もっと近くで、もっとゆっくり
花々が咲き競って、夏がまだ燃え立っている。
庭の日差しに立てば、たちまち汗ばんできて野良仕事がままならない。
切り株に腰をおろして、捕虫網を傍らにしてわたしは蜜蜂を見ている。
スズメバチの繁殖期なんです!
キイロスズメバチが飛来して、働蜂を捕獲していく。
巣に持ち帰って噛み砕いて、幼虫の餌にするんだ。
蜜蜂も負けていない。
巣門に止まったスズメバチにみんんなで覆い被さって、窒息死させてしまうことができる。
この季節には、巣箱の巣門にスズメバチの捕獲器が装備される。
蜂の習性を見抜いた捕獲器で、多い日には1日で10匹ものスズメバチをそのトラップに掛けることができる。
しかし、この罠も万全ではない。
働蜂を空中で捕獲して、悠々と飛びさる輩がいる。
で、暇さえあれば、捕虫網を傍らにして蜜蜂の巣箱を見張っている。
夏はまだたけなわのように思えるが、紫色の野草が目立つようになった。
ツリガネニンジン、ヤマトリカブト、それから萩。
それは、もう秋がこの庭を手探りしている証拠だ。
萩の花穂に蜜蜂が来ている。
マメ科の植物である萩の花蜜は、季節最後のまとまった蜜源であろう。
夏が逝こうとしている。
わたしは何処にも行かないで、この庭とこの家にただいる。
思えば、7月8月は村を出ていない。
わたしは蒲鉾みたいに自分の庭と家に張り付いている。
わたしは何処にも行かない。
人口250人のこの集落を出ることさえなかった。
庭で養蜂をたしなむということは、来る日くる日を蜜蜂とデートしつづけるということだ。
こぞの夏に、オオルリが木工部屋の石積の壁に設えられた換気扇の框(かまち)で、巣作りをした。
そのせいで、この青い小鳥が子育てをしている間は換気扇を使えなかったが、“青い鳥は此処にいる”と悟った。
人はどうして旅に憧れるのだろうか?
旅は、足袋(たび)の転化といい、また“辿る日々”が簡略化された言葉だともいう。
いずれにしても、旅は旅するその道行きのことをいうのだろう。
旅は気晴らしであり娯楽だ。
それ以上の意味や目的をそこに求める者もいよう。
にしても、それは娯楽の範疇として捉えることができる。
人生に娯楽は必要だし、娯楽は大切なものだ。
なぜなら、娯楽のクォリティーが人生に運命をもたらすからである。
低俗な娯楽は、低俗な人生を約束する。
高尚な娯楽は、人生を高尚な高みへと導く。
旅も、そのクォリティーが大切だ。
コロラドのロッキー山脈を1ヶ月間一人でバックパッキングする旅もあれば、ニューヨークシティーのダウンタウンでただ暮らす旅もある。
どっちがどっちだとは、一概には言えない。
しかし、これらの旅のクォリティーには差がある。
釣りは気晴らしであり娯楽以外の何ものでもないが、わたしが毛鉤を振る川の土手には、幾筋かの横縞模様が描かれている。
川の増水時に描かれた模様だ。
その縞模様を、釣り人はこう読み解くことができる。
「釣りも、自分の家も人生も高いところに築け」と。
わたしは、夏のハイシーズンを避けて、好んで秋に旅をした。
わたしの旅は、アウトドアー・アクティビティーとしてあった。
オレゴン、モンタナ、コロラド。
それから、ニューイングランドのメイン、ヴァーモント。
そのアウトバック(僻地)で暮らす人たちと人生の幾日かを共にし、彼ら彼女らの暮らしぶりを垣間見る旅として、それはあった。
そして、爺になってわたしは学んだ。
「幸せの青い鳥は、薪ストーブが燃えるこの家とこの庭にすんでいる」と。
庭のキャビンにあるそれを数えれば、此処には5台の薪ストーブがある。
人は、それを多すぎると思うかも知れない。
しかしその分、この家には電子レンジもないし皿洗い機もない。給湯タンクもない。
老人は後悔の奴隷。
もしもそうなら、若者は夢の奴隷だ。
それは、生物学的な道理でもある。
愛犬の次郎もそうだったし、今一緒に暮らしている愛猫のミーとサラもそうだ。
若者には遠心力が働く。
われわれには求心力が働く。
思うに、わたしたちの時代や社会もまたそうなのではなかろうか。
成熟とは、何かを喪失していくことでもある。
もっと少しでいい……。
われわれは今、そう言うべき時代を生きているんじゃないだろうか。
少子高齢化社会における、円安、株高。
デフレ脱却、インフレ促進……
なんてマッドな考えだ。
一億総活躍は戦時下のスローガン?
人生をゆっくりと楽しみ味わうために、老後がある。
我々の望みは、日々の暮らしのコストが軽減されることだ。
GDPなんてどうでもいいんだ。
物価指数だけが上昇率していく経済成長なんて誰も望んでいない。
我々は、安心と安全と安定を望んでいる。
家に薪ストーブを導入するということは、オール電化=原発にNOと言うことである。
それは、これ以上のイノヴェーション(技術革新)はもういらないという意思表明だ。
それよりも、温故知新。
われわれは、古きを尋ねて新しきを知りたいんだ。
21世紀は求心力が強く働く時代になるだろう。
その求心力を、どう明るい方向に導いていくかがわれわれの課題だ。
イノヴェーションよりもリノヴェーション(修繕、修復)。
もっと速く、もっと遠くへは、陳腐でカビ臭いスローガン。
もっと近くで、もっとゆっくり……!
原発とセットのリニアモーター・トレインはいらない。
よしんばそれが実現したとしても、その時のわれわれは、在来線の長閑な速度に心惹かれていることだろう。
夕暮れが早くなった。
オイルランプに火を灯した。
それを、アンコールのストーブトップに置いた。
オイルランプが好きだ。
ほのかに明るい黄色いこの灯火は、我々の幸せは慎ましやかであったほうがスマートだと語りかけているように思える。
Photoes by Yoshio Tabuchi
隔月連載。次回の更新は10月下旬です。