田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Spring of cold mountain 寒山の春

高冷地に住む佳さの一つは、春がどのようにしてやって来るのかを、じっくりと見守れることだ。
人は季節を四分割して、春夏秋冬と名付ける。
人は、何かにつけてケジメを付けたいのだ。
なぜかと言えば、区切りをつけることで、人は前へ先へと進むことができると思うからだ。
物流による物流のための物流的消費構造がそのことに拍車を掛ける。
で、急ぐ理由は何もないのに、人は忙がしい。
わたしの後ろに後続車などまったくないのに、わたしの車の前に飛び出してくる村娘の自動車みたいに…。

 

 

“高冷地の春は束の間”。長い間、そう思っていた。
五月になって、庭のオオヤマザクラが咲いて、リンゴの花がほころぶ。
とうとうこの山里にも遅い春がやってきたのだ! 
そう思う間もなく、春はたちまち夏に追われて高山に逃げ込んでいってしまう。
しかし、そうではないのだ。
桜の開花期がどこよりも遅いということは、そのぶん春が長期に及ぶということだ。

 

 

二月の或る暖かい日に、コガラが舌足らずな声で囀る。
翌日からはまた厳しい寒さがつづいて、アンコールが夜通し燃えつづける。
コガラは、それっきり歌わない。
しかし、あの日から春はこの庭にあって、雪のマントの下で目覚めていたのだ。

そして、三月。
枯葉に埋まった庭の日溜まりに、
おずおずとその頭をもちあげているフキノトウを発見する。
山を下りていたツグミが帰ってきて、
枯葉を嘴で跳ね上げて食べ物を探している。

そして…四月になったある朝、
バスルームの洗面台で顔を洗っているとき、
ガラス窓の気配がいつもとは違っていることに気づく。
「なんだろうか?」と思って、窓の向こうを見つめる。
すると、木立の下生えの灌木にかすかな“緑”を発見する。
それは、今年最初に見る新緑だ!
まだ半分眠っていた眼がぱちくりしてその緑を見つめる。

その瞬間の驚きと歓びをどう表現したらいいのだろうか? 
その日、まだ冬姿のままの庭の芝生を歩いている鳥を見る。
アカハラが長い冬の休暇から帰ってきたのだ!

 

 

その日から、寒山の春は日めくりのカレンダーになる。
ヒマラヤン・プリムローズがピンクのぼんぼりを灯して、
冬眠から目覚めたスジボソヤマキチョウを誘う。
水仙が咲く。ムスカリが花壇を紫に染める。梅が咲く。
白いスモモの花が甘い香りを春風に乗せる。

スモモの花の甘い香りは、女の化粧のそれだ。
つまりは、女の化粧の匂いはスモモのそれを真似たのだ。
「スモモの花が咲くときには、男衆に気を付けるように」というインストラクションがこの山里にはある。
それから、梅が満開になる。山桜が咲く。リンゴの花が頬をピンクに染める。
木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)が「タブチ君、春爛漫よ」と微笑む。

 

 

薪ストーブが焚きたくて、この寒い山に来た。
きみに出逢えて本当によかった。
思っていた以上にずっときみといられる土地に来てよかった。
木花咲耶姫とこの土地を終の棲家とすることができて、わたしはラッキーだった。
薪ストーブ焚きながら、
遅い春の到来をじっくり見守る閑暇を得ることができてよかった。

Things are the same.But everything is changing.
諸行無常。
いつの世も、時代はめまぐるし変化する。諸行無常は、寂しい言葉じゃない。
それは、「今を、それぞれに自分らしく生きなさい」というエールだ。
春再び。この春もすぐに逝く。楽しきは楽しめ。限りある人の命ぞ。

 

 

薪切って、薪割って、薪乾かして、薪焚いて…
また、薪切って、薪割って、それが幸せと気づかせてくれた薪ストーブに感謝! 
たがだか死んでいくまでの今日一日を、
今日も薪ストーブと戯れることができてよかった。
きみと一緒なら、孤立無援であることを恐れない。

人は今、人間とばかり人生を分かち合いたがっている。
漢字の人間は”じんかん”ということであり、それは世間とか娑婆という意味だ。
確かに人は“類的な存在”である。
でも今は人は、人間(じんかん)に流され、人間に惑わされて、他人の視線が自分の価値だと勘違いしている時代なのではなかろうか?

孤独に気づかない孤独な大衆。
高度に社会化されたマネー資本主義の僕。
我も群れたし、熱くなるほどに…。
だが、それはできない。
春なのに、「来るべき冬のために、さっさと薪を作れ!」という託宣がが聞こえくるからである。
How to live sanitaly and simply in a troubled world. 
「正気を保ちながら、この厄介な世界をどう簡素に生きるか」を考えなさい。
この家のアンコールとイントレピットがそう言っている。

Photoes by Yoshio Tabuchi

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