シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル

八ヶ岳の手づくりログハウスを舞台におくる火にまつわる旅人的カントリーライフ

エベレスト街道の薪

クリスマスから正月にかけてネパールを旅した。
いつものイラスト入りの『八ヶ岳スタイル』を期待している読者にはもうしわけないけど、今回はその旅の話をしておきたい。

昨年の4月に発生したネパールの大地震は甚大な被害をもたらしたが、すべての地域で壊滅的被害を受けたわけではない。
にもかかわらず、風評被害が起きている。
東日本大震災後の日本と同じだ。

首都カトマンズもトレッカーに人気のエベレスト街道も普通に旅ができるのに、外国人旅行者は激減している。
ネパールは観光で外貨を獲得している小国である。
外国人旅行者がお金を落とさなくなったら、ますます苦しい状況に陥る。
大好きな国、ネパールのために自分も何かしら貢献したい。
そんな思いから人生初めての海外ツアー『シェルパ斉藤と行く、エベレスト展望トレッキングとシェルパの里11日間』を企画して、ツアー参加者とともにネパールへ出かけたのである。
「みんな、ネパールへ行こうよ」というメッセージを込めて。


 
大地震の爪痕は、たしかに残っていた。
首都カトマンズの中心、ダルバール広場の旧王宮の建物はところどころ倒壊しており、立ち入りが制限されている。
でもすべてじゃない。
SAFE ZONEとグリーンの表示板で明記された建物のほうが多いし、何より広場には人々の活気がある。

ダルバール広場から目抜き通りへ入っていくと、その思いはより強くなる。
倒壊した建物が見あたらないし、人々は以前と変わらず元気に生活している。
個人的にお気に入りの場所、金物屋や香辛料など庶民的な店が軒を並べるアサンチョーク周辺は、渋谷のスクランブル交差点に負けないほど、エネルギッシュで人々の熱気が満ちあふれていた。

山間部も同じ状況だ。
道のところどころに大地震が原因と思われる土砂崩れの箇所があったが、修復されて安全に歩くことができる。
道中のロッジも普通に営業していて以前と変わらないのに、予想どおり外国人ハイカーの姿が少ない。
例年なら欧米人の旅行者でにぎわうシェルパ族の里、ナムチェバザールも欧米人の姿が少なくて、ひっそりとしている。
ロッジの多くが開店休業状態なのである。

ところで、僕のペンネーム『シェルパ斉藤』だが、じつはこの地域に関係がある。
もう30年前になる。大学を卒業していきなりフリーランスのライターになった僕は、アウトドア雑誌BE-PALの記事を書く仕事をしながらもお金がある程度貯まったら長期間海外へ旅に出る生活を繰り返していた。

その頃、中国とパキスタンの国境、クンジュラブ峠が外国人にも開放され、僕は自転車で標高4600mに達するクンジュラブ峠まで走り、そのあとパキスタン、インドを走ってネパールに入った。
旅の最後をどこにするか、あれこれ考えて選んだのが世界最高峰の直下、標高5300mのエベレストベースキャンプである。
そこはエベレスト街道の終点であり、世界最高峰をめざして各国の登山隊が集結する。そんな場所まで自転車で走れば壮大な旅を締めくくれると、熱き旅人は考えたのだ。

詳細は省くが、自転車を担いだり、押したり、たまに乗ったりして、どうにかエベレストベースキャンプまで到達。
長い旅を終えて数ヶ月ぶりにBE-PAL編集部に顔を出したら
「いいときに帰ってきた。
創刊100号記念で東京から大阪までの『東海自然歩道』を歩く旅を企画している。
君にぴったりの仕事だ」と編集者に声をかけられた。
金がないけど、時間も体力もある僕は二つ返事で引き受けたが、特徴的なペンネームをつけようと編集者は提案した。
「ネパール帰りだから『シェルパ斉藤』でいいんじゃないか。
顔もシェルパ族と変わらないし」

高所に強くて足腰も強いシェルパはヒマラヤ登山ガイドの代名詞になっているが、そもそもは山岳民族の名称である。
言葉の響きは悪くないが、カタカナと苗字の組み合わせはプロレスラーやお笑い芸人みたいで抵抗をおぼえた。
でも定収入がない若きフリーランスのライターにとって月刊誌の連載はとても魅力的だった。
僕は編集者の意見を受け入れ、シェルパ斉藤としてデビューしたのである。

それから30年近く経つけど、紀行文によって読者を歩く旅にいざなう仕事をしているという意味でも『シェルパ斉藤』は悪くない、といまでは思っている。

今回の旅でも、本物のシェルパ族たちから「シェルパさん、シェルパさん!」と親し気に声をかけられてもらってうれしかったし、5年ぶりに訪れるシェルパ族の中心的集落ナムチェバザールに着いたら、やっぱりすてきな村だ、自分が好きな場所だと素直に感じることができた。
 

 
今回のツアーはナムチェバザールに3日間滞在して周囲を探索するツアーだったが、ナムチェバザールは薪のボーダーラインになっている。
というのも、標高3400mのナムチェバザールあたりが森林限界になっていて、ナムチェバザールより標高の高い地域の集落は薪の入手が困難になる。
上部のロッジはナムチェバザールから下の森林から伐採した薪を運んで使うか、あるいは高地牛のヤクの糞を乾燥させたものを燃料として使っている。

ただしナムチェバザールでも木の伐採は制限されている。
事前に申請して許可を受けた者だけが1年に2ヶ月の期間に限って一定量を伐採できる。
日本の山岳地帯ほど厳しくはないが、森林を保護するための政策が施されているのだ。

そんな貴重な薪だから、ロッジで燃やされる薪ストーブの温かさに慈しみを感じた。
どの薪ストーブもシンプルなつくりだが、薪ストーブならではのほんわかとした温かさに癒された。
それにどの薪ストーブもヘリコプターではなく、人力でこの地まで担ぎ上げたものだ(優秀なポーターは100kg以上の荷物を担いで歩いている)。
その労苦を想うと、薪ストーブのありがたみがさらに深まる。

ツアー参加者は山好きだから、ヒマラヤの峰々が見えるたびに立ち止まってカメラを構えていたが、薪ストーブ愛好家でもある僕は、道中に積まれた薪にも目がいってしまう。

住民たちはチェーンソーを使ったりはしない。
手ノコや斧、ククリと呼ばれる山刀を使って木を伐採してカットする。
人力のみでつくられた薪が積まれている光景が、僕には美しく感じられて写真を撮りまくった。

一挙に掲載するのでご覧あれ。
この光景が美しいと感じるのは、けっして僕だけではないだろう。
美しいと感じたら、ぜひネパールへ出かけてもらいたい。
雄大なヒマラヤと優しい微笑みがあなたを待っているはず。

Photo:シェルパ斉藤

*隔月連載。次回の更新は3月下旬です。

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