シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル

八ヶ岳の手づくりログハウスを舞台におくる火にまつわる旅人的カントリーライフ

ひとりぼっちの小さな焚き火

みちのく潮風トレイルを歩く旅に出かけた。
みちのく潮風トレイルは、青森県の八戸市から福島県の相馬市まで、東日本大震災の被災地を1本の道でつなぐ全長約1000kmのロングトレイルだ。
僕は整備段階からアドバイザーとして関わっており、細切れで歩くセクションハイクを7年前から続けている。
今回歩くことにしたのは宮城県牡鹿半島沖の網地島のコースで、震災が起きた3月11日に牡鹿半島の民宿に泊まって女将さんから震災当時の話を聞かせてもらい、翌日に牡鹿半島南端の鮎川港から定期船で網地島に渡った。

網地島は周囲約20km、小学校も中学校も廃校となった小さな島だ。
南側の長渡港と北側の網地港をつないで、島を縦断する形で延びているトレイルは一部が土の道になっていて、常緑樹のアオキやタブノキの原生林に覆われている。
東北の島ではあるけれど、南方系の島を歩いている気分に浸れる。
ふと見上げると、覆いかぶさった樹々の葉のシルエットが描き出す形が、人間の姿を連想させた。

網地港近くには海水浴場があり、テントを張るのに適した場所がある。
キャンプ場ではないが、事前に石巻市役所に問い合わせたらこの場所を推薦してくれたし、島民たちもこの時期にテント泊をする僕を温かく迎えてくれたので、海を眺められる平坦な空き地にテントを張った。

浜には小さな焚き火をするのに手頃な流木が打ち寄せていた。
風がなくて火災の心配はないし、浜を汚すこともない。
焚き火の灰は砂に埋めればきれいになくなり、いずれは波で浄化される。
焚き火を咎められる理由はない。
流木を拾い集めてひとりぼっちの小さな焚き火をすることにした。

庭にファイヤープレイスや竪穴式住居があって、日常的に焚き火を楽しんでいる僕だが、旅先でたしなむ焚き火は趣が異なる。
家の焚き火で燃やすのは、僕が割って、棚に並べて乾燥させた薪だ。
いわば育てた薪であり、栽培型、あるいは農耕型の焚き火と僕は名づけている。

一方、現地で薪を拾い集めて燃やす焚き火は狩猟型といえる。
薪の質は前者に軍配が上がるが、娯楽としてのおもしろさは狩猟型の焚き火にかなわない。
浜に打ち寄せた流木は、山と海からの贈り物だ。
表面が滑らかに研磨された自然の芸術品でもある。
適量の細い流木を集めた僕は、日が暮れるのを待って薪に火をつけた。
周囲に灯がなく、物音も風もなく、煌々と燃える熾火だけが闇に揺らめく。
何かを焼いて食べるわけでもなく、ひとり静かに焚き火を見つめた。

穏やかな月夜だった。
こんな夜にひとりで焚き火を見つめていると、センチメンタルな気分に浸って、さまざまな思いが頭をよぎる。

「焚き火は森のテレビジョン」
そう表現したのは田渕義雄さんだ。
テレビではなく、テレビジョンであることに田渕さんのセンスとインテリジェンスを感じる。
静かに炎を眺めて、人を想い、物思いに耽るのも、焚き火の魅力だ。
ほぼフルムーンの月空の下、田渕さんを想ってひとりの焚き火を続けた。

田渕さんと知り合って30年以上が経つ。
田渕さんが創刊からメイン執筆者として寄稿していた雑誌BE-PALの編集部に、20代半ばの僕はフリーのスタッフとして関わるようになり、間接的なつながりが生まれた。
やがて僕はシェルパ斉藤の名でBE-PALに連載を持ち、田渕さんと同じ立場になれたが、田渕さんは雲の上の存在だった。
田渕さんも未熟な若造の僕など眼中になかったように思う。
アウトドアのイベントなどでお会いしても気軽に話ができる関係にはなかった。

その風向きが変わったのは、僕が東京を離れて八ヶ岳山麓に移住したときだ。
田渕さんは僕が家をつくっている現場に顔を出してくれた。
家づくりの予算がギリギリだったにも関わらず、バーモントキャスティングス社の薪ストーブをすでに購入済みで、家づくりと同時に炉台づくりも進行させている僕に田渕さんは好印象を抱いたように思う。
僕は田渕さんの影響を受けてバーモントキャスティングス社の薪ストーブを購入したし、薪ストーブありきの田舎暮らしを歩み出していたのである。

それからしばらくして、田渕さんから連絡が入った。
アウトドア雑誌でバックパッキングの対談をしよう、とのこと。
田渕さんがアドバイザー的な役割をはたしていたOUTDOOR EQUIPMENTという雑誌で、金峰山に登って頂上でバックパッキングについてふたりで語り合おう、と田渕さんは提案した。
「日本のトップふたりが山の頂上で語り合ってこそ、サミットだからさ」と田渕さんは冗談めかして微笑んだ。

金峰山の山頂で、僕らはバックパッキングの持論を語り合った。
共感する部分がおおいにあった。
「バックパックを背負ってトレイルを歩き続けていると、考えがポジティブになるんですよ。すべてを前向きにとらえて、迷いも悩みも解消されるんです」
「いいね、それ」

この対談で、田渕さんは僕を認めてくれたように思う。
その後、田渕さんの著作でバックパッキングに関する記述があり、僕の名を出して上記の意見を紹介してくれた。
その本は僕にとっての勲章になっている。

あの対談から25年が経ったが、いまだに僕はバックパッキングの旅を続けている。
あのとき田渕さんに語った想いはいまも変わっていない。
4月9日にその想いも綴ったバックパッキングの本を小学館から出版するが、その原稿を執筆しているときに田渕さんの訃報を耳にした。
「田渕さん。僕はあのときのままです。あのとき田渕さんが僕に共感してくれたおかげで、ずっと続けてこられました」と田渕さんに直接伝えて、新刊を手渡したかった。

田渕さんは永遠の人だ。
これからも焚き火をするたびに、田渕さんを想うだろう。
それは僕ひとりでない。
田渕さんに鼓舞され、感化されて、心豊かな人生を謳歌しているすべての人々が焚き火をするたびに田渕さんに思いを馳せるはずだ。
田渕さんはみんなの心の中で永遠に生き続ける。

 
Photo:斉藤政喜
Illustration:きつつき華

*隔月連載。次回の更新は2020年5月下旬です。

 



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