シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル

八ヶ岳の手づくりログハウスを舞台におくる火にまつわる旅人的カントリーライフ

イオ 〜わが家の竪穴式住居 その2

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妻が竪穴式住居をつくろうと思い立ったきっかけは、尖石遺跡に再現された竪穴式住居に惚れ込んだからだが、実現させる決心がついたのは、本物の茅葺き職人に巡り会えたからである。

シゲさんこと、三澤茂さん。
同じ町内に暮らす御年79歳(出会った当時)の職人だ。
シゲさんいわく「父親に『屋根屋にでもなれ』といわれて中学を卒業してすぐ修業に出された」そうで、60年以上前から茅葺きに関わってきた大ベテランである。

老練の職人は頑固親父のイメージが強いが、小柄なシゲさんは優しい目をしていて人当たりがいい。
多くを語らないが、きっと修業時代は親方から厳しく鍛えられたのだろう。
顔に刻まれたシワに味わいがあって、ベテランの脇役俳優のような渋さがある。

シゲさんを紹介してくれたのは、わがカフェ『チームシェルパ』に出入りする清里在住のHさんだ。
Hさんは清里の別荘地に茅葺きの蔵を持っている。
その蔵の茅葺きを担当した地元の職人がシゲさんで、Hさんはシゲさんの職人技に惚れ惚れしたという。

そんなプロフェッショナルが遊びにすぎないわが家の竪穴式住居に関わってくれるか疑問だったが、妻のお願いに対してシゲさんは優しい顔で「やってやるよ」と即答した。

妻は俄然やる気になった。
建築の知識と多少の経験はあるけれど、茅葺きに関しては未知の世界だし、テキストも専門書もないからどうやるのか見当もつかなかったのだ。

シゲさんが最初に下したミッションは「茅を200束用意すること」である。
ここでいう茅は、ススキを意味している。
ワラやヨシを使う場合もあるが、屋根の素材としてはススキが最適らしい。
八ヶ岳南麓は冷涼な気候のため、細くてまっすぐなススキが多く、それは屋根材として良質なのだという。

しかし、どこに茅があるのだろう?
どうやって手に入れたらいいのだろう?
妻は人づてにあちこち相談した。
すると前述のHさんが茅が生えている場所を発見した。

そこは農協が管理している土地で、農協にかけあったら「好きなだけ刈っていいよ」と快諾してくれた。
火事が起きたりしたら厄介なので、放置しておくよりは刈ってもらったほうが助かる、と好意的だった。

妻は『茅刈り隊』を結成し、軽トラに刈り払い機を積んで現場に出発。
大量の茅をわが家の庭に運び入れてブルーシートをかけて保管した。

シゲさんは「茅を200束用意すること」という指示を出したが、その1束の意味する量が『茅刈り隊』とシゲさんとでは食い違っていたことがわかったのは、茅葺きの作業がはじまってからだ。

シゲさんは「これじゃあ、足りんな。もっと茅を集めて」と、茅葺きの作業がはじまってから毎日のように口にした。
そのたびに妻は近所を走り回って、茅が生えている場所を探し、地主を探して交渉する。

しかし、その地主を探すの大変だった。
なんせ農閑期だから、人は外に出ていない。
地主の方が見つかれば、たいていは「刈っていいよ」と快諾してくれたが、1ヶ所に良質の茅が密集しているケースは少ない。

かつては田舎には茅場と呼ばれる場所がいたる所にあり、屋根材として流通していただろうが、茅葺きの民家がなくなってからは管理された茅場もほとんど消えた。
手に入れるとしたら、自生している茅を探すしかないのだ。

妻はせっせと茅を集めたが、集めても集めても「まだ足りん」の言葉をシゲさんに言われ、最後は泣きそうになっていた。
そもそも生粋の職人であるシゲさんは、僕らと発想が異なる。

妻は、この骨組みをこの量の茅で葺いて仕上げてもらいたい、とシゲさんに注文したのだが、シゲさんは自分が培ってきた厚みで茅を葺いていく。
部材ありきで、その部材でできるものをつくるのではなく、つくるべき作品のイメージがあって、そのためにはこれだけの部材が必要になる、というのが、シゲさんの発想だ。

茅葺きの厚みはかくあるべき、という頭とノウハウがあるから、材の量に合わせて薄くすることはできないのである。
それが生粋の職人たるゆえんだろう。

シゲさんに職人気質を見たのはそれだけではない。
シゲさんは電動工具はもちろん、水平器やコンベなどの計測器を一切使わない。
大工は計測器を使うけど、屋根屋は使わないのだ。
計測はすべて長年の勘を頼りに行なう。

茅をもっと集めろ、の指令には辟易していた妻だが、老練の職人であるシゲさんに尊敬の念を抱いており、茅葺き作業のお茶の時間にシゲさんから話を聞くことを心底楽しんでいた。

話を茅葺き開始以前に戻そう。
骨組みが完成したあとにとりかかった作業は、茅葺きをするための下地づくりである。
檜の柱の間に竹の柱を組んでいくのだが、そこで使う竹はすぐ近所で調達できた。
わが家の隣を流れる甲川沿いに竹やぶがあり、地主にたずねたところ「どんどん伐っていいよ。全部伐ってほしいくらいだ」と大歓迎された。

柱の檜も茅もこの竹も、持ち主から快く分けてもらえたことが気分よかったし、ほとんど近所で調達できたことに大いなる喜びを感じた。
それは僕らが憧れていた建築の原点でもあるからだ。

わがログハウスはアメリカから輸入した部材で建てた。
出来栄えも住み心地も抜群にいいと自負しているが、遠い異国の森で育った樹木をはるばる日本まで運ばせてきたことに(しかも船やトラックなど膨大なエネルギーを消費して)、多少の罪悪感を持っていた。

太古の昔から自分たちが暮らす家は、自分たちで運べる範囲内で手に入る材を使って建てられていたはずだ。
ログハウスではかなわなかったが、竪穴式住居ではそれが実現した。
そこに誇りを感じる。

ちなみに、20年前に家づくりを決心した妻と僕の背中を押した映画に『刑事ジョン・ブック/目撃者』がある。
ハリソン・フォード演じる主人公の刑事がアーミッシュの村に入り込む場面があって、アーミッシュの暮らしの一端が映し出される。

僕らが感銘を受けたのは、住民全員が力を合わせて新婚夫婦のために新居をわずか1日で建築する場面だ。
自分たちが暮らす家を自分たちで材料を調達して、みんなで力を合わせてつくる。
それが家づくりの原点ではないか、と20年前の僕らは思ったのである。

伐り出した竹は縄で縛って柱の間に立てていく。
さらに竹を4分割に割いて、竹の柱に交差させていく。
柱だけだったときは骨組みの美しさがあったが、竹の下地が加わると、竹細工のような美しさになった。

茅を葺かなくても、このままでいいんじゃないの? と、骨組みが完成したときと同じ発言した僕はひんしゅくをかった。
でもそう思えるくらい下地を張った竪穴式住居のイオは美しく思えたのである。

さあ、ここからはシゲさんの出番だ。
もうすぐ80歳になるというのに、シゲさんの身のこなしは軽い。
ヒョイヒョイと骨組みに乗って渡り歩き、作業を進めていく。
ひさびさであろう茅葺きの仕事に、シゲさんも心を弾ませているんじゃないかな、とその生き生きとした表情を見て思った。
つづく

Photo:シェルパ斉藤
Illustration:きつつき華

*隔月連載。次回の更新は3月下旬です。

 

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