田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

冬をまた一つ数えて

空の青さが優しいブルーになった。
大気に湿度が増して、その青さに春が宿りはじめた。

昨夜は暑くて肌着になってしまった。
ベランダの柱に掛けられた寒暖計を見れば、−5度だった。
氷点下15度の朝がつづいていた。
10度の気温差は、冬と夏ほどの違いを感じる。
アンコールは冬中同じように燃えつづけている。
「この家はボロ屋だ。もっと断熱性を高めた家にしなければだめだな……」。
そう思いながら、暮らしていた。
だが昨日は、「この家はなかなかに暖かくて、いい家だな」。とそう思った。

 

 

冬をまた一つ数え終えようとしている。
思えば、この寒い山に長く住んだものだ。
好きで山住やってきたんだから、何をかいわん。
にしても、不思議な思いにとらわれないでもない。
それは、誰にでもある、季節の変わり目に思うこと?
すぐにも逝こうとしている冬へのノスタルジー。
そして、歓びに満ちたまたの春。
季節は巡って、わたしと妻は爺と婆になりまさってなんの不思議なけれど。

 

 

好きな自然に囲まれてシンプルに暮らしたい。
そんな軽い気持ちでこの山に来た。
何かを為したいという志や計画があったわけはなかった。
どうしてここに来たかの動機も曖昧なものだった。
だから、来たときの道は忘れてしまった。

わたしがそうだったように、
人はシンプルに暮らしたいとか、シンプルに生きたいと思う。
だが、シンプルシティーが何であるかを知ることは難しい。
何処に住もうとも、何を為そうとも、我々は、もはやシンプルではいられない。
我々の暮らしは複雑に絡み合った何ものかとしてある。
シンプルであることは勇敢なことであり、シンプルでありたいと願うことさえ、勇気のいることなのだ。

探検家は好きだが、冒険家には興味がない。
何故なら、今日では生きることが冒険だと考えるからである。
山で30回以上冬を数えて、こう思うようになった。
「わたしたちのこの山住は、心ならずも冒険だったのだ」と。

 

 

シンプル(Simple) というカタカナには二つの相反する意味があるように思える。
それを漢字にすれば、素朴と簡素ということになるのではなかろうか。
素朴は先天的なシンプルであり、簡素はソフィストケイト(哲学的な)されたシンプルのことだ。

素朴でありたいと願っても、我々はもはや素朴に生きることはできない。
わたしは、自分をこの寒山の仙人だと思っている。
しかし、この仙人にも、住民税とか介護保険税とかがある。
では、簡素に生きるとはどう生きることなのだろう?

「簡素であれ。簡素であれ。水こそが賢者の飲み物である」。
ヘンリー・ソローはそう言うが、それは勇敢なことであり、そう願うだけでも勇気のいることなのである。

 

 

しかし、仙人は結構いる。
みんなが思っているよりも多く仙人はいる。
本物の仙人は目立たない。
少なくともテレビには登場しない。
携帯持ってる仙人はいるだろうが、SNSはやんない。
仙人は、野にも山にも海辺にも、そして大都会にもたくさんいる。

現代における仙人……。
それは、もしかしたら君のことなのかも知れない。
重要なこと、それは、本物の仙人は自分のことを仙人だと気づいていないことだ。
そういう人はきっとたくさんいて、メル・ギブソンなんかのB級映画をテレビで見て笑ってる。

 

 

さて、この項でわたしが言いたいことはこういうことです。
それが言いたくて、遠回りをした。
「山が好きで、その山で仙人生活したいんだったら、
薪ストーブを焚けばそれでいんだ。簡単なことだよ」。

上部構造は下部構造に規定される。
だったら、インフラとしてのエネルギーの質が我々の精神に運命をもたらす。
現代における薪ストーブは、芸術的で自給自足的な自然生活のためにある。
わたしが薪ストーブを焚くのは、損得や経済のためではない。
薪ストーブが好きだから、わたしは薪ストーブを焚く。

 

 

今抱いているわたしの夢は、2年物の薪を焚くことだ。
2年間乾燥させた薪は宝だ!
あっという間もなく燃え上がって、
たちまちストーブサーモメーターの針を右旋回させていく。

しかし、冬に2年物の薪を焚くということは、
いつも3年分の薪を積み上げているということである。
それは、この寒い山では30トンの薪を蓄えることを意味する。

 

 

サンルームに置いた鉢植えのタラゴンが芽吹いた。
雨が菜園の根雪を溶かした。
すぐにでも、この春最初のフキノトウを発見することができるだろう。
歓びの春がすぐそこまで来ている。
黄緑色のフキノトウと再会することを幸福と感じることができれば、
それがシンプルに生きるということなんだ。

 

 

薪ストーブが焚きたくて、この山に来た。
四方を緑の山々に囲まれて暮らしてみれば、
シンプルライフなんて実は簡単なことなんだ。
薪ストーブ焚いて、菜園で超高級な作物育てて、
好きな木工を嗜んでいれば、
30年間なんて瞬きもしない内に過ぎ去っていくんだ。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi
隔月連載。次回の更新は4月下旬です。

 

  • ページの先頭へ

薪ストーブエッセイ・森からの便り 新着案内