハンドルが壊れてしまって、鉄の本体だけになっているスコップが3丁小屋の奥に置かれていた。
捨ててしまおうと思ったが、思い止まった。
錆錆になってはいるが、ハンドルをすげ替えれば使える。
そこで、庭の木立から適当な太さの立木を切り出してきて生き返らせることにした。

さっそく、ドローナイフで樹皮を削ってハンドルの形を整えた。
ドローナイフは、鉋台のない鉋(かんな)だ。
体重を後ろに傾けることでナイフを引いて材を削る。
腕力を要しないので、楽によく削れる。
大中小のハンドルを3本削るのに、2時間はかからなかった。

ログビルダーは、ドローナイフで太い丸太を整形する。

スコップのハンドルには3種類ある。
手許がY型とT型とストレートと。
真っ直ぐなハンドルのそれは、長柄だ。自分の肩丈ほどにした。

長柄のスコップは、腰を折らないで土を掬うことができる。
腰をかがめることが苦手な白人は、真っ直ぐな長柄ハンドルを好む。
長柄のスコップは、梃子の原理が働くので楽に土を掬える。

さっそく、菜園の土を掬ってみた。
すると、どうだろう! これがねー、私の思惑が的中。
使いやすいんだ。腰に負担がないんだ。
庭仕事やりすぎて、腰が曲がってしまうのは嫌だ。
タブチ君はわりと頭いいみたいだ。

2丁あった小型のスコップの1丁には、ごく短いハンドルをあしらった。
これは、しゃがんで土を掬うための、大型の移植鏝だ。

私はウィンザーチェアー作りの名手である。
自分でそう言っているのだからそうなんだ!
今でこそ、精巧で瀟洒なそれを作ることができるが、私の椅子作りは庭の枝木を材料にして始まった。

写真のそれは、私が最初に作ったウィンザーチェアーだ。
私がウィンザーチェアーに興味を持ったのは、そのスピンドルと脚が木立の枝木で作れると思ったからである。
そしてそれは、“ウィンザーチェアーの原型”としてあると考えたからである。

私は、今までに100脚以上の精巧なウィンザーチェアーを作った。
だが、私の最高傑作は25年前に木立の枝木で作った最初の数脚かも知れない。

薪焚き人なら、大なり小なり木工に興味を持つだろう。
私の場合には、工業用の三相200ボルトの動力を使うまでに至った。

しかし、ハンドツールスによる素朴なウッドワーキングは素敵だ! 
何故なら、その作品にはアマチュアならではの祈りが宿るからである。
それは、プロの木工家には絶対に作れない椅子や家具や木皿としてある。

“素朴”という漢字の“朴”の字には木がある。
素朴とは、切られたままの木のように飾り気がないと言う意味だ。
で、想うのだが……
「人生も木工も婦人の裁縫も素朴的であることが、今は素敵で格好いいことなのではなかろうか?」と。

薪ストーブがそうであるように……この時代に素朴的であるということは、
実は最もソフィストケート(洗練)された心の有り様としてあるんだ、と思う。

Photes by Y.Tabuchi
イラストレーション:田代和泉(田渕義雄書「野遊び道具」小学館刊より)

 



このWebマガジンはファイヤーサイドが提供しています。

  • ページの先頭へ

薪ストーブエッセイ・森からの便り 新着案内