家と庭と、薪ストーブ
お盆休みを活用して、家と庭のメンテナンスに励んだ。
左官職人の旧友を一週間庭のキャビンに住み込ませて、二人で頑張った。
この家の一階は、石積みの外壁と間仕切りからなっている。
最初、この家は雑木林の法面(のりめん)に建つ高床式の家だった。
ヒューム管と呼ばれるコンクリートの太い円柱が、この家を支えていた。
このヒューム管とヒューム管の間に石積みの壁を築いていった。
法面を手掘りで掘り下げた。
頑丈な基礎を埋め込んだ。
そして、一面、また一面と石積みの壁を築いていった。
そのようにして、この家のベースメントは後から出来上がった。
ベースメントという言葉には、二つの意味がある。
文字通りの“土台”という意味。
それから、グランド・フロアーという意味。
英国で first floor(ファーストフロアー)といえば、二階を意味する。
それは、多くの家がグランドフロアーとしての半地下室の上に建っているからだ。
ということで、この家のファーストフロアーは二階です。
15年掛けて為した石積みのベースメントだが、やり残したことがあった。
それは、この10年間の懸案だった。
石積みの壁から出っ張っているコンクリートのヒューム管だ。
このヒューム管は、タイル状の花崗岩をモザイク状に張り付けて化粧するべきだ。
そうすれば、石積み壁のバットレス(控え壁、胸壁)として、自然で好ましい建築物となるだろう。
そして、懸案はとうとう解決された。
「ねえー、わたしを見て! 綺麗になったでしょ……」。
生まれ変わったヒューム管のバットレスが、そう言いながら微笑んでいる。
ヘンリー・ソロー(1817~1862年)は“ウォールデン”という書物の“結び”でこう書いている。
「きみが空中の楼閣を築いたとしても、案ずる事はない。
それは、在るべくしてそこに在るんだ。
後から、土台を押し込んでやればそれでいい」
ヒューム管の化粧は3日でこなした。
左官仕事のついでに、キャビンの下屋のコンクリートの土間を化粧した。
軽トラでホームセンターに出向いて、大理石の石版を奮発した。
白と黄土色とピンクのそれがあったが、迷わず、明るいピンクの大理石を選んだ。
庭のキャビンは、若き来訪者のためのゲストハウス。
よかったジャン。ピンク色に染まる大理石の土間が小屋への入り口になりました。
薪作りパーティーの折りには、こぞってキャビンをご利用下さい。
それから我々は、庭の手入れに精を出した。
30年掛けて、自分の筋肉と汗に訴えて得た情報や知識は凄い。
夏草に埋もれかけていた庭が、たちまちメイクアップされていった。
庭は自分で自分を祝福する場だ。
人や人が作った物から癒されたり祝福されようと思うから、複雑になる。
それよりも、庭の花や、カボチャやトマトから癒されよう。
人は類的(社会的)な存在としてあるが、人は何かを無心に為しているときは誰でも孤独だ。
孤独でいるときが、人は自分らしく、いちばん輝いている。
そして、その孤独を楽しむことができる者こそが、よい仕事を為す。
麦わら帽子をかぶって、夏の庭に立つ婦人を見た。
きみは、美人で知られるローマ神話のケレス(豊穣の女神)のように輝いていた。
きみは、自分の庭で自分を祝福していたんだ。
寒い山の住人にして見れば、いつまでもこの真夏日がつづくことを願う。
とはいえ、朝晩はカーディガンを羽織りたくなる時候になった。
薪ストーブと煙道のメンテナンスを急ぐべきだ。
アンコールに火が燃えなくなって、長い月日が経ったように思える。
実は、たったの一ヶ月なのだが……。
八月は、毎日のようにキッチンストーブに火を起こした。
薪が燃えていない台所仕事は味気ない。
プロパンガスと電気に頼り切った台所は寂しい。
薪エネルギーで為した料理は、おしなべて有り難いと感じる。
そして、美味しい。
朝昼晩、一日に三回台所に立って調理に余念のない妻が、こう言って苦笑いしてた。
「一日に三回台所仕事をする女は愚かだ」
そう女友達から言われたと。
台所仕事の煩わしさをかこつ発言は少なくはないが、妻は台所が好きだ。
居間のアンコールが眠っているのが気にくわない。
で、キッチンストーブに火を入れたがる。
キッチンストーブに火を入れるのは、わたしの仕事だ。
キッチンストーブに火が入れば、妻は張り切る。
庭の野菜を利用して、次々と色んな料理をこなしていく。
彼女は、キッチンストーブの薪エネルギーに癒されているんだ。
薪ストーブや薪焚きのキッチンストーブは、我々にしてみれば便利で好ましい物だ。
しかし、「あんな手間が掛かる事をしている者は馬鹿か間抜けかトンマだ」と、人は思っている。
結局人は、自分の幸せを追求しているんだ。
それでいいのだ!
価値観の多様化とは、幸せの多様化である。
奇異とも思える価値観でも、人に迷惑を掛けないものであるなら、
笑って容認してしまえばそれでいい。
人の価値観も幸せも、もっともっと多様であれ。
全体主義は面白くない。
同じ価値観を強要することで、戦争が成り立つ。
フクシマ問題に、“絆”という言葉の風呂敷を被せるな。
多様な幸せが、手に手を取り合ってロンドを踊っているような社会であれ。
そんなダンスの輪のなかで、独特な存在感のオーラを持つ者達、それが薪焚き人であれ。
追伸;
田渕義雄の名著「森暮らしの家」(小学館刊)が軽装版(¥1470)になって再出版されました。
ハードカバーのオリジナル版は絶版状態だったので、ウェブサイトで1万円以上の値が付いていました。
“これは10年に一度の良書だ!”
少なくとも、この本の著者と版元はそう言っています。
Photoes by Yoshio Tabuchi