田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Beyond Yonder

忘れな草の季節は過ぎた。
オダマキとキンポウゲと
パルナシアン(うすばしろちょう)の六月が逝こうとしている。
フランスギクとフタマタイチゲの白い花が寒山の初夏を謳っている。

 

 

フタマタイチゲはハクサンイチゲの原種?
ニリンソウに似て、茎の先端が二俣に分かれて花をつける。
で、この名が付けられたんだが、つまらない命名だと思いませんか?
この花は、蝦夷地に自生するキンポウゲ科の美しいワイルドフラワー。
アネモネの仲間だ。

フウロソウが咲きそろってきた。
エゾハルゼミのコーラスが賑やか。
シジュウカラの雛たちが巣立って、巣箱が静まりかえっている。

 

 

わたしは、自分を園芸家だと思ったことはない。
しかし、気が付いてみれば自分は園芸家だ。
園芸家って誰のことなんだろうか?
職業としてのそれを園芸家というのだろうか。
でも、職業園芸家が立派な園芸家だとは限らない。
自分を園芸家だと思っていない立派な園芸家がいる。
自分もそうだが、そういう人たちは
「庭仕事が好きだから、好きなことをやってるだけだ……」と思っている。
人は、それを趣味とか娯楽と呼ぶ。

 

 

では、趣味と娯楽はどう違うんだろうか?
趣味は「事物そのものの持つ面白み」のことであり、
「専門ではなく、楽しみとして愛好する事柄」と、漢和辞典にはある。
娯楽は「楽しみ慰めるもの」とある。
呉は、春秋時代のシナの国名のことだが、「与える、もらう」という意味が。
で、その呉に女偏が付いた娯という漢字には、
風俗産業的な雰囲気が漂うように思える。

娯楽という言葉は、“レジャー”というカタカナとして語られることがある。
しかし、Leisure という英語には娯のニュアンスはない。
レジャーは、仕事からの解放、余暇ということであり、ポジティブな言葉だ。

 

 

ともあれ、我々の趣味や娯楽やレジャーは、
我々の人生のタッチストーン(試金石)であることを報告しておこう。
人の価値観や幸福は色々。
人はつまるところ、自分の夢を生きているにすぎないのではなかろうか。
人は、自分が夢見た人生を生きることしかできない。
金持ちを夢見た者が金持ちをやってる。
自然生活を夢見た者が、庭で花とカボチャと蜜蜂と一緒にまたの夏を歓んでいる。

 

 

我が庭は今、苺の旬。
小粒だが香り芳しい苺を、妻が毎朝2㎏ほど収穫している。
で、毎朝シリアルと苺の朝食。
彼女は食事の支度がラクだと喜んでいる。

この苺は、村の地付き苺。
野生状態になっている昔の苺の末裔だ。
いろんな苺の品種を庭に導入してみた。
大粒の真っ赤なそれを夢見た。
でも、期待はことごとく裏切られた。
苺の栽培は諦めることにした。
彼女のことは忘れることにした。

ちやほや声を掛けても、ずっとつれない素振りの婦人がいる。
その一方で、その存在さえ忘れていたのに、密かにこの庭を好いてくれている苺があった。
ごめん! わたしは勘違いしていた。
きみのその飾り気ない魅力に気づかないでいた。
今だから言う。きみが好きだ。
それだけしか言えない。

 

 

栽培苺はオランダ苺という。
江戸時代にヨーロッパ経由で日本に来たからそう言う。
オランダ苺のラテンネーム(学名)は、Fragaria chiloensis。
南米チリのチロエ島にその原種があるらしい。
行って見て、その苺を味わってみたいな。

fragariaは、オランダ苺属の総称だが、よい香りがするという意味。
英語のfragrantの語源だ。
我が庭のそれは、香り豊か。
野菜もそうだが、香しさこそが果物の美味しさだ。
冬に出回るビニールハウス栽培の巨大苺は、石油の臭いがする。 
苺は、高冷地と高緯度地方の初夏に実るベリー。
北海道では、今時分に小粒だが香り豊かな露地苺が出回る。

 

 

人は今、余計なことばかりしている。
ハウス栽培の野菜や果物は美味しくない。
当然じゃないか!
灯油のバーナーで暖房されて、雨露にも当たらず、昼夜の寒暖にも恵まれないで育ったハウス物が美味しいわけがないんだ。
人は、ハウス栽培の作物は減農薬だと思っている。
でも、そうじゃないんだ!
温室は、病虫害にとっても温室になる。
露地物よりも、ずっと危険な農薬が撒かれていることを報告しなくてはならい。
この発言は、春先に自分の家のサンルームで野菜の苗を育苗していることの経験則による。

 

 

蜜蜂が、ラズベリー畑をブンブン飛び回っている。
苺の季節が過ぎれば、ブルーベリーの旬だ。
それが過ぎれば、いよいよラズベリーの収穫期。
蜜蜂の御陰で、今年も良い作柄になるみたいだ。
「今年も30キロのラズベリーが穫れるわね」。
妻は今から気合いを入れている。

 

 

わたしは花も好きだが、どちらかといえば熱心な菜園家である。
わたしには、花もカボチャも庭の同じ仲間のように思える。
少なくとも、蜜蜂にとってはそうである。
カボチャの花に蜜蜂がもぐり込んでいる。
後ろ脚の花粉籠には、黄色い花粉が溢れんばかりだ。
顕花植物は、受粉してもらうために甘い花蜜で蜜蜂を誘っているんだ。
そして、共存共栄。
今この世は、顕花植物と昆虫のエデンになっている。

 

 

余計なことはしなくていい。
その分レジャーを楽しもう。
果物と野菜の出来は蜜蜂に委ねよう。
化学肥料と農薬に別れを告げよう。

使ったことがないからわからないけど、
化学薬品の取り扱いは簡単なもんじゃないでしょ。
必ず、厄介なリアクションがある。
そんな勉強に時間と知恵をついやするよりも、
秋に森の枯葉を掻き集めて芳しい腐葉土を作ろう。

 

 

余計なことは考えるな。
金のかかる宇宙探査なんかしなくていい。
それより、自分の足元の土の宇宙を探査するべきだ。
スプーン一杯の肥沃な土壌には、バクテリア、菌類、ウイルス、藻類、昆虫やムカデの幼虫等々。数億以上の生命体が宿っている。
地球以外の惑星に知的生命体がありやなしやという議論はナンセンスだ。
そんなことより、戦争に明け暮れている人類が知的生命体なのかどうかを、先ずもって探査するべきだ。

人間は凄い存在だと思っているのは、人間だけだ。
人間と書いて、ジンカンとも読む。
世間とか娑婆という意味。
人間なんてたいしたモンじゃない。
人間で右往左往している大きな哺乳動物だ。
自分の胸が膨らんでいることを殊更に自負している婦人は笑える。
彼女は哺乳動物の雌の典型だ。

 

 

進歩とか進化とかイノベーションとか科学技術とかを疑え。
すべては、金儲けと名声欲とパワートリップのためにある。
我々は、知的な野蛮人をめざそう。
今ある時代の座標軸の真逆。
もっとシンプルに、もっと低収入で。
しかし、もっと豊かに。

Beyond Yonder.
もっと遠くの、そのむこう。
そこには、何があるんだろう。
でもそれは、みんなには黙っていよう。

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

隔月連載。次回の更新は8月下旬です。

 



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