田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

薪ストーブと孤独

A winter’s day
In a deep and dark December :
I am alone
………
I touch no one and no one touches me.
I am A Rock.
I am an island.

And a rock feels no pain :
And an island never cries.

 

 

12月になるとこの歌を思い出す。そして、
A winter’s day
In a deep and dark December
とくちずさんでいる自分がいる。
こんな短い詞句の中で、
Dサウンドの韻を4回も踏んでみせたポール・サイモンは詩人だ。

 
わたしは誰にも近づかない

だから 誰もわたしに近づくな
わたしは岩だ
わたしは島だ

岩は苦痛を感じない
島は叫ばない

 

海洋性の低気圧が雪を降らせた。
中部高地の12月にしては深い雪景色になった。
日中の最高気温が氷点下のままなので、雪が溶けない。
この雪はそのまま根雪になるだろう。

みなさん、“孤独”ということについて考えてみましょう。
雪深い冬は、薪ストーブ焚きつづけて孤独を友とするがいい。
「わたしは、孤独ほど仲のいい友達に出会ったことがない」。
ヘンリー・デビット・ソローがそう書いている。

 

 

世紀末から21世紀にかけて、通信機器の性能が飛躍的に進化した。
自分はセルフォンもスマフォも持たない。
人は、そんな自分を訝る。
でも、自分にはそれを持つ理由がない。だから、持たない。
それでも人は、「どうして携帯を持たないのか?」と問う。
わたしは応えない。心のなかでこう呟く。
「きみたちは、どうしてそんな道具が異常繁殖しているのか考えたことがあるのか?」と。
 
群衆を狩れよ
おもうにあかねさす夏野の
朝の「群れ」に過ぎざれば

嫉視する群衆へ個の没(い)りやすく 
われもしびるるまでに群れたき
           (岡井隆)

 

 

 

本当のことを言えば、人が孤独を恐れているんじゃないんだ。
人が孤独になることを、体制が恐れているんだ。
体制とは、“各部分が統一的に組織されて一つの全体を形づくっている状態”(大字泉)のことだ。
孤独であることを恐れない個人は、自分の力で考えることを学ぶ。
そうでない者は、複雑で深いところにある現実や真実を考えるよりも、
分かりやすい目先の希望に心奪われる。
で、体制は“愛”とか“絆”とかいう曖昧な言葉を乱用する。
そして、とどめは“景気がよくなる”!
日銀は無い金を刷りまくっている。
その金は、国民の借金になる。

 

 

小春日和の週末に薪を作った。
コールドマウンテン・ボーイズの御陰で、それを為すことができた。
今年は、総勢10名の人たちがこの家の薪作りを支援してくれた。
みなさんに最大限の感謝を!
来年も宜しくお願い致します。

“孤立無援”を標榜して憚らない自分だが、
実は多くの同士に支えられてこの山暮らしはある。
わかっています! 人も薪も寄り添うことで、燃えるんです。
人は類的な存在としてある。人は、独りでは生きていけない。
先ずもって、自分の妻に感謝しなければならない。それから、友に。

 

 

類的な存在としての人の社会を、グループ(集団)として捉えることができる。
その最低水準として“家族”があり、最高水準として“国家”がある。
その中間に、地域社会や様々な組織体がある。
どんなに立派な組織体に所属していたにしても、
定年を迎えて退職してみれば、人は誰でも“孤独な個人”に還る。

この世で一番大切な集団は“家族”であり、“夫婦”だ。
婚姻は社会制度としてある。
同性婚もまた、社会制度として容認されなければならない。
薪ストーブ焚きながら、仲良く暮らしている同性婚者の家を訪ねてみたいな。

 

 

いつになく厳しい冬を迎えて、薪山がみるみる低い丘になっていく。
それが、日毎目に見えている。
それが枯渇したからといっても、どこにも電話することができない。
誰も、この家の薪を運んでくれない。
国家予算だって同じことなんです。

ところで、唐突な質問ですが、
あなたは“右翼”ですか? それとも“左翼”ですか?
左翼とは格差社会を容認したがらない人たちのことであり、
右翼はそれを容認する人たちのことです。
右翼と左翼は両翼としてある。
大切なこと。鳥には右翼と左翼があり、
その両翼がバランスよく働くから、空を舞うことができる。

わたしは左翼です。
タブチはスーパー・コンザーベイティブ・レフト(超保守的左翼)だ。
だって、彼は誰よりも熱心な薪ストーブと薪エネルギーの信奉者だからです。

 

 

余分な金は余計なモノしか買うことができない。
格差社会における富裕層は、余計なモノに夢中だ。
余計なモノは、健全な社会的発展を阻害する。

この世で一番淋しい奴は、金融資本主義者だ。
なにも生み出さない。なにも作らない。
人の金を合法的にリップオフ(搾取)することだけを考えている者のことを、
金融資本主義者といい拝金主義者という。
彼ら彼女らの友達は金だ。
寂しい人たちなんです。

薪ストーブの愛好家は、左翼であろうと右翼であろうと、リベラルな者達といえる。
そして、いい意味で保守的な者達です。
薪焚き人同士には不思議な連帯感がある。
それは、“孤独”を厭わない者同士の連帯感としてある。

 

 

みなさん、冬は薪ストーブ焚いて孤独を温めましょう。
人は生まれてきたときも、この世を去っていくときも誰もが孤独だ。
それを、実存的孤独という。
実存のこの孤独を薪ストーブで温めながら、
なにか心あることを考えましょう。

「すべての道は、どこにも通じていない。だから、心ある道を歩むことが大切なのだ」
  カルロス・カスタネーダ 

 

Photoes by Yoshio Tabuchi

 

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隔月連載。次回の更新は2月下旬です。

 

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