シェルパ斉藤の八ヶ岳スタイル

八ヶ岳の手づくりログハウスを舞台におくる火にまつわる旅人的カントリーライフ

薪づくり 2016

山小屋の取材で上高地の嘉門次小屋へ出かけた。
嘉門次小屋は、その名も上條嘉門次(日本アルプスを世界に紹介したウォルター・ウェストン氏の山案内人として知られる)が明神池の畔に建てた山小屋である。
その歴史は130年に及び、当時の面影が残る小屋のたたずまいは時代劇にそのまま使えるくらい美しい。

この小屋の名物はイワナの塩焼きだ。
囲炉裏で1時間近くかけてじっくり焼き上げたイワナは、頭から骨まですべておいしく食べられる。
熟練のワザというべき焼き加減なのだが、薪ストーブ愛好家である僕は火の扱い方に興味を持った。

アユやイワナは炭を使って熾き火で焼くのが一般的だと思う。
しかし嘉門次小屋の場合はほとんど焚き火だ。
大きな囲炉裏で薪を燃やして、炎の熱と熾き火の遠赤外線によって絶妙なテクニックでイワナを焼いている。

使用している薪は40cm程度に切られたコナラだ。
薪としては最上級である。
火入れを行うのは毎朝8時過ぎ。
薪を井桁状に組んで盛大に燃やす。
早めに熾き火をつくらなければ上手にイワナを焼くことができないからだが、室内でこんなに大きな炎が出て大丈夫なのかと思うくらい豪快に燃やす。

火が落ち着いたら竹串に刺したイワナをじっくりと焼いていく。
丸一日その作業が続き、観光客用に何百匹ものイワナを焼き上げる。
そして夜になるとスタッフや宿泊客が囲炉裏の火を囲んで寛ぐ。

薪は業者から仕入れており、多い日は1日10束の薪を使うという。
僕ら薪ストーブ利用者は冬の間に薪を消費するが、ここは僕らにとってのシーズンオフである春から秋にかけて薪を消費する。
その期間しか山小屋を営業しないからだが、シーズン中に消費する薪の量は1400束を数えるという。

わが家にあてはめたら、おそらく4シーズンぶんくらいになるだろう。
ぜいたくな焚き火だなと感心して、みんなで火を囲む優雅な時間を満喫したが、家に帰ったら薪割りをしよう……という思いも強くした。

わが家の今シーズンの薪事情について記そう。
この冬もこれまでと同じくらいの薪を燃やし、燃やしたぶん以上の原木を手に入れることができた。
今年の春も昨年と同様にわが北杜市周辺では伐採木の無料配布が行われている。
釜無川の河川敷に自生したニセアカシアを砂防事務所が毎年伐採しており、希望者は一定の期間中、自由に運び出すことができる。
しかし、今シーズンもその伐採木に頼る必要がなかった。
近所の道路脇で広葉樹の林を伐採している現場に遭遇し、「薪にしたいけど、少し譲ってもらえますか」と頼んだら、現場の人間にあっさり「いいよ」と快諾されたのである。

ただし無料ではない。
これまで僕はお金を払って薪を手に入れたことがなく、それがささやかな自慢でもあったんだけど、このときは有料であることにいささかの抵抗も感じなかった。
むしろお金を払う気になっていた。
放置された樹木ならそんな感情が起きなかったかもしれないが、働いている現場の人間に対して無料で求めることが浅ましく感じた。
そして気づいた。自分は無料で薪を手に入れることにこだわっていたわけではなかったのだ、と。
譲る側と譲られる側、どちらも納得できる気持ちいい取引を望んでいた結果、これまでは不要=無料の図式を生み出していただけなのだ。

「軽トラ2台ぶんくらいお願いできますか」と頼んだら男性は「いくらにすればいいかな」と頭をひねり、「5千円でどうですか」と僕が提案したら「いいよ」と快く応じてくれた。相場を考えたら破格といえる価格だ。

「薪にするんなら、太すぎても困るだろ。薪に良さそうな木を適当にみつくろってやるよ。俺らは4mの長さに切っているけど、それじゃあ軽トラに積めないから半分に切っておく」と彼は言い、僕はその場で5千円札を手渡した。
連絡先の交換も領収書のやりとりもない。
お互いの信用で成り立つ口約束ゆえに、僕は温かい気持ちに包まれて家路についた。

そして後日、わが家から2kmほど離れたその現場に行くと原木が適度に積まれてあった。
適度な太さのナラやクヌギの木が2mの長さに切りそろえてある。
道の脇だから軽トラに積みやすい。
しかも軽トラ2台ぶんどころではなかった。
結果的にわが家と現場を軽トラで4往復するほどの量の樹木を、彼は手配してくれたのである。
たまたま長男が帰省していたので、長男とともに自宅へせっせと運んだ。

軽トラで運んだ樹木は、いつものようにガレージの脇に積んだ。
まずはチェーンソーの玉切りだ。
理想的な長さは40cm。
長さが2mちょうどなら40cmで割り切れるけど、それより長い木もある。
全体の長さを測って、40cmの長さにするか、それとも35cm程度に刻むか判断して、切るべき位置を手ノコでマーキングする。

マーキングがある程度済んだらチェーンソーで玉切る。
そして斧で割って、それをリヤカーで運んで所定の薪置き場に並べて積んでいく。
その作業を何回か繰り返す。
ひとつの作業をずっと続けることはしない。
マーキング、玉切り、薪割り、運搬,積み上げを交互に行う。
そうしないと疲れてしまうし、飽きてしまう。
これは労働ではなく、レジャーなのだ。
そう思って無理しないことが、長く続けるコツかもしれない。

先日わが家を訪れた同い年の友人は「去年あたりから薪割りがしんどくなった。今年はずっと薪割り機を使っている」と語っていたが、僕はまだ斧派だ。
斧の薪割りが楽しいという思いがまだ続いている。
楽しいという言葉は語弊があるかしれないが、薪のピンポイントを狙って斧を振り下ろす瞬間、無心になれる時間が好きなのである。
薪割り機を使った薪割りは作業であり、斧を使った薪割りはスポーツなんだと思う。

それに薪割りは体力頼みではない。
斧の重さを利用して刃がブレることなくピンポイントに当てる技術があれば、力がなくても薪割りはできる。
昨年の春に九州の山村を旅したとき、おばあちゃんが薪割りをしている姿を目の前にしてそう確信した。

おばあちゃんは早くに夫を亡くし、独り身の暮らしが長いという。
暖房も風呂も薪を燃やしており、日常的に薪を割っている。
その動きには無駄がなく、斧を軽く当てているだけなのにパコーンときれいに割れる。
太い樹木は半割りにするのではなく、周辺を割いていくように効率よく刃を当てている。
スギやヒノキなど薪割りしやすい樹木を割っているとはいえ、非力な高齢の女性が長年培った技術で薪割りを繰り返している姿に勇気づけられた。
自分も肩があがる限りは、斧で薪割りを続けていきたい。

時間が空いたときにコツコツと続けた薪割り作業も、梅雨前に終えることができた。
理想をいえば、秋に樹木を手に入れて冬が来る前に薪割り作業を終えるのが望ましい。
薪割りによって身体も温まるし、八ヶ岳山麓の冬場は乾燥しているから効率よく薪を乾かすことができる。

梅雨前に割った薪は梅雨時にカビが生えることも、夏場にカミキリムシが繁殖することもあるから適切ではないんだけど、伐採作業は春先に行われるケースが多いからしかたがない。
生えたカビは燃やすときに落とせばいいし、カミキリムシに食われて薪から粉が落ちても、燃焼には支障ない。
カミキリムシを食わせてやっているんだと思えば、豊かな心にもなれる。
それにこの時期の薪割りは、冬場に燃やして空になったラックを埋める達成感が得られる。

わがガレージのラックは、3年前に割った薪と、今年割って積んだ薪のボーダーラインが木口の色でくっきりと分かれている。
その光景を眺めて、僕は自分を誉めてあげたい満足感に浸るのである。

Photo:シェルパ斉藤
Illustration:きつつき華

*隔月連載。次回の更新は7月下旬です。

       



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