田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Memories of Summer 夏の形見 

木々の葉が重たく繁茂している。
オオルリが綺麗な声でピールリ、ポールリと歌っている。
ルドベキアが花壇を黄色く染めあげ、夏がこのままずっとつづくように思える。
でも、黄色く色づいた山胡桃と白樺の葉が芝生の緑に落ちている。

トマトがいつになく豊作だ。
大きな実が真っ赤に熟れて、その重みで支柱が撓んでいる。
この庭でトマトを作るのは容易ではなかった。夏の気温が足りないのだ。
茄子も南瓜も豊作。
びっくりするほどグラマラスで艶やかな茄子と南瓜が成ってる。

今日、一番大きなトマトを秤に乗せてみた。360g あった。
暑い真夏日が数日つづいた。
最高最低気温計をチェックしてみれば、32,5℃を指している。
我が寒山で30℃を超える夏日は希だ。
去年の夏も暑かったように記憶している。それでも30℃を超える夏日はなかった。

にしても、トマトのできが立派だ。
この夏、成り物はおしなべて豊作。集落の人たちもそう口を揃える。
「セシウムの御陰様かも」。
ヨシオ君はそう軽口を言ってみたが、村民は黙っていた。

“セシウム”って何なんだろうか?
小学館の大字泉を繙いてみればこう書いている。
「セシウム  [cesium]  アルカリ金属元素の一つ。
単体は銀白色の柔らかい金属で、空気中ではただちに酸化され、水と激しく反応して水素を発生する。
炎色反応青紫色。電気の良導体で、光電管に使用。
核分裂によって生じる人工放射性同位体のセシウム137は半減期30年で、
バリウム137となってγ(ガンマ)線を出し、人体に有害。
元素記号Cs  原子番号55 原子量132・9」

セシウムはミネラル(鉱物)だ。
茸も植物も動物もミネラルが好きだ。
細胞レベルでいえば植物のそれも動物のそれも同じだからね。
で、「アッ、美味しそうなミネラルが来た」。そう考えて、このミネラルを積極的に摂取するんだ。
胎児や成長期の子供がより多くのセシウムを体内に取り込んでしまうのは、そういうことだろう。
アトム君とウランちゃんとセシウムさんの御陰で、この秋は豊作なんじゃないのか!
広島形原爆200個分のセシウムが撒き散らかされたからね。
そして、セシウムは今でも撒き散らかされている。

セシウムというミネラルは動植物を歓ばせるんじゃないだろうか?
で、みんなはそれをパクパクと体内に取り込もうとする。
問題なのは、それが核分裂による人工放射性同位体のセシウムだということだ。
放射性セシウムは、食物連鎖によって濃縮されて人体に留まり、血液として体内を巡る。
そして、人のDNAを傷つけていく。

ウクライナのチェルノブイリの立ち入り禁止区域の緑麗しい映像を、テレビのドキュメンタリー番組で見た。
鹿が飛び跳ねている。猪が土をほじくり、狼も彷徨いている。
サッカー場のグランドは、25年間で美しい雑木林になった。
近郊の森では美味しそうな茸がにょきにょき……。
世界中のエコロジスト(生態学者)が、チェルノブイリの立ち入り禁止区域とフクシマを見つめている。
手つかずになった土地の、自然の再生力の力強さと放射性セシウムの生態学的推移を。

フクシマの原発事故は、我々に哲学的な思考の必要性を強いている。
また、宗教的とも思える深い悲しみと文明のカルマ(業)を、我々に突きつけている。
それを、そう考えどう克服していくかは、人それぞれの個性とこれからの文化文明の有り様による。

年老いたせいもあるだろう。
また、汚染された稲藁を食べた牛の顔の、悲しげな映像を見せられたせいもある。
以来、肉をほとんど口にしなくなった。その分、菜園の野菜を食べている。
そして、気付いた。
「物品も衣服もそうだが、食物は少し足りない位の方が、人はより快適に暮らすことができる」と。

電力だって、そうなんじゃないのか?
例えば、テレビジョンという家電。家庭では冷蔵庫の次に電力を消費している。
なのに、映像を消して音声だけを聞けるボタンが、リモコンには付いていない。
テレビ番組には、画像が要らない物が多くある。
テレビジョンにどうしてラジオが内蔵されていないのだろうか。 

ラジオが好きだ。
すぐにも行ってしまう夏。夕立があって肌寒くなった夕暮れ。
どこか遠くから聞こえてくるような……AMラジオからの音声に耳傾けながら、
アンコールに火を起こすのが好きだ。

しかし、山深く住み侍りければラジオの電波はここには届きにくい。
テレビは村営の有線アンテナでよく映っている。
そうであるなら、そこにラジオの電波を乗せて欲しい。
テレビ番組をラジオとして聞ける映像消去ボタンが欲しい。簡単なことでしょ。
そうすることで、どのくらいの電力が節電できるのかを、誰か計算してくれ。

ボランタリー・シンプリシティー(Voluntary Simplicity)。主体的簡素。
No more more. モアーは時代遅れだ。
強欲の果てにあるのは、倦怠と荒廃。
「それよりは、より少なく稼いでより少ない消費。1万円多く稼ぐよりは、1万円少なく消費するほうが容易だ」。
母なる大地と海がそう言ってる。
政治が何かをしてくれると思うな。政治に何をさせるかを考えよう。

夏野行く牡鹿の角の束の間の夢のように夏が逝こうとしている。
きみを忘れて暮らした7月と8月。
「恋人と離れて暮らす解放感ほど清々することはない…」。
そう書いた哲学者は誰だったっけ。

Welcome to back home,my sweet Encore.

お帰り。久し振りだね。今日からはまた一緒に暮らすんだね。
きみは素敵だ。きみの素朴さには、何物にも代え難い快適さがある。
今日はトマトを煮込んで、トマトソースを沢山作ろう。
トマトソースの瓶詰めは、来るべき冬のための綺麗な色の夏の形見だ。

Photoes by Yoshio Tabuchi

 

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