田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

退行的進化論

寒山ベジタブルガーデンは今、トマトが旬。
トマトピューレの瓶詰め作りがはじまる。
トマトピューレは、料理用のそれで作る。
数年前から“シシリアンルージュ”という品種を栽培している。
この寒い山でも生育旺盛。
野性的なトマトだ。
小粒だが酸味が利いているので、気に入っている。
去年は30瓶作ったが、春の内に食べつくしてしまった。
トマトピューレ作りはわたしの仕事だ。

 

 

今年は、2合瓶で50瓶のピューレを作るつもりだ。
有機栽培トマトのそれが1瓶500円だとしても、50瓶で25,000円。
4月にサンルームで種蒔。
ポットに移植して5月中サンルームで育苗。
6月になってカッコウが3回啼いたら、
菜園の圃場に定植。支柱立て。
花穂に実が付きはじめたら、毎朝脇芽摘み。
除草を繰り返して、追肥して、下葉を剪定して……。
トマトの栽培は手間を要する。
もしも、もしも、自分が作るトマトピューレと同品質のそれが、
1瓶500円で手にはいるなら、
わたしは加工用のトマトは栽培しないかも知れない。

しかしそれを為すのは、自分のトマトピューレはこの家のパントリー(食料貯蓄部屋)にしかありえないからだ。
庭で野菜を育てるのは、エコノミー(経済)のためではない。
それはフィジカル(健康)のためである。
と同時に、菜園はメタフィジカル(精神的)なものでもある。
わたしのトマトは、わたしの哲学としてある。

 

 

この春は、庭の椎茸が豊作だった。
二年分の乾燥椎茸を作った。
乾燥椎茸はフリーザーで保存すれば虫が湧かない。
ミズナラの原木栽培乾燥椎茸は、
自分のトマトピューレと同じくらい貴い。
庭の野菜が枯れ果てる冬でも、
トマトピューレと乾燥椎茸があれば安心していられる。
野鼠が秋に冬の塒に運び込んだ食料で春まですごすように、
われわれもそれを食いつないでいけばいい。

 

 

トマトを加工するためにアンコールに火がはいる。
焚き付けが、パッと燃え上がってオレンジ色の炎が立ち上がる。
細い薪を、その上にさしかける。
夕暮れて寂しかった部屋が華やぐ。
嬉しさがこみ上げてくる。
そして、幸せな気持ちになる。
 
人は幸せになったから、嬉しくなるんじゃない。
嬉しいから、幸せになるんだな……。
幸せになろうと思っちゃいけないんだ! 
お金があれば幸せになれるとおもったから、お金を稼いだ。
そして、ハイテクな高級住宅を買った。
オール電化の家だから、なんでもボタン一つで便利に造られている。
でも、そこに幸せはない。
ボタンを押しても、人は嬉しくならない。

 

 

「人は、手を付けずにとっておける物の量に比例して富んでいる」。
Henry D. Thoreau

思うに、先進諸国においてはこれ以上の経済発展は望めない。
われわれはもう充分以上に物を持っている。
“物”とは、「われわれの考え得るすべてのこと」である。
これからは断捨離の時代だ。
わたしの齢になれば、つくづくそうだ。
欲しい物なんか何もない。
物は末代まで充分にある。
世界は、これからは縮小経済の道を模索していく。

アベノミクスは蛸足経済。
蛸が自分の足を食べて飢えを凌ぐことを蛸足という。
でも、蛸は本当に自分の足を食べるだろうか?
きみより少しは多く生きたから言うのだけれど、
我が国にこれ以上の経済成長はない。
無い物を求めるのは愚かだ。
無いなら無いなりのことを考えるべきだ。

経済のグローバル化とは、発展途上国における経済的植民地化のことだ。
しかし、自分たちが為したグローバルなIT化によって、その野望は潰える。
先進国が後進国を搾取して、利益を母国に持ち帰ることはもうない。
良くも悪しくも、あらゆる情報が一瞬のうちに世界中に拡散するからだ。

 

 

“資本主義の終焉”ということが言われるようになった。
終焉とは臨終という意味。
「さもありなん」と思う。
今、大慌てなのは巨大企業だ。
これ以上ハイテクで高性能な自動車が必要ですか。
自動運転のそれでドライブして、人は嬉しいかな。
わたしにしてみれば、45年前にはじめて買った自動車。
紺色の1400c.c.スバル4輪駆動エステートバンが懐かしい。
「あれ以上の自動車なんて、本当は必要なかったんじゃないか?」と思う。

自動車産業はやばいわよ。
T社の社長の愁いに満ちた顔がそう言っている。
自動車は、もうこれ以上造らなくていいんだ。
キューバの自動車事情を鑑みるに、先進諸国にはもう200年分の自動車があるよ。

 

 

ポスト資本主義のビジョンををみんなで考えなければならない時代になった。
わたしのそれは、“退行的進化論”。
きみは、まだエジソン?
まだロックフェラー?
まだフォード?
まだデュポン?

きみはまだダーウィン?
まだ、進化論?
まだ、弱肉強食?
まだ、適者生存?
まだ上昇志向に取り憑かれているんですか?
自然界の普遍的な根本原理は“棲み分け”です。

どうしてわれわれは、進化しつづけなければならないのか?
「それが人間の本能だからだ!」ときみは言う。
よろしい、そうかもしれない。
人間は進化しつづける動物なんだね。
だったら、わたしはきみに問う。
「どうしてきみは、退行的に進化しようとしないのか?」と。

 

 

想像力が全てだ。
退化を、退行的進化と捉える想像力がいま問われている。

時代は、もの凄いスピードでハイテク化しようとしている。
どうして?
御臨終な資本主義が、死に物狂いでそこに延命を賭けているからだ。
世界は、ロボット化されようとしている。
想像力を失った技術者が、高価な玩具を弄んでいるんだ。
人は便利さでは幸せになれない。

21世紀における退行的進化の象徴として、
1984年製のアンコールがこの家にあることを報告したい。
そして、ハイテク時代を幸福に生き抜くテクノロジーはローテクであることを告げたい。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は10月下旬です。

 

 

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