早春の庭の風物詩
冬が終わろうとしている。
呆れるほど食欲旺盛だった猫たちが、さほど食べなくなった。
ミーとサラは、春に備えてダイエットを為しているのだ。
「厳冬期には体内にカパドーシャが蓄積し、春には太陽の光線によってそれが溶解される。この時期には消化の火が妨げられるので、多くの病気が発生する」。
インドの医学書である“アーユルヴェーダ”にそう書いている。
冬から春への季節の変わり目には、重性、冷性に富む飲食物、油性、酸味、甘味性食物は避けるべきだ……と言っている。
猫はアーユルヴェーダの教えを忠実に実践している。
「ニシン漁が始まった。今年は豊漁で、魚体も大振りだ……」。
北海道からのローカルニュースがそう伝えている。
ニシンの漢字は鰊だが、“春告魚”とも書く。
冬がゆこうとしている。
庭の梅が咲くのはまだ二ヶ月先のことだが、それでも春を感じる。
光の春。陽光が眩しい。
ニシンの薫製を作ることにした。
先ずもって、桜材の大きな木皿を作った。
燻煙材を調達するためである。
昨日、佐久平のツルヤに出向いた。
ニシン漁が始まれば、このスーパーには“鮮ニシン”が出回る。
片道50キロ。
タイヤのゴムを磨り減らし、ガソリンを浪費して、それでも食べたいニシンの薫製!
この季節、何を食べても美味しくないんだ。
食べたい物もない。
ニシンの薫製を乗せた野菜サラダを食べよう。
ニシンの薫製とレタスを挟んだサンドイッチが食べたいな。
ニシンは税込みで1匹248円だった。4匹買った。
出刃包丁を研いで、ニシンを二枚に卸した。
2匹の腹からは数の子が出た。
残りの2匹はオスで、白子が出た。
塩を振って、冷蔵庫で一晩寝かせた。
今日は、朝から燻煙に取り掛かった。
アンコールの火床で、炭火を起こした。
ガスレンジのそれで、堅炭の火を起こすのは容易ではない。不思議だ。
スモーカーの火床に楢炭の火種を作った。
そこに、桜のチップを乗せた。
雪田になって雪が消え残る庭に白い煙が棚引いて、いい匂い。
家庭的薫製作りの要点は、スモーカーの温度をコントロールすること。
低温で、じっくり長時間かけてスモーキングすることだ。
思うに、スモーカー内の温度は60℃以下に保つこと。
ニシンのそれで、わたしは8時間位燻煙する。
ということは、薫製作りは冬が旬だということである。
寒山の厳冬期は寒すぎるので、早春にそれを為す。
ニシンの薫製作りは、早春の我が庭の風物詩といえる。
釣りと薫製作りは、時を無駄遣いするための気の利いた娯楽だ。
スモーカーの温度が上がりすぎない事だけのために、
8時間見張っていなければならない。
その間に為すことは、時々スモークチップを火床に乗せ足してやることだけ。
8枚のニシンの薫製と、数の子と白子のそれで、食材の代金は1000円。
手作りも満更でもないな!
にしても、時を無駄遣いするのはどうしてこんなに楽しいんだろうか?
「ところで、北海道産のニシンの薫製はどのくらい美味しいんだ」って?
凄く美味しいよ!
高緯度地方の冷たい冬の海で捕れる光り物だからね。
魚は近海の光り物。
イワシ、アジ、サバ、サンマ、コハダ……。
大衆魚が美味しい。
わたしは、絶滅危惧種は食べない。
何事につけ、手作りはいいな。
手作りとは、自分の頭と手を動かして何かを自給自足することだ。
自給自足は自己満足であり、自己充足ということだ。
桜の木皿を丸ノミで掘って燻煙材を調達して、ニシンの薫製を作って、
それを桜の木皿に乗せて……早春の一日が暮れていく。
それは、いいことでしょう。
手作りで作られた物は、おしなべて貴い。
そこには、高い安いや損得が介在しないからである。
なかんずく、薪エネルギーは貴い。
薪は手作りのエネルギーとしてある。
割られた薪を買うこともできる。
そうであっても、それは地産地消のエネルギーとしてある。
自給自足と手作りと地産地消と……。
薪ストーブが教えてくれたこと。
それは、人生も人の価値観も多種多様であれば、それでいいということだ。
もしかしたら、この三十年間で日本で一番多く薪ストーブを焚いた男かも知れないから言うのだけれど、みなさん、薪エネルギーの偉大さとその底力を信じて下さい。
みなさん、もっと散り散りに暮らしましょう。
日本人の85%は沿岸にへばりついている。
内陸部の多くは林野で、人口密度はスカスカです。
都市に人口が集中しすぎるのはよくない。
都市は、都市の論理で地方を犠牲にしながら自己増殖しつづける。
そしてね、多分きっと。
バビロニアのバビロンが衰退し消滅したように、
いろんな理由で都市は自己崩壊していく。
「山に住む者は、自由人である」
(ヴァージニアの格言)
Photoes by Yoshio Tabuchi
隔月連載。次回の更新は4月下旬です。