田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

寒山の曼陀羅壁画

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
釣り人は、同じ流れを二度釣ることができない。
違う水が絶え間なく流れているからだ。
だが、鱒と岩魚を釣った思い出は鮮明。
永遠は、夏に毛鉤を浮かべた流れに留まっている……。

 

 

フライフィッシングのシーズンはこれっきり。
隣り村の山中にある八千穂レイクでの虹鱒釣りも、すぐに閉幕。
 
 あわれ麗しの日々。過ぎゆきて儚(はかな)し。
 楽しきは楽しめ。
 限りある人の命ぞ。
 
広葉樹の紅葉は、その盛りを過ぎようとしている。
夏に岩魚釣った谷を渡って、落葉松の黄葉が山腹を染めあげていく。

詩人は、秋深い森でもの想いに沈み、落ち葉の吐息に耳傾ける。
釣り人は、釣り損なったでっかい虹鱒の幻にうなされながら、釣り道具を収納する。
そして、薪焚き人は去年の冬に積み込んだ薪山をみつめて、すぐにもやってくるまたの冬を想う。

 

 

野積みの薪を薪小屋に積み足した。
一年近くシーズニングさせた薪で、薪小屋を満たした。
薪小屋の奥には、この冬に余った薪が二山眠っている。
薪小屋で、雨にあてずに二年間乾燥させたミズナラのそれは凄いよ!
炉床にくべればたちまち燃え上がって、ストーブサーモメーターの針がみるみる弧を描いていくんだ。
 
みなさん! 薪小屋をお持ちですか?
まだなら、今すぐにでも薪小屋を建立しましょう。
薪小屋は、どんなガーデン・エクステリアよりも好ましい庭のアクセントでもあります。
イングリッシュ・ガーデンも素敵でしょう。
でも、薪小屋のない庭は、蝶や小鳥がいない庭のように寂しい……。

薪の野積みには限界がある。
トタン板と古タイヤで雨じまいしたにしても、雨に打たれる。
雨に打たれる度に、薪はその質量を損なう。
野積みの薪は汚れる。枯葉が薪山に入り込む。風吹けば埃にまみれる。
汚れた薪は、薪焚き人の衣服と部屋を汚す。

当方の薪小屋は、間口4メートル。
奥行き2メートル。棟高2,5メートル。
小屋の中央に間仕切りがあり、二部屋になっている。
長さ50センチの薪が2メートルの高さで、6山積み込むことができる。
この薪量で、きっかり一冬分。

庭のパーキングロッドの隅には、1年分の薪を野積みしてある。
薪小屋の一部屋が空になったら、野積みの薪でそこを満たす。
野積みの薪は、積み直すことでその汚れを振り落とすことができる。

 

 

秋が深まれば、心はたちまち“薪モード”に。
新しい薪用の丸太が届いた。
3台あるチェンソーは、夏の内に専門店でメンテナンスを済ました。
ソーチェインも新品に替えた。
今年の丸太は少し少なめかな?
その分、その90パーセントがミズナラだ。

家具のための優良なオーク材でもあるミズナラは、AAAの薪になる。
そうなら、“薪はミズナラ”。と言いたいところだが、実はそうとばかりは言えない。
“薪は適材適時”。シングルAの薪も無くてはならない物。
健やかな時候には、シングルAの白樺や落葉松の薪を焚くがよき候。
質量が低いがゆえのシングルA薪は、“その分、すぐに乾燥する”という良さがある。
我が家では、落葉松の薪は庭の木立から自給自足している。

薪焚き人の人生は、薪を作っては燃やし、作っては燃やしの繰り返しとしてある。
時には、実存的不条理を思わないでもない。
でも、しょうがないじゃないか。
四十年以上の連れ添ってきた古女房と、三十年以上一緒に暮らした薪ストーブとは、これからもずっとこの旅路の道連れ。
釣り人百まで釣りを忘れず。
薪焚き人百まで古女房と薪ストーブと一緒。

古代ギリシャの哲学者であるヘラクレイトスは、こう言っている。
「万物は“ある”ものではなく、それは反対物の対立と調和によって不断に“なる”ものである。そして、その根元は“火”である」と。

Everyman looks at his woodpile with a kind of affection.
(誰もが、うっとりした気持ちで自分の薪山をみつめる)。
      Henry David Thoroau

では、人の薪山はどんなだろうか?
新たに購入したニコンのデジカメとズームレンズを携えて、隣人を訪ねた。
寒山的薪山の美しい曼陀羅壁画のスライドショウをお楽しみ下さい。
バックグランド・ミュージックは、William AckermanのPassageがお薦め。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は12月下旬です。

 



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