田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

薪ストーブと政治

コールドマウンテン-ルドベキヤと蝶
 

ルドベキヤは笑ってる。
エキナシーヤは澄まし顔。
ベルガモットははしゃいでる。
それから、百合と松虫草に朝顔。
黄色、赤、紫、白…花々は咲き競い蝶たちが舞っている。
クジャク蝶、ミドリヒョウモン、スジボソヤマキ、カラスアゲハ…。
木々の緑は繁茂し、その枝々が自分の重さでかすかな風に揺れている。
万物は夏姿のままで、菜園の緑にも変化はない。
夏がこのままずっとつづくように思える。

でも、今朝庭に出たら芝生に宿った大粒の露がサンダルをびっしょりと濡らした。
薪小屋の屋根に黄色く色づいた白樺の葉が降っていた。
それは、秋がすぐそこまで来ていて、我々を手探りしている証拠なのだ。

 

コールドマウンテン-光合成という驚くべき魔法

 

Sitting in the Sun.
日々は健やかで、缶ビール片手に庭のベンチに腰を下ろしてもの思うにはいい季節だ。
この世の生き物をあまねく育む太陽の仕事ぶりに感謝しよう。
光合成という驚くべき魔法を為している木々の葉がいかに優れた化学プラントだったかに思いを馳せよう。
一本の闊葉樹には数十万の木の葉が宿り、朝日と共にそれらの葉の一枚一枚が勤勉な化学プラントとして一斉に稼働し始める見事さを思ってみよう。

ある化学者が「わたしは、水と空気と土だけで食物とエネルギーを無尽蔵にしかも永遠に作り出す化学プラントを発明した。
そして、この化学プラントから排出されるのは酸素だけである」と発表したら、人々は「まさか?」と異口同音に叫ぶだろう。
しかし、植物が為している光合成とはそういうことなのだ。
人はどうして、科学技術の進歩ばかりに心奪われているのだろうか?

 

コールドマウンテン-我々は「薪ストーブ党」

 

政治家は何かといえ「経済、経済」と言う。
だが、経済という言葉は「経世済民」の略語であり、
「世を治め民を救済する」という意味。
ちなみに、economy はギリシャ語の oikonomia に由来し、
“家(oikos)の管理”という意味。
転じて節約、倹約、経済に。
ecology は、“生活環境に関する学問”ということで、
転じて生態学、自然の経済学という意味に。

衆議院総選挙があって政治モードの季節だから敢えて言うのだけれど、自分に支持政党がないことを悲しく思う。
この国には「緑の党」がない。
一枚の木の葉を旗印に掲げる、自然派による自然派のための自然派政党が必要だ! 
大切なこと、それはGDPよりも幸福度と安心。
それから、豊かな自然環境。自然はリベラルである。
自然は惜し気ない。けちけちしない。自然は誰にでも平等である。

エコロジカリーな視点からエコノミーを語る経済学と政党の輝かしい台頭を望む…。
しかしながら、政党とは“政治で飯を食おうとする者たちのアジト”のことでもある。
で、「緑の党なんて金にならないよ」ということか。
いいさ、我々は「薪ストーブ党」の党員であることを誇りに思うさ。
嘘つき達の言葉には耳をふさいで、ストーブの煙の匂いと共にやってくるこの秋を、さあーみんなで見守ろう。
 

コールドマウンテン-ストーブの煙の匂いと共にやってくるこの秋

Photes by  Yoshio Tabuchi

 

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