田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Beyond a dream  「夢の彼方へ」

季節は秋で天気もよかった。
トラックに夢を満載して大都会を後にした。
ミズナラのドングリが、赤いトタン屋根に落ちる日に引っ越してきた。
ここが私のベースキャンプ。
すぐ側に岩魚泳ぐ渓流が流れていて、
夏にはクライマーで賑わう岩山がそびえ立っている。
そして…月が移り星が巡った。

 

 

これが、満28年になる寒山の家と庭です。
秋に栗鼠が木の実を自分の巣にせっせと運び込むように、
わたしは自分たちの家と庭にインベストメント(投資)してきた。
で、この家の屋根には4本の煙道(煙突)が突き刺さっている。
シンプルな家だが、それがこの家のアイデンティティーだ。

東京の下町で生まれた。私はガソリン屋の小倅だった。
化石燃料の臭いの中で育った。
そんな環境への反動だったのだろうか。
緑の野山を歩き回ることが好きな子供だった。
高校生の時に八ヶ岳をバックパッキングした。
そこの山小屋で薪ストーブを知った。
「これだ!薪だ!なんて素敵なエネルギーなんだろう」とガソリン屋の子供は思った。
以来、緑の山で薪ストーブ焚きながら暮らすことがこの子供の夢になった。

夢は叶うものだ。何故なら、人は実現可能な夢を夢見るからだ。
そうではない夢のことを、妄想と呼ぶ。
自分の夢を心の奥深くに抱きつつづけ、その夢を大切に育むこと。
そして、その夢の実現に向かって努力すれば、本人が思っていた以上の成功があるだろう。

率直に言って、私の夢は自分が思っていた以上に叶った。
キッチンガーデンの土と戯れて、
自分で育てたカリフラワーと南瓜のおいしさを知った。
青いリンゴを囓ってみて、その酸っぱさを学んた。
指で触ってみて、夏のアザミの棘は痛いと悟った。
薪作って好きな薪ストーブ焚いて28年間暮らしたのだから、これ以上どんな期待もありはしないさ。

 

 

人生は勝ち負けのコンペティションじゃない。
“勝ち組負け組”という言葉が大嫌いだ。
人生をどうしても勝ち負けで考えたいんだったら、私はこう言う。
「人生は楽しんでしまった者の勝ちだ!」と。
負け惜しみかもしれないが、貯金通帳も株券も有価証券も名声も今際の刻みには何の役にも立たない。
楽しかった思い出だけが旅のよき道連れになってくれるだろう。

きみは、高山植物が咲き競う尾根道を何日も何日もガールフレンドと二人だけでバックパッキングしたことがあるか。
大地垂直の果て一枚岩の大岸壁をロッククライミングしたことがあるか。
きみは、モンタナの川にラフトボート浮かべて♪歌いながら笑いながらみんなで鱒釣りを楽しんだことがあるか。
オレゴンの峡谷で海から遡上してきた80センチのスチールヘッドトラウトをフィッシュオンしたときの、あの電撃的な衝撃電流を味わったことがあるか。

 

 

夢の彼方へ…。
人はそれぞれに自分の夢を叶えて、やがて老いていく。
若いうちには60歳を過ぎてからのことなど気にもしないが、人生のイブニングをどう生 きるかが今問われようとしている。
時代や社会の変遷もまたそうである。
経済成長路線を邁進してきた私たちの社会は、がんばった甲斐あってその夢を実現した。
そして今、その夢の彼方をどう生きるかが問われている。

人生がそうであるように、どんな社会発展にもイブニングがある。
それが、歴史の教えだ。
それを衰退と捉えるのか、それとも成熟と捉えるのかが問題なのだ。
「私たちの社会は今まさに成熟しようとしている」と捉えたい。
少子高齢化社会の陰の部分ばかりを議論すべきではない。
この陰は束の間の陰だ。
すぐその向こうには、美しい夕映えがあり、朝がある。

人口の減少を憂えるべきではない。
人口減少問題に関して言えば、この国は世界の優等生である。
世界中の人口学者が そう賞賛している。
成熟とは、何かを主体的に喪失していく課程のことである。
この国の若者や子供は恵まれている。
何故なら、私たち爺や婆の社会的世襲財産をごっそり世襲することができるからだ。
よかったじゃん! 濡れ手に粟だよ。

「ヨシオには老人趣味がある」。
姉によくそう言われた。
子供の頃から洗練された感受性の持ち主だったのさ。
ヨシオ君は子供の頃から夢の彼方にいたんだ。
子供の頃の夢は長い人生の試金石。
人にどう思われようが、フライフィッシングが楽しめる流れのすぐ側に住み、薪作って薪焚いて暮らすためのインフラに投資してきてよかった。

 

Photes by Yoshiki Hayashi & Yoshio Tabuchi

 



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