LIVING THE GOOD LIFE
夏の終わりはなんだか物悲しいが、
秋になってしまえば心もまた新しい季節にシフトされる。
日々は健やかに過ぎていくが、今朝は、野に山に庭に霜が降りた。
下の集落へ牛乳を買いに行った。
バス停で、時刻表を見ながらソロのバックパッカーが思案顔……。
軽トラのドア越しに声を掛けた。
「何処に行きたいの?」
「信濃川上駅で小海線に乗りたいんですが、次のバスまで二時間半あります。
駅までは何キロありますか?」
「15キロといったところかな」
「歩いても待っても同じ時間ですね」
彼は駅まで歩くことにしたらしい。
礼儀正しい青年だった。
日の出を待って、金峰山から下山してきたのだ。
少しやつれて日焼けして、いい顔してた。
紅葉に染まった山で、青春の悩ましさを燃やしてきたんだ。
山脈の麓の集落で暮らしていれば、山から下りてくるハイカーや登山者やバックパッカーを、よく見かける。
大きなリュックサックを背負った若者を黙って見送るのが好きだ。
単独行の青年には、好ましい孤独が宿っている。
二人連れの男子は、山で友情を分かち合ってきたんだろう。
女子を交えたグループは、大学のサークル仲間だ。
笑いながら、お喋りに興じながら、幾日かの山旅を懐かしんでいる……。
山から下りてくる若者は、みんないい顔をしている。
本人は気付いていないのだが、みんなピカピカに光っている。
そんな若者に自分の青春を重ねながら、一人の老人が彼らを遠くから見ている。
そして、気付く。
「この青年は大丈夫だ。いろんな事があるだろうが、この子たちはそれぞれの人生を自分らしく生きていくだろう」。
そう思いながら、山から下りてきた遠い日の自分や自分たちを見ていた視線があったことに……。
この秋は紅葉が見事!
ミズナラがいつになく綺麗に紅葉している。
落葉松の黄葉が闊葉樹のそれに追いつこうとしている。
鹿が鳴いてる。
この夏、わたしは木工に興じすぎたみたいだ。なんだか、疲れた。
好きなそれだから、自分の齢を忘れて深追いしたんだ。安息日が必要だ!
自分は社交家ではない。
で、誰にも会わずに好きなことに集中しすぎてしまうんだろう。
だがそれは、自分の個性である。
だから、木工家の道を歩んでいる。
にしても、どんな道も遠く果てしないな……。
ひとつの山の頂に登ってみれば、山脈の向こうにはもっと高い山頂がそびえ立っている。山稜の長い下り道を下りてから、あの峰にまた登らなくてはならない。
しかし、これでいいんだ。
バックパッカーは歩きつづける。木工家は木を刻みつづける。
どんな人生も容易くはない。
ヒッピーだってカウボーイだってカウガールだって、子供が就学年齢になれば、アナルコではいられなくなる。子供は、汎社会的な存在だからだ。
容易い人生なんかない。
なぜなら、生きることには、目的もその意味もないからである。
人生は、“シシュフォスの神話”。
狡猾なシシュフォスはゼウスの怒りにふれて、山頂に大きな石を積み上げる罰を受ける。あと一息のところで石は崩れ落ちる。
その繰り返しのことをシシュフォスの神話という。
生きることには、目的も意味もない。それを、存在の不条理という。
「では、どうすればいいんだろうか?」。
ジャンポール・サルトルもアルベール・カミュも不条理な存在への“反抗”を唱えた。
サルトルは、左翼的な反抗の道を選んだ。カミュは、存在の孤独を深めた。
風もないのに、綺麗に色づいた深山桜の葉が散る。
またの秋。そして、季節は冬へ。
薪にする丸太が届いた。今年のそれは、“雑木の混ざり”。
AAAの薪材である楢材だけのそれをリクエストすることもできた。
でも、“雑木の混ざり”でいいとリクエストした。
村で一番長い知り合いである林業家の淳さんが、気を利かせてくれて、面白い樹種の丸太を混ぜてくれた。
素性のいい山桜とミズメは、村の製材所に運ばれて家具材になる。
太い沢胡桃の丸太が5〜6本ある。
沢胡桃は、軽軟材だ。で、下駄材やマッチの軸になる。
軽軟材は、薪としてはシングルAだ。
軽い棚板が欲しいと思っていた。製材してみよう。
年々の薪作りは、シシュフォスの神話に似ている。同じ事の繰り返しだ。
だが、同じ秋がないように、薪用の丸太も同じ物はない。
生きることには、目的も意味もない。
だったら、より良く自分らしい人生を生きるしかないじゃないか……。
それが、実存的哲学の本意だ。
好きなこと、やりたいことがあるなら、今すぐやりなさい。
人生は、思っていたよりも短くまた長い。
夢があるなら、今すぐ、その夢の実現に励め。
夢は、夢見た者を裏切らない。人が、夢を裏切る。
この世は今、混沌として無秩序で、あてどない。
民主主義という金糸の御旗が、ぼろぼろになってはためいているからである。
時代のドグマ(dogma 、教条)に陥るな。歴史家の眼差しを持て。
自分たちが今生きている時代が、どんな世界なのかをみつめよう。
どうしたら時代の狂気に巻き込まれないで、シンプルに生きていけるかを考えよう。
どのような金科玉条よりも、薪ストーブを信じて実存的な孤独を友としなさい。
自然を敬い、人生を楽しめ。
きみがいてくれれば、この世に怖いことなんてない。
それが、タブーチ的実存主義哲学の教えだ。
Photos by Yoshio Tabuchi
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隔月連載。次回の更新は12月下旬です。