田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

春が遅刻している。
クロッカスがまだ咲いている。
水仙が咲き始めたところだ。

ムスカリが、まだ枯れている芝生から花穂を出し始めた。
なんという綺麗な瑠璃色!
ムスカリの英名はワイルド・ヒアシンス。
ユリ科ムスカリ属の多年草。地中海沿岸の原産。
よく栽培されているそれは、アルメニア・ムスカリ。
ルリムスカリとも呼ばれる。

 

 

ムスカリが好き。
ムスカリもこの庭が大好きだからだ。
菜園の野菜もそうだが、自分の庭が好きになってくれた花を育てるのが一番。
ちょっとちやほやしてあげれば、大いに栄える。
園芸も恋愛も相思相愛が原則。

庭のそこいらじゅうをムスカリの花壇にしようと思っている。
で早春に、過密になったムスカリの球根を
ガーデンホークで土ごと掘り上げて芝地に移植している。
春が終われば、ムスカリは芝刈り機で芝草と一緒に刈られる。
でも、平気だ。
春が巡れば、まだ枯れている芝草の中から瑠璃色の花穂を次々と立ち上げてくる。
寒山の早春は綺麗な瑠璃色!

水仙もこの庭がお気に入り。
どんどん増えていく。
ムスカリと同じ手口で早春に移植する。
水仙の大きな黄色い花は、庭にこぼれた春の日輪。

 

 

水仙の花のように笑いながら……
ムスカリの瑠璃色を散りばめながら、春がやってきた。
寒い山の遅い春。
梅の蕾がはずかしげに赤らんできたところだ。
でも、林檎と杏と山桜の蕾は、「わたしたちはまだです!」と言いたげに、
その口を堅くつぐんだままだ。
この春は、梅も林檎も桜も、みんな一緒に咲くかも知れない。
だったら、嬉しいな。

実をいえばこの数年、梅の林檎もまったく実っていない。
花の季節に遅霜が降るからだ。
満開の林檎に雪が積もったこともあった。
寒い山の住人にしてみれば、温暖化はむしろ歓迎したいところだ。
でも、でも、やっぱり温暖化は総じて良くないみたいだ。
春が早いと、遅霜の被害が甚大なんです。
それは、我が庭でのそれがそうである以上に、
自然界では同じことが起こっているんだ。

 

 

そこで、寒山ウェザーステイションからこの夏の気象予報。
秋山に住める養蜂家の弘美さんによれば、この夏は暑い夏になります。
5月、6月、7月は素晴らしい夏が順調に推移するでしょう。
その科学的根拠は?
「シャクナゲの蕾がいつになく沢山付いていて、
その花盛りが見事なものになるからだ」。
弘美さんはそう言っています。

嗚呼、嬉しいな。
寒い山に巡ってきたまたの春。
この歓びをどう表現すれだいいんだろう?
温暖地に住める者には絶対に理解できないだろう……。
高冷地と高緯度地方に巡ってくる春の歓びを。

 

 

e.e.cummings(1894〜1962年)という詩人の
素敵な春の詩を紹介致しましょう。
彼は、ニューヨーク・シティーのグリニッチ・ビレッジの住人だったが、
ニューハンプシャーの山荘で多くを暮らした。

Spring is like a perhaps hand
(which comes carefully
out of Nowhere)arranging
a window,into which people look(while
people stare
arranging and changing placing
carefully there a strange
things and a known thing here )and

changing everything carefully

spring is like a perhaps
Hand in a window
(carefully to
and fro moving New and
Old things, while
people stare carefully
moving a perhaps
fraction of flower here placing
an inch of air there)and

without breaking anything.

 

 

詩の翻訳は難しい。
カミングスの詩は特にそうだ。
この詩を翻訳するのは、わたし嫌です。

詩は理解しようとしてはいけない。
詩の言葉は、解読表のないコード(暗号)のような物としてあります。
その詩を読む者の数だけ、その意味はそれぞれ。
詩の言葉は、音符のない音楽でもあります。
昔、人がはじめて海を見て「うみー♪」と言った時、最初の言葉は音楽としてあったからです。
詩の言葉が、きみの心の琴線に触れれば、それが詩です。
カミングスの詩は、易しい言葉で書かれてる優しい詩です。

 

 

シジュウカラが巣箱に林床の苔を運んでいる。
モズが冬の休暇から帰ってきて、去年と同じ庭の木立で巣作りをしようとしている。
雉が裏庭の木立でケンケンと騒がしい。
「今年もここで恋をして子育てするから、誰も来ないで」と言っているんだ。
 
春は恋の季節。
恋ある者には、さらに恋あれ。
恋なき者にも恋あれ。

 

 

Good news!
蜜蜂の一群が冬を越しました。
10日ほど前、巣箱の側で蜜蜂を見たとき、我が目を疑いました。
わたし、感動しました。
奇跡が起こったんだと思いました。

実をいえばわたし、諦めていたんです。
3群にまでした蜜蜂は全て、寒山の冬の寒さで全滅したと。
あの深い悲しみは、本当にショックでした。
同じ悲しみをまた経験することになるんだったら、
もう養蜂は止めようかと思ったほどです。

 

 

氷点下20度の冬を一緒に越した蜜蜂が、巣箱の入り口から元気に出入りしている。
その数が日毎に増して、春が本格化しようとしている。
ネコヤナギのそれなんだろうか?
後ろ脚の花粉籠に黄色い花粉をため込んで、働蜂が次々と帰ってくる。
蜜蜂は、世界で一番小さい空飛ぶペットです。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は6月下旬です。

 

 

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