田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

それぞれの人生と薪ストーブ

4月は、千葉へ出稼ぎに行った。
佐倉市の印旛沼の側に、兄が住んでいる。
8坪の部屋を改築しようとしていた。
「大手ハウスメーカーに依頼して見積を取ったのだが、
どんなものか見てもらいたい……」という依頼があった。
村で工務店を営むM兄に見てもらった。
「これ見積になってないすよ。
どんな資材を使って、どう施工するのかが書いてないもん。
それに、どう見積もっても100万円位高いすね」ということになった。

設計と資材を提供して地元の大工さんに施工してもらうつもりだった。
だが結局、自分たちで全てを為すことになってしまった。

現地に赴いたときには桜が満開だった。
葉桜の季節になって村に帰ってきた。
男三人のアパート暮らしだった。
朝は6時前に起きて、現場に通った。
夜は外食外飲して、人足代の半分位を浪費してしまった。

村の若き我が盟友であるM兄の賞賛すべき頑張りがあって、
兄の家のリノベーションは大成功裏のうちにその幕を閉じた。

そこは、新興郊外都市の閑静な住宅街。
戦後日本の経済を支えてきた善良な市民たちの終いの住処だ。
ハウスメーカーが建てた家々が立ち並んでいた。
薪ストーブの煙道を持つ家は見なかった。
同時代を生きた同世代の人生の後先がそこにあった。
「やっぱり俺は変わり者だったんだな……」と、あらためて思い知った。

 

 

春がすぐそこまで来ている。
春が色とりどりの旗を打ち振って、行進してくる。
鳥たちの歌声を引き連れて、その先遣隊が我が庭に到着した。
アカハラが帰ってきた。
シジュウカラとコガラが愛の歌を歌っている。

クロッカスが咲いた。
ヒマラヤプリムローズと桜草の花穂が土をわって出た。
軒先の日溜まりでムスカリと水仙が満開になろうとしている。

 

 

春が来たんだね。
サンルームのリーフレタスが食べ頃になった。
チャイブとエシャロットの浅葱色が食卓を飾っている。
フキノトウが薹立ちしようとしている。
それを天ぷらにして蕎麦を食べている。

村のグロッサリーで筍を買ってきて、アンコールのストーブトップで茹でている。
薪ストーブのない家では、筍をどうして茹でるのかが心配になる。
筍は、弱火で半日も茹でていなければならないからだ。

 

 

筍と山椒の若葉は切っても切れない仲だ。
しかし、庭の山椒はまだ芽吹かない。
でも、大丈夫。その若木を鉢植えにしてサンルームに置いている。
サンルームの季節は一ヶ月以上、庭のそれよりも早い。

2月にホットベットを敷いて播種箱に播いたトマトの苗を、ポットに移植した。
今年は、5品種のトマトを育てている。生食用と料理用と加工用と。
トマト、とまと、TOMATO,  蕃茄。
タブチ君はトマトを育てるのが好きだ。

我が庭のトマトは美味しい。
ハウス育ちのトマトにはトマトの香りがない。甘すぎるよ。
わたしは酸味の強いトマトが好き。
今年も50瓶のトマトソースとピューレを作るぞ。

 

 

いつになく長くて厳しい冬がつづいた。
薪小屋にぎっしり積み込んだミズナラの薪をほとんど焚いてしまった。
庭に野積した薪を早晩取り崩すことになる。

老後の資金に手をつける気がして悲しいが、
国の年金資金の枯渇振りを思えばまだしもというべきかな。
薪はまた作ればいいのだから。

 

 

春が半月以上遅刻している。
梅の蕾でさえまだ堅いままだ。
オオヤマザクラが咲くのは五月の中旬になるだろう。
家の目の前に聳える朝日岳の雪形がまだまだ消えそうにない。
それは、白い子ヤギがジャンプしている雪形だ。
この雪が消えて、郭公が鳴いてからでなければトマトの定植はできない。

コールドマウンテンの遅い春……。
だが、高冷地の春は遅い方が良い。
その分、遅霜の危険が軽減する。
春の歓びを誰よりも遅くまで満喫することができる。

 

 

時代の変遷と、その文明の有為転変。
同時代人のそれぞれの人生。
そして、タブチ君と彼の薪ストーブ。

わたしは今後、同窓会に出席しないことにしました。
なぜなら、薪ストーブを焚いている同窓生は一人もいないからです。
タブチ君にしてみれば、薪コミュニケーションのないコミニュケーションはつまんない。
アグレッシブ(反抗的)なカウンターカルチャー(対抗文化)がそこにはない。
ペーソスとくすくす笑いがない。
みんな自分が歩んできた苦労話と自慢ばかりしたがる。

「何を今更、脱原発だ。びびってるんじゃねーよ。
俺は30年以上も原発は駄目だと言いつづけてきたんだ。
きみたちは、原発の安全性が担保されれば再稼働を容認するつもりなんでしょ。
だが、原発には安全も安心もないんだ。
この世に25万トンもある使用済み核廃棄物をどうするつもりなんだ。
その最終処理なんて本当は誰も考えていないんだ。
そう言いつづけてきたタブチを、みんなは笑い飛ばした。

ふざけんじゃねーよ、今更。なにをびびってるんだ。
電力会社は帝国主義者の帝国だって言ってきたでしょ。
われわれは、その臣民なんだって。
それが気にくわなくて、俺は薪ストーブを30年間焚きつづけてきたんだ」

「古より今に至るまで、この国に哲学なし」
そう言ったのは誰だったか。
原発を再稼働するかしないかは、哲学としてあります。

薪ストーブを熱心に焚いているみなさん、私たちは“薪ストーブ共和国”の住人です。
薪ストーブ共和国の憲法はたったの一行。
それはこうです。
「自然は敬うべし。人生は楽しむべし」

みなさん、春です。
薪コミュニケーションに興じながら人生を楽しみましょう。
薪ストーブ愛好家のみなさん、高踏的な皮肉と笑いを楽しみましょう。
 

Photoes by Yoshio Tabuchi
 

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