田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

リアル・ツールス

雨が山を洗い、森を洗い、庭を洗い、我が屋の赤いトタン屋根を洗った。
台風21号は、我がエリアでは雨台風となって到来した。
台風は、渦を巻きながら全てを洗い流す巨大な洗濯機だ。
綺麗な水のシャワーを、惜しげなく降らせながら移動していく日本列島の風物詩、
それが台風だ。
台風は時に甚大な被害を我々にもたらすが、その責任は台風にはない。
翻って考えてみれば、我々は台風から大いなる恩恵を授かっていると言うべきだ。
もしも日本に台風がやってこなかったら、
この列島は深刻な水不足に陥り砂漠化するだろう。

 

 

今から33年前、信濃台風が山と森をピカピカに洗い流した秋に、
我々はこの雑木林の片隅に引っ越してきた。
電気も電話も水道もガスシステムも間に合わなかった。
それを承知でここに来た。
真新しい板張りの家が眩しかった。
赤いトタン屋根にミズナラの青いドングリが降って、
コロコロ音立てて転がっていった。

我々は、スバル・レオーネの4輪駆動車にキャンプ道具だけを積み込んでここに来た。
渋谷の東急ハンズで買った台湾製の薪ストーブだけが、この家には設備されていた。
それで、充分だった。
裏庭の谷を刻んでいる涸れ沢に綺麗な水が沸いていた。
紅葉した落ち葉を除けて、その水を汲んで暮らした。
夜はコールマンのガソリンランタンを灯した。
台湾製のフランクリン・ストーブに火を起こして、鉄釜で御飯を炊いた。

この山住を始めるまでの10年間、わたしはキャンプ生活に明け暮れていた。
この引っ越しは、夏から秋へアメリカのノースウェストを3ヶ月間キャンプ旅行した直後のことだった。
だから、電気も水道もない生活なんてごく当たり前のことだった。

今にして思えば、電気と水道と電話が来るまでのこの数週間は、
超ロマンチックだった。

 

 

薪ストーブが大活躍した。
薪ストーブが燃える山暮らしを夢見た夢野夢男のヴィジョンは、
本人が思った以上に先見性に富んだものだった。
台湾製の薪ストーブは素朴なものだった。
それは、箱形の薪ストーブだ。
どちらかと言えば、クックストーブとしての機能に長けた物だった。
ストーブトップに大きな二つのクッキングホールがデザインされていた。
その蓋を外して鉄釜の丸いお尻を差し込んで、釜炊き御飯を焚いた。
このストーブで焚いた松茸御飯の美味しさは、今でも忘れられない。
その秋わたしは奥山に分け入って、大きな松茸を10本以上穫ってきた。

広葉樹の紅葉がクライマックスを迎えた。
数万、数十万、数百万、数千万、
そして数億万枚の木の葉の化学プラントがシーズンの役割を終えようとしている。
そして土に還り、またの季節の化学プラントの栄養になろうとしている。
落葉松の黄葉が山腹を染めあげようとしている。
氷河期にシベリアからやって来たこの落葉針葉樹は、
我が山村のシンボルツリーである。
日本中の落葉松林の苗木は、この村から供給された。

 

 

朝から、アンコールに火が絶えない季節になった。
夏の終わりと初秋は、なんだか少し寂しい。
夢のいた日々に未練が残るんだろうか?
しかしこの未練は、ガールフレンドとの別れの間際にすぎない。
夏が終わって木々が紅葉すれば、Kiss me as you go ,good bye。
ひとつの恋の終わりの解放感と、新しい季節への期待に心はシフトしていく。

秋は賢者の季節。仙人は山住。
山住の仙人は薪ストーブ焚いて、仙人生活を自己満足する。
誰にも会いたくない。
紅葉の季節にはとくにそうだ。
わたしは何処へも行かない。
だから、誰もここに来るな。

自分探しなんて言ってる奴を笑え。
自分は自分だ。
きみはそこにいて、いつだってきみだ。
きみは、独りでいるときが一番きみらしくて素敵だ。
 
♪ 壁を築いた
  要塞の奥行きは深く強固だ
  誰も攻略できない
  友情なんかいらない
  それは苦痛をもたらす
  友情を笑え それは茶番だ
  わたしは岩だ
  わたしは島だ

ポール・サイモンの I AM A ROCK  が好きだった。
今もこの歌が好きだ。

 

 

前書きが長くなってしまったが、この項の本題はこういうことです。
Real Tools と呼ぶべき道具がある。
我が菜園の野菜はリアル・オーガニックだが、
この家の薪ストーブはリアル・ツールそのものだ。
薪ストーブはおしなべてリアル・ツールスだが、
なかでもこのアンコールはリアル・ツールスのなかのリアル・ツールだ。

薪ストーブは、鋳物または鋼板で造られた自立型の暖炉として捉えることができる。
それは、1740年にベンジャミン・フランクリンによって発明された。
ベンジャミンは、鋳物の箱に火を閉じ込めることで、暖炉を退行的に進化させることに成功した。

暖炉といえば、リビングルームに築かれた装飾的な暖房器具のように思われがちだ。
暖炉ではなく囲炉裏を愛用してきた我が国では、特にそうだ。
しかし、暖炉は欧米の囲炉裏であり、囲炉裏はニッポンの暖炉だ。
その違いは、煙道(チムニー、煙突)を持つか持たないかだけだ。
茅葺き屋根の家に住んだ日本人の暖炉には煙道が必要なかった。
茅葺き屋根は分厚い天然素材のゴアテックスだ。
煙と湿気は屋外に排出するが、雨水は遮断する。

 

 

昔、暖炉はキッチンにあった。
それは、間口が1メートル以上あったが、奥行きは浅い物だった。
水平方向に移動する鉄製の自在鈎が暖炉の隅にデザインされていた。
この自在鈎に調理器具の蔓を掛けた。
自在鈎は垂直方向にも移動できた。
そのことにより、暖炉内の火力を自在に選択することができた。
加熱調理の必要が無くなった鍋は、暖炉の炉外に水平移動して、そこから皿に盛ればよかった。

リビングルームや寝室にも暖炉はあったが、それはごく小型の物だった。
煙道はキッチンのそれと共用された。
裕福な家でもこのスタイルは同じだった。
金持ちの台所は広く、そこには簡素な食卓があった。
家人は多くの時間を台所で暮らした。
大きな城に住んだヨーロッパの城主もそうだった。
暖炉が燃えて暖かく、食べ物と飲み物が手近にある台所には世間話と笑い声が絶えなかった。
金持ちの家や城には贅沢なダイニングルームと客室があったが、
それは特別なゲストを迎えるためのものだった。
家人も城主も普段は暖炉が燃える台所で暮らして、節約に努めた。

 

 

暖炉や薪ストーブや囲炉裏のことをHearth(ハース)と言うが、
Hearth とHeart (心)同じ言葉だ。
ハースは家の中核であり、家庭の団欒の場だ。
Hearth and Home といえば家庭のことだ。

薪ストーブは暖房器具のことではない。
それは、退行的な進化を遂げたコンテンポラリーな暖炉としてある。
それは、優秀な調理器具でありエコロジカリーな湯沸かしでなければならない。
そしてなにより、薪ストーブは人の心を温め、
生きる元気を授けてくれる物でなければならない。

 
追伸;
出版産業は氷河期がつづいていますが、
この度、久し振りに著書を上梓することができました。
“「森からの伝言」 退行的進化論と森の生活”(ネコパブリッシング刊)は、
A5版、オールカラー、216ページ、¥1500。
アベノミクスに市民的反抗を為して安価。
この書物は、ノーベル文学賞にノミネートされるべき良書であります。
この本の著者と版元はそう言っています。

 
Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は12月下旬です。

 

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