田渕さんの訃報をお伝えします
一月三十日、田渕義雄さんが永眠されました。
ここ数ヶ月の連載は闘病中に執筆されたものであり、一月の原稿を準備されている最中の突然の訃報でした。
一月の原稿に添えられる予定だったイラストと写真をここに掲載いたします。
イラストは田渕さんのお姉様のご主人、義兄にあたる田中靖夫さんの筆によるものです。本連載でも何度か登場していますが、田中さんの力強い絵を田渕さんはとても敬愛されていました。
今回はお見舞いに訪れた田中さんにリクエストして、その場で描き上げてもらったそうです。
薪ストーブと薪小屋。
田渕さんからの永遠のメッセージです。
田渕さんは最期までご自宅で過ごすことを望まれました。
自ら丹精した大好きな家で、自ら作ったウィンザーチェアーに腰掛け、「きみがいなければ生きていけない」アンコールの暖かさに包まれながら穏やかな時間を過ごし、最愛の奥様に看取られて旅立ちました。
13年間、94回に及んだ連載でしたが、もっともっと田渕さんの言葉を聴きたかったと思います。その信念と哲学を私たちの血と肉に、次の世代に。田渕さんが残してくれたものを大切にしていきます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
本ページのコメント欄を解放しています。
ぜひ田渕さんに送る言葉をお寄せください。
(FIRESIDE)
Illustrations by 田中靖夫
Photoes by Yoshio Tabuchi
ストーブエッセイが更新されていないので心配してました。
山の暮らしに憧れ、30年前に建てた家も「寒山の森から」の写真をモデルに建てました。
暮らしてみれば文章そのものでした。2台目の薪ストーブは偶然にもアンコールとの出会い
があり、今ではストーブエッセイそのままに!薪ストーブがなくては山にいられないまでに。田渕さんの言葉はとても頼りでした。
数年前、金峰山登山の帰り、田渕さんに会いたくて家までいったのですが、声かけられなくて。残念です。「森からの伝言」あらためて読み返します。
薪ストーブも、毛鉤釣りも、登山も、田渕さんに憧れて始めたんです
ホントにさみしいです
ご冥福お祈りします
ナチュラリストでありながらラディカルでアナーキーかつ理性的なエッセイが好きでした。私もキッチンガーデンに勤しみ、Heirloom seed等という語彙も初めて知らされ、考えさせられました。薪ストーブを愛用する者として共感することが多く、哲学的な想いも十分納得できるものでした。安定感のある田渕さんの新たな文章を読む事ができないのは寂しい限りです。
数年前ファイヤーサイド様企画の
田渕義雄邸訪問ツアーに
夫婦で遠方から参加しました
辿り着くと
そこは何から何まで
美しすぎる楽園でした
川上村の帰り途
何も言わなくとも
夫婦共々
それぞれに何かを考えさせられ
各々静かに興奮し
深く深く感銘した事を憶えています
田渕さんが庭から引っこ抜いてくれたラディシュの味
奥様が焼いてくれたクッキー
白樺の樹液氷が入ったレタスジュースの味
一生忘れません
悩める時、疲れた時
時々、田渕さんを振り返らせて下さいね
ありがとうございました
ゆっくりお眠り下さい
ご冥福をお祈りします
薪ストーブが、田渕さんのことを教えてくれました。
田渕さんのように、少しでもなれたらといつも思っております。
隔月毎のエッセイが読めなくなること、とても寂しいです。
『森からの伝言』は、私の宝物になっております。
「夢は、夢見た者を裏切らない。その実現を躊躇した者が、夢を裏切る」
私なりのささやかな夢があります。その言葉を胸に生きていこうと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございます
色々な宝物ありがとう。田渕さん
I Am a Rock。
35年程前、田渕さんに会いたくて川上村を訪れました。
留守のようで、お会いできずに金峰山川でテンカラ竿を振って帰りました。
田渕さんの暮らし方、自然への想いにずっと憧れ続けて15年前に家内と二人で
ハンドカットのログハウスを建てることが出来ました。
薪ストーブも菜園も、心を豊かに暮らせております。
田渕さんの著書に直接サインをしていただき、会話が出来たことは夢のような
時間でした。
ありがとう田淵さん。
びっくりしました。自然が好きな私に憧れと夢を与えてくれました。いちどツアーがあった時に行きたかった。その後はお年なのでツアーは中止で行けませんでした。本当に残念でなりませんでした。でも素晴らしい生活や人生を教えて貰ったような気持ちです。ありがとうございます。いつまでも田渕さんのメッセージ忘れません。
田渕さんありがとう、机の上に「森からの伝言」もう2年- - この先も、
高原の山里で書かれる心温まるエッセイが大好きで、次はまだかな?とサイトを良く覗いていました。闘病生活だったとは知りませんでした。
私も中国山地の山の中で自然を相手に農業をしながら木に親しむ生活を過ごしているのでとても癒されるエッセイでした。
もう、読むことが出来ないのかと思うと寂しいですね。
ご冥福を祈ります。
訃報をこのサイトで知りました。
野辺山 川上村 秋山 あちばけ湖 川端下橋 金峰山川
アンコール チェーンソー 蜜蜂 フライフィッシング教書 森からの伝言
ありがとう田渕さん
昨年の夏にお家に伺うと電話をさしあげたら、奥さまが「秋ごろには回復する」とおっしゃっていました。ずうっと気になっていまして、2月2日の午後2時に電話をしました。「留守か?」と判断していました。今日、田渕さんの文章を読もうとアクセスしました。ショックです。田渕さんに作ってもらった机と椅子が私の宝物になってしまいました。後一つ、椅子を作ってもらおうと思っていましたのに❗庭の蜜蜂たちはどうしているのでしょうか❗ラズベリーは。木工の用具や機械は?チェーンソーは。薪は皆さんが作られたから十分ですね‼️明日から、また、田渕さんの文章をノートに書き写すことを始めようと思っています。もうすぐ72歳になる私ですが、ふらふらとしています。でも田渕さんの「もっとシンプルに、もっと低収入で、しかし、もっと豊かに」を実践し、薪ストーブを炊いて「街中の仙人」になります。寂しくてたまりません‼️
先ほど妻から田渕さんの訃報を聞きました。ここ数年、田渕さんに会う機会がなかったので今年の春には訪ねたいと思っていました。
田渕さんとの出会いは私達家族の暮らしのマスタープランでした。娘は結婚する時も田渕さんに作って頂いた食器棚を嫁入り道具にして嫁いでいきました。
我が家でも田渕さんの家具や本で心豊かな生活を送らせていただいています。
訃報を知り、30年前の田渕さんと初めて会った時の事を思い出すと涙が出るばかりです。
田渕さんのご冥福をお祈りいたします。
訃報を見て驚きました。
この気持ちをうまく表現できません。
力が抜けてしまうような、エッセイを楽しみにしていた皆さんも同じような感情なのでしょうか。
これからも残して頂いた本を繰り返し読んでいこうと思います。
ありがとうございました。
あまりにも突然の訃報、残念でなりません。
雨の日に初めてゴールドマウンテンを訪ねた時のこと思い出します。田渕さんの薪ストーブ暮らし、菜園づくり、環境に関するメッセージを毎回愉しみにしていました。田渕さんの生き方、少しでも近づければと思っています。ありがとうございました。
田渕さんの訃報を奥多摩のバックパッキングを終えた無人駅で知りました。
田渕さんとその著書、その言葉は、僕の人生の北極星のような存在でした。これから田渕さんの新しい言葉が届くことが無いとは本当に悲しいことです。
これからもバックパックとフライロッドを持って旅を続けることで、田渕さんのご冥福をお祈り申し上げます。
やり場のない寂しさ、今はひたすら悲しいです。
昔、薪ストーブのイベントで、山小屋を建て薪ストーブ生活が私たち夫婦の夢です、と言ったら田渕さんは「夢は叶うんです」とおっしゃった。とても嬉しかった。そして頑張って夢を叶えました。赤いアンコールも薪小屋もCOLD MOUNTAIN WORKSHOPなんて命名も全粒粉の手ごねブレッドもウインザーチェアも素敵過ぎました。みんな田渕さんのせいです。この寒山で何回目の冬を数えたとか、薪焚きの素晴らしさや春の麗しさもその詩的な文章で四季の森へいざなってくれました。あなたの生き方、少し頑固なメッセージは私を含め多くのフォロワーに影響を与え、一方、田渕さんの経済や環境への鋭い警鐘は、今の時代改めて肝に銘じなければと。。タブチくんのスピリットはいつまでも私たちのこころに生き続けるのでしょうね。ありがとう田渕さん。
小さなフライ・ボックスを、大好きなペンドルトンのシャツのポケットにおしこんで、
セサミストリートのロックマーチか何かを口ずさみながら、いつもの川へ。
美しい森を流れる、美しい川。
喜びに満ちたどこまでもつづく川の広がり・・・、
誰にも教えない秘密の川、心の川、カーティス・クリークへ。
1979年に大学生だった私は、「フライフィッシング教書」の、この文章で
とても素敵なイメージを教えていただきました。
当時の日本では、ほんの一握りの選ばれた人たちだけが知っていたワクワクする気持ち。
40年経っても、決して色あせないイメージ!
ありがとうございました。
ありがとう。また触媒に戻ろうかな、CBは楽だったけど。
Jazzを極めてくれ、と言われたけどまだまだ途上。
安らかに!
2016年のご自宅訪問イベントに参加させていただき、田渕さんの生き方に憧れ、八ヶ岳に薪ストーブの家を持ち往復するようになりました。
・・・田渕さんのブログより・・・・
きみが街に住んでて、自然が恋しいなら、
週末遊牧民になることをすすめる。
何処か森の片隅に小さな家を建てよう。
電気も水道もいらない。
そんな土地なら、何処にでもある。
買ってしまってもいいし、借りてもいい。
Less is more. 森の小さな家にはなにもいらない。
オイルランプと小さな薪ストーブがあればね。
そこで、なにをするのかって?
馬鹿だなー、NHK みたいな質問すんなよ。
なんにもしないんだよ。
枯れ枝拾い集めて薪ストーブ焚いて、暖かいなー。
夜になったらオイルランプの黄色い焔みつめて、
ガールフレンドとうっとりしてればそれでいいんだ。
・・・・・・・・・・
ご自宅から見える廻り目平第一岩峰にまた行きたいと思います。
田渕さんのご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。
20年以上前、都内の書店で「寒山の森から」を手に取ったのをきっかけに、
山小屋を建て、デファイアントを十数年使いました。
数年前に事情があって手放しましたが、
今年、仕事を退職し、また長野の森の中に小さな山小屋を建て、
田渕さんのような生活をしたいと計画していた矢先でした。
3年前のご自宅訪問には、どうしても行けなくて、
再度の開催を心待ちにしておりました。
ご冥福をお祈り致します。
田渕義雄先生、大好きでした。特に、先生の著書、「薪ストーブの本」は、20年前に、バーモントキャスティングスの薪ストーブ(イントレピッドII。因みに今は2010年にアンコールに入れ替えました。)を我が家に導入した時からの愛読書でした。特に、この本の、田渕先生の薪ストーブ生活についての持論が書かれた序章の部分は、今も、私の薪ストーブ生活のバイブル。それだけに、この度の突然の先生の訃報に、深い悲しみを感じています。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
突然の訃報に大変驚いています。
田渕さんとは40年程前、檜谷清氏とその仲間たちと共に小川山のクライミングに誘いだしてからのお付き合いです。
その後、当時飼われていたジローの子のピーターを貰い受け、彩子さんから「これからは親戚ね」と言っていただいたり、毎夏のキャンプでは、野菜をたくさん下さったり、クリスマスパーティーでは幼い娘達も大変お世話になったりしました。
娘が食器を落として割ってしまったとき、優しく「いいんだよ、物は壊れるんだから」と言っていただいたことが忘れられません。
またテーブルとチェアーの制作をお願いして、寒山から遠い我が家まで搬送して頂いたりもしました。
当時の子供達も結婚し子供ができ小川山にキャンプに行こうね、と話していたのに残念でたまりません。
みんなが褒め、羨ましがる、このテーブルと椅子の上で、今もパソコンに向かっています。
田渕さん、本当に、本当に、人生の喜びをたくさん下さり有難うございました。
彩子さんの深い愛に支えられ、思い通りの人生を送られた田渕さんに改めて感動の思いがこみあげてきています。
田渕さんが大好きで、勝手に自分の人生の師匠と決めました。
そして、自給自足的 田舎暮らしを田渕さんにならって
イントレピッドと共に斑尾高原の山小屋で生きながらえている者です。
ショック!の一言に尽きます。
ご冥福を お祈り申しあげます。
40年前…15歳だったエサ釣りバカが本屋の棚に一冊に出逢いカーティスクリークの世界に惹き込まれました。
リバースミスでありたいと本当に食べたくなった時だけお気に入りの毛鉤をさげていきキャッチアンドストマックの精神で魚をいただくありがたさを教えてくれた永遠のあこがれの釣師です。
シェリダンと今頃は、毛鉤の話しをしているのかと…
心からご冥福をお祈りします。
ステキな教科書をありがとう‼
たまに更新されるこのサイトのエッセイが好きでした。
正直に言えば、田渕さんのこと、年齢や生い立ちなどをよく知らず、ただ薪ストーブの生活、アウトドアの素朴なライフスタイルなどに漠然と憧れていたものです。
都会の消費生活にどっぷりつかっている私からすれば、田渕さんは仙人よのうなイメージさえあります。
これからもっと知りたいと思ったところで、残念です。過去の著作などを読んでみたいです。
ご冥福をお祈りします。
「フライフィッシング教書」以来のファンでした。私が心の病に陥ったとき、救ってくれたのが、この本とそこに紹介されたフライフィッシングという釣り、そして様々な書籍に登場する田渕さんの笑顔でした。どうもありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
突然の訃報に驚いています。
田渕さんのライフスタイルは憧れそのものでした。
廻り目平に行った時は、いつも遠くから赤い屋根を見ていました。
7,8年前に、運に恵まれ田渕邸を訪問することができ、
素敵なご自宅や美しい菜園、そして田渕さんのお話を伺い、
感激したことを思い出します。
著書もそうですが、このブログも美しい詩の様でありながら、
この複雑で狂気の時代を鋭く表していて、
読むたび、「やっぱりそうなんだ。これでいいんだ。」と感銘していました。
皆さんと同様、私にとっても田渕さんは北極星でした。
赤いアンコール
退化を退行的進化と捉える想像力
もっとシンプルに、もっと低収入で。しかし、もっと豊かに。
・・・
田渕さんから頂いた光は、これからも私の中で輝き続けるでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
2月に入った早朝、田渕さんの弟分から電話をもらい訃報を知りました、亡くなったその日は天気が良い暖かな一日で山に電源ケーブルを設置していた日です、あの時に田渕さんは亡くなられたんだな、いい日だったなと思い返す昨今。
フライフィッシングやアウトドアの書籍から名前を知り、独特な感性表現に気になる存在だった田渕さん、中学生の頃、BE-PALの連載からソローを彷彿とさせる無理がないナチュラルなストイック生活を実践する生き方を読み、毎月楽しみにしていたものです。
田渕さんの実戦で使われる道具たち、チェーンソーにブーツに薪ストーブに、フライを巻きヤマメを釣り、菜園を作り自給自足的生活に入り、木工を始めその芸術性に感銘し、プロを超えるアマチュアという生き方に気づかされ、その背中を追うように生きてきました。
小学生の頃から生きる道をずらさず今日まできた結果、山中に家を建て、アンコールのある生活になり、半年間の薪生活、多様な自給生活、無駄使いはせず、お金は良い道具代に使い、すべてのものは自ら生み出し作り上げる生き方。
そんな生活をしていく中で共通する知り合いも増え、アンコールつながりで田渕さんと一緒に仕事をする機会も得られ、憧れの人に出会えたことは37年自分の進む道が正しかったと実感しています。
田渕さんのような生き方はまだまだ出来ていませんが、子供の頃に得たヒントを追いつつ田渕流の生き方を日中に感じながら自分らしい生き方を今後も続けていくつもりです。
ただの山暮らしでもなく、ただの自給自足でもない、自然が作る芸術性や自然が作る真実性と同じ匂いのする田渕流の生き方、田渕さんを知らない今の世代に、今の世に必要なキーワードだと思います。
田渕さんが輝いていた時代を一緒に生きてこられたこと、幸せだったと感じています。
もう覚えてらっしゃる方も少ないかと思いますが、タブチさんはご自宅を建てる前にそこでソロー的キャンプ生活をされていました。
小生がはじめてタブチさんの記事を拝見したのは、その時期「ポパイ」誌の「4輪+2輪」特集でした。今でもその号はとってあります。
その後、ビーパル誌が創刊されその誌上で川上村に移住されたタブチさんの奮闘の模様、あこがれました。今ではあまりそんな印象はないですが、まだ創刊間もないころのビーパル誌は、移住者生活についてかなり記事のボリュームがあったんですよ。一時期は裸火タブーなこともありましたね。
そんなタブチさんの影響で、薪ストーブ人生。疲れて作業をしていた夕方、ちょっとチェンソーがかすって、数針縫うことも体験しました。
実家は関東ですが、今は十勝に永住。明日(今日か)の朝もマイナス10度の予報ですが、階下で頑張っている薪ストーブがあれば「ベツニー」。
また、ヘンリーソローについて渉猟をするようになったのもソローヴィアンのタブチさんのせい(笑)ですね。本当に人生、変わっちゃいました。
あと、これも覚えている方がどれぐらいいるか、あの伝説のアウトドア雑誌(笑)「アウトドアイクイップメント」誌上のタブチさん。非化学繊維のスタイル、しびれたなぁ。ボロボロになるまで読みました。
「無駄な買い物をなくし、正しい選択をする。足るを知る」があの雑誌の創刊当時の理念だったと思いますが、だいぶん時代を先読みしすぎた。本当にボロボロで表紙がとれそうになる状態です、やっぱり読み返そう。電気がなくてもうすら空色の雪原を照らす星明りでも読むことができる、それが電子書籍でない良さですから。
タブチさんとは実際にお会いしたことのない若輩者ですが、これからもタブチさんの著書は小生の書棚で、小生のドタバタカントリー生活を眺めてもらいます。
これからもよろしくお願いしますね!さあ、薪をくべよう!!
2か月に1回の投稿を楽しみにしていました。11月、今度は1月そろそろかなと度々ブログを覗いていましたが、更新がありませんでした。まさか、とても残念です。自然を愛し、木を愛し、風を愛し、雪どけの春の日差しを愛しみ、素敵な言葉がそーとささやいてくれるような言葉の数かずが流れ、きれいだなあ。とそして、2ケ月ごとの更新を楽しみにしていたのに、田渕さんのブログ読み返してみたいと思います。
フライフィッシング教書を頼りにフライを始め、森の生活では鉄の塊のキッチンストーブに憧れ、紙質の悪い 森および川からの手紙を愛読書し、ろぐはうすを作り、薪ストーブを入れ、
子育て。6年ほど前にがんを発病。多病になりながら共病していきてきました。薪を人力で割ることが少々無理になりましたので、機械をいれました。体力がなくなりましたので家具作りを再開しようとしていていた矢先です。訃報に触れたのは。年の離れた友人であり、先輩である故近藤紘一さん父や母を亡くして以来の衝撃です。ありがとう 安らかに眠れ。
奥様の心痛 察しに余りますが一度は通る道です。冥福を祈ります。
すばる4WDのワゴン。僕も乗っていました。 ありがとうございます。田渕様には感謝感謝です。
川上村の初めての冬は寒かったと思います。たくさん頑張りました。病魔に襲われ無念だったと思いますがいつか通る道と思います。
残念で残念で言葉が埋まりませんがとてもとてもあなたが好きでした。
伊香保寒山から
訃報に際しお悔やみの言葉を申し上げます。
田渕さんの独特な言葉の使い方が非常に好きでした。
森暮らしの本、改めてじっくり読み返します。
いつか田渕さんの作った椅子に座ってみたいと思います。
ありがとうございました。
田渕さんに憧れて、山を買いました。
まっ、優しそうな目で僕の事を見ていてくれるでしょ!
師匠!
沖縄より田渕さんの生き方に感謝!
清里に住んでいたころ川上村散策をしました、、独特な季節感を反映した匂いや情景は心にとどめています、、今沖縄、今帰仁村、、心より御礼申し上げます、、長くの楽しい山便りを、、本当にありがとうございました。
楽しみにしていた更新、「そろそろだったかな?」と久し振りに覘いてみたら・・・。
仕事中にも関わらず涙が溢れて止まりません。
ビーパル創刊時より愛読し、一昨年の秋、やっと山小屋を立て20年ぶりのFFも再開したところです。2月解禁と同時に佐久漁協の年券購入し、今年は確り川に出よう、昨年2回ほどお近くまで行きながら、伺う勇気が出なかった田渕さんのお家にも寄らせていただこう!と心に決めたところでした。
暖冬気味の2度目の冬もそろそろ終わりと思っていたら、先週末から大雪ですね。雪が解けたら、庭造り・薪作りに励みます。
田渕さんに教わった生き方をしっかり実践していきます。
ご冥福をお祈りします。
40年前、初めて田渕さん(とシェリダン・アンダーソン)の
『フライフィッシング教書』をお小遣いをはたいて買って読みました。
東北の片田舎の小さな町で…。
大学生になり、社会人になり、その間に棲む場所が何度変わっても、
あなたの本はぼくの本棚にあり続けた。
ガツカ・リバーを旅したときのシトロエンの写真が、今でも大好きです。
奥付に記された住所をいつか尋ねたいと思っていました。
あなたの本をいつか出すことが僕の夢でした。
まさかこんなにも早く天国のカーティスクリークに行ってしまうなんて。
心よりご冥福を申し上げます。
中学の時。
田渕さんの生き方をBe-PAL誌で知り、すぐさま著書を購入し、
結婚を機に、長野の佐久地方に住み、薪ストーブをしつらえ、
現在にいたります。
こちらの記事を拝見して、あまりのショックに呆然となりました。
二度ほど、お会いしたいと、近くまで行ったのに
緊張と、突然の訪問は迷惑だろう、と、会わなかった事、後悔してます。
心よりご冥福をお祈りします。
中学生の頃、学校の先生に勧められて読んだ「フライフィッシング教書」で人生観が形成された、と言っても過言ではありません。あれ以来30年以上ロッドを振って、今まで心豊かに生きることが出来ました。転勤で山梨県に移り住み、田渕先生が住む場所の近くであることを感じつつ、いつか機会があればご挨拶申し上げたいとおもっておりました。幸せな生き方を教えてくださいましてありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
今日、訃報を知りました。
僕は昔からFLY Fishingで魚を取り込む時にリールを使ってやり取りをするのですが、
それを田渕さんが「魚に対するマナー、リールでやり取りしたまえ」と書籍の中で言って
おられ、同じで考えで釣りをしていた自分が誇らしい気分になれました。
他にも書籍の中で色々、教えられました。
その教えを胸にこれからの人生、おおらかに生きていこうと思います。
安らかにお眠りください。
本日しばらくぶりにここへきて、訃報を知りました。
とにかく驚いて、、お悔やみを申し上げます。
私が田渕さんを知ったのは、ワーズワーズの冒険という番組です。川上村に移住して薪ストーブの
ある生活を好んでいるとのことでした。
自然の美しい映像と共に岩魚釣りをしている田渕さんがいらして、
時間がゆっくり流れ出す生活が映し出されていました。
それ以来、そのような生活を送られている田渕さんが気になって、時々こちらにきておりました。
田渕さんの書をこれからゆっくり読んでみたいと思います。
どうぞ安らかにお眠りください。
今日田渕さんの訃報を知りました。たしか20年以上前アウトドア雑誌から田渕さんの存在を知ったのではないかと思います。「森の暮らし」だったか本を購入し食い入るように読みました。
ただ自分とはレベルが違う遠い存在のように思っていました。 ただ10年ほど前滋賀県高島市に中古ログハウスを見つけ購入してしまいました。その後退職金で増築、同時に薪ストーブの設置を実現しました。
そこまで進んだのは田渕さんの生き方が影響したと考えています。さらに数年前かっての本を読むかえし、さらに最近の著書はなないか探して「森からの伝言」を見つけ読みふけりました。
田渕さんの地球変動に対する警告と原発批判の考え方にさらに共鳴しました次第です。
ショックは隠せません。
しかし自分も少しでもスローイズムというか、自然派の生き方を進めて行きたいと思います。
ショックです。僕の尊敬する哲学者です。
最後まで愛する家、チェアー、薪ストーブと一緒だったんですね、あの笑顔忘れません。
御冥福をお祈りします。
日大農獣医学部釣同好会フライ班
Y.Nakamura
今日、コロナで大好きな南の島にいけないと呟いていたら同好会の大先輩から「そんなとこ行けなくてもカーティスクリークがあるじゃない🎵」とコメントを頂きました。大学時代にタイムスリップしてとても新鮮な気持ちになり、田渕さんの最近の様子を知りたくてこちらにたどり着きました。
なんということでしょう。
忍野の清掃で泥だらけになって大きなゴミを川の中から引き上げてらっしゃった姿が今も鮮明に残っています。
ありがとうございました。
ご冥福を、お祈りいたします。
今朝、オアシスを辿るように
エッセイに訪れました。
そうでしたか、、
空気が綺麗になった世界を
笑ってみてやってくださいませ。
合掌。
中学生の頃に「バックパッキング教書」に出会い「アウトドアライフは終わらない」を読んでからずっと田渕さんに憧れ、考え方や生き方・暮らし方に惹かれていました。自然体験リーダー・国立公園管理人、有機農業と自然と人が一緒に生きる暮らし・社会作りに役立ちたいと思って今の道を選んできました。これも、中学生の時に田渕さんの哲学に触れたことが始まりです。本当にありがとうございました。
心の川、カーティスクリークがいつまでも存在できる社会を作って行きます。
ご冥福をお祈りいたします。
思いがけない訃報に接し、残念な気持ちでいっぱいです。
私が「フライフィッシング教書」に出会ったのは、もう40年近く前のことです。この本が、私のフライフィッシングをより豊かなものにしてくれました。
15年近く勤務した岩手県では、北上山地の山奥に、純朴なイワナが乱舞する我がカーティスクリークを見つけることができました。関東に戻ってから、ずっと気になっていた金峰山川へ赴き、白い川底に同化したホワイトバックのイワナに出会いました。もちろん、この川が気になっていたのは、同書で紹介され、田渕さんが移住した地だからです。
私が気後れしてしまい、田渕さんのお宅訪問は実現しませんでしたが、金峰山川では、いつも田渕さんの存在を感じながらロッドを振っていました。今年シーズンも、相変わらず田渕さんを感じながらの釣行になると思います。
「フライロッドと人生」を久しぶりに読んでいて田渕さんなら今のこの世の中にどんなコメントをされているのかと気になりこちらを見たところ訃報に接し悲しく残念でなりません、私の故郷は川上村と八ヶ岳を挟んだ反対の原村。このところ毎年金峰山川に出かけいつか田渕さんに会える日が来るのではと思っておりましたが、寂しい気持ちでいっぱいです、川からの手紙も大切にしていきたいと思います、私のリバーオデッセイはまだ続きます、ご冥福をお祈りします。
私は32年前の大学生の頃、「寒山の森から」をはじめとする田渕さんの著作が座右の書でした。精神的に独りきりの生活を送っていたその頃の私には、田渕さんはまさに羅針盤そのものでした。冬の奥秩父、誰もいない雪の屋根岩から、赤い屋根を憧れを持って眺めたことを思い出します。
10代の終わりの辛かった時期を、私は田渕さんの著作を読むことで何とか生き延びることができたと思っています。
その後、私は自分の道を行き、田渕さんとは少し離れた考えを持つようになりました。もう著作に頼ることもなくなり、いつしか全て手放しました。
永眠された今、田渕さんには心からお礼を申し上げたいです。
何度も小川山へ行きながら、お訪ねして直接お礼を言う勇気はありませんでしたが、若かった私のいつも隣に居てくれたのはあなたの著作でした。私の精神の形成に大きな影響を与えていただきました。
天国で、大好きなイーグルスやニール・ヤングを聴きながら、安らかにお眠りください。
本当にありがとうございました。
一つだけ尋ねたかったんだ、
After the gold rush
田渕さん、きっと大好きですよね!
偶然にも今年になり、田渕さん訳の「薪ストーブの本」を古書店で見つけ、夢中になって読み終えました。今はどのように過ごされていらっしゃるか気になっていたところ、この知らせを目にしました。本は田渕さんのサインが入っており、どなたかに献呈されたものか、サイン会をなされた時のもののようです。
心からお悔やみ申し上げます。