イオ 〜わが家の竪穴式住居 その1
わが家の庭には竪穴式住居がある。
縄文時代の人々が暮らしていたであろう、古代の住居を再現した茅葺きの家屋である。初めてわが家に来たゲストは、竪穴式住居を見て目を丸くする。
誰しも笑顔になり、たいていの人がスマホやデジカメで写真を撮る。
撮らずにいられないほど、わが家の竪穴式住居は愛らしくて美しい。
その姿は富士山のような優美さがあり、刈り上げた茅の厚みと曲線に芸術的な造形美を感じる。
竪穴式住居は登呂遺跡や吉野ヶ里遺跡などでも復元されているけれど、それらは模型にすぎない。
なぜならば、そこでは寝泊まりはもちろん、内部で日常的に火を焚けないからだ。
茅葺きの住居は内部で火を炊いてこそ、意味がある。
煙で燻されることで茅は防腐、防虫効果が生まれて、屋根としての機能を最大限発揮する。だから、わが家は竪穴式住居で一年中焚き火をしている。
直火で料理をして食べ、火を囲んで語らって、アンプラグドな夜を過ごす。
縄文時代の人々と同じ体験を楽しんでいるわが家の竪穴式住居こそが、本物だと自負している。
竪穴式住居の名前はイオという。
名づけた妻いわく
「木星を回る衛星がイオなのよ。
イオは地球以外で初めて火山が観測された天体だし、ここは火を扱う庵(いおり)だから、イオがいい。ここにいると壮大な宇宙を感じられるでしょ」とのことである。
イオは完成から2年が経ち、使い勝手が一段と良好になったし、茅の色は落ち着いて風格すら漂いはじめた。
いまや、わが家に欠かせない存在となった竪穴式住居のイオだが、どのようにつくられたか、そのプロセスやエピソードを数回にわたってじっくり紹介したい。
雑誌やテレビの取材を受けるたびに「竪穴式住居は僕の誕生日プレゼントとして、妻がつくってくれたんです」とコメントして、ラブラブな夫婦に思われているが、そうとは言い切れない。
妻からプレゼントされたのは間違いないけれど、妻は単純に竪穴式住居をつくりたかっただけの話である。
これまでの家づくりや、カフェづくりと同じ。
大学で建築を学んだ妻は、何かをつくることに至福の歓びを感じる理系&大工系女子なのである。
建前を「誕生日プレゼントとして僕に贈る」としておけば、プレゼントされる側の僕は口出しも手出しもできない。
好き勝手につくりたいものを自由につくる口実として、夫への誕生日プレゼントに竪穴式住居を贈る、ということになったのである。
そもそものきっかけは、長野県茅野市の尖石遺跡だと妻は言う。
そこに再現された竪穴式住居を見て「単純な構造が美しい」と一目惚れしてしまい、「これならつくれそう」と思い込んだという。
しかも学芸員の方が親切で、図面をコピーしてくれた。
そのコピーを受け取ったとき、妻の決心は固まった。
では、どこにつくろうか?
竪穴式住居は基礎工事が必要ない。
柱を組み合わせて建てるティピーのようなものだから、規制を受けることなく、農地でも建てることができる。
借りている畑の脇につくる案もあったが、そこは家から少し離れてしまう。
せっかくつくるんだから、友人やカフェに来たゲストが気軽に焚き火を囲めるスペースにしたい。
そこで思いついたのが、駐車場にある池を埋め立てて建てる案だ。
わが家の下水処理は合併浄化槽方式だ。
浄化処理された水は地下浸透させるのが一般的だが、うちは池をつくってそこに浄化処理された水を溜めている。
池にヨシやホテイアオイなどを繁殖させて浄化作用を高めようと思ったし、自分たちが出した排水を目にすることでエコ意識を高めるセルフコントロールの狙いもあった。
浄化水を溜めた池は、夏になるとホテイアオイ畑になるくらいにうまく作動していたが、ザリガニを放してからは状況が変わった。
ザリガニが一挙に繁殖して、ホテイアオイが育たなくなった。
ザリガニ釣りを楽しむ子供たちには大ウケだったが、次第にヘドロ状の泥が溜まるようになった。
さらに困ったことにうちに来る犬たちは、レトリーバーやボーダーコリーのように水遊び好きが多いものだから、犬たちは池に入ってドロドロで遊び、飼い主たちを困らせる事態も相次いだ。
抜本的に池を改良しなくてはならないと思っていたから、埋め立てをして竪穴式住居を建てるのもいいかもしれない。
池はカフェのデッキの正面だから立地的にも最高だ。
ログハウスメーカーの知人に埋め立ての相談したところ、アスファルトを剥がしたガラ(破片)を使えばいいとアドバイスされた。
業者にとってアスファルトのガラは産業廃棄物だから運搬以外にお金はかからない。
最後にガラを覆いつくして砂利を盛れば、効率的に池を埋めることができる。
こうして、長年親しんだ池は埋め立てられ、カフェの前は砂利の空き地となった。
竪穴式住居をつくりはじめる前にと、そのスペースをファイヤープレイスにして焚き火をしたら、妙にしっくり来た。
カフェの正面の場所だから、ゲストたちが気軽に焚き火を楽しむことができる。
ザリガニ釣りができなくなった子供たちは不満を漏らしたが、僕らは毎日のように焚き火を楽しんだ。
埋められたザリガニが化けて出るかも、と冗談をいいながら。
埋め立ての次は、骨組となる柱の調達だ。
近所の知人たちに
「間伐してもかまわない林がどこかにないかな」と妻が声をかけたところ、
大工のOさんが「お寺のヒノキ林がある。
枝まできちんと処分するんなら伐ってもいいよ」と、名乗り出てくれた。
妻はホームページに間伐隊募集の告知を出し、集まった7人の隊員とともにヒノキを30本ほど伐採してわが家の庭に運び入れた。
ヒノキはそのまま使うわけにはいかず、皮むきが必要となる。
30本のヒノキを自分だけで行なうのは無理と悟った妻は、
カフェ『チームシェルパ』の常連客やトークショーに来た参加者に
「皮むきしない?」と声をかけ、
むき終えたヒノキの木口に自分のサインができる特典を与えた(ほとんどのヒノキが長過ぎるため、木口のサインは伐られてしまう運命にあったのだが……)。
そして皮を剥いたヒノキを乾燥させた夏の終わり、柱を組み上げる作業が始まった。
その日、僕は朝から取材に出かける予定があった。
おそらく妻たちはこれから数日間、竪穴式住居の建築にかかりつけになるだろう。
そう思って出かけたのだが、夕方取材を終えて家に帰った僕は驚いた。
骨組みが完成していたのだ。
門構えとなる柱は前もって加工するなどの下準備は済ませてあったが、たった1日で組み上がるとは思っていなかった。
でも考えてみたら、重機も大工道具もない縄文人たちが人力でつくっていた住居である。じつはそれほどむずかしい建築ではないんだ、と僕は納得した。
骨組みはとてもかっこよかった。
ふぞろいの柱で組まれたデザインが、周囲の自然とうまく調和している。
一見するとティピーに思えるが、上部がすぼまったティピーと違って、竪穴式住居は上部が広がっている。
少ない柱でより広い空間をつくり出す知恵が縄文人にあったんだと思う。
骨組みの中に入って見上げると広がりを感じる。
青い空が背景にあるものだから、空に向かってメッセージを発信しているような気がする。
さっそく焚き火をしてみた。
美しい……。
夕暮れだったため、焚き火の灯りが骨組みにあたって映える。
その揺らめきのシルエットは神々しさを感じるほどだ。
そして不思議なことに、骨組みだけなのに中と外では明らかに温もりが違う。
骨組みしかないスカスカの状態で空気は抜けていくのに、骨組みの中は何かエネルギーを感じるのだ。
「茅葺きしなくても、このままでいいんじゃない?」
本気で提案した僕を、妻は冷めた目で笑った。
(次回につづく)
Photo:シェルパ斉藤
Illustration:きつつき華
*隔月連載。次回の更新は1月下旬です。