エッセイ集 薪ストーブの里から

田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Dandelion Celebration タンポポのオムレツ

英国の著名な劇作家であるバーナード・ショウはこう言っている。
「神に出逢いたければ庭を探せ」

バーナードは孤独を好んだ作家だった。
彼の電話は呼び出し専用で、外部からかかってくることはなかった。
彼は庭に一坪ほどの小屋を建てて、そこで執筆した。
この小屋は、その窓をいつも日差しに向けていられるように回転式になっていた。





「五月の庭にはミューズが住んでいる」。わたしの場合にはそう感じる。
彼女は左手に綺麗な色の絵の具を、右手には魔法の絵筆を持っている。
彼女は浅葱色(あさぎいろ)の軽やかなワンピースを着ている。
ショートヘアーの髪は水彩絵の具の明るいオーカー(黄土色)。
だったら、ほっそりとしたその目の色はネモフィラの花の透明なスカイブルーといったところかな。

ワンピースの裾を静かに揺すりながら、素足の彼女が庭を歩く…。
ときどき立ち止まって足許をみつめる。絵筆をほんの少し動かす。
するとそこに菫が咲いている。芝草の中にムスカリの紫がある。

彼女は何本もの絵筆を持っている。彼女の絵の具は、そのまま色んな花の色になっている。
彼女は迷わない。絵筆に絵の具をつけて、それを動かす。
すると、そこに金色の水仙が咲いている。ヒアシンスが咲く。ネモフィラが咲く。
スモモが咲く。山桜が咲く。リンゴが咲く。チューリップが咲く。





そのようにして、彼女は庭と呼ばれるキャンバスに綺麗な絵を描いていく。
注意深く、細い絵筆で、ときどき小首を傾げながら…繊細な手つきで…。
でも、ギリシャ神話の昔からミューズは気紛れで、飽きっぽい。

やがて彼女は、太い絵筆に緑色の絵の具をたっぷりとふくませる。
オーケストラの指揮者がそのタクトを思いっきり振り下ろすようにその絵筆を動かす。
すると、芝生がぱっと緑になる。
もう一度、絵筆を振り下ろす。
すると、芝生の緑に黄色いタンポポの絵の具がまき散らかされている。

五月の庭には、音楽のミューズも……。
コガラとシジュウカラがソプラノで囀る。初鶯がまだ舌足らずな声で歌う。
ウソが口笛を吹く。イカルが「日月星」と囀る。
黒ツグミが明け方「杏子、杏子」とリッチな声で歌う。すると、杏の花が咲く。
その歌声は、いつしかコーラスになって美しいハーモニーを奏でる。

「小鳥は、縄張り宣言のために鳴くのだ」と教えられた。そんなの、功利主義者の嘘よね。
鳥たちは、仲良くみんなで歌っている。
「春なんだよ! 春は再生の季節。ロマンチックな春。恋の季節。素敵なきみとデートしたいな」。
小鳥たち、それぞれの言葉でそう歌っているんだ。





やがて、郭公が晴れ晴れとした声で、季節が初夏へと移ろっていったことを告げるだろう。
「郭公鳴かぬ内は結構と言うな」。高冷地にはそういう格言がある。
「郭公が鳴かない内は、まだ遅霜がある。
だから、郭公が鳴くまでは寒さに弱いトマトや茄子の苗は定植するな」という意味。
この格言は、園芸的ミューズからの厳守すべき伝言であることを報告しておこう。


四月がいつになく寒かったので、春野菜のコストが高騰しているらしい。
そこで、グッドニュースを。
「庭のタンポポは滋養に富んだ美味しい春野菜だ」ということを。
タンポポは鉄分とビタミンAとシアミンとリブフラビン(ビタミンB2)に富んだ葉野菜としてある。
なかでも特記すべきは、ビタミンAの豊富さだ。
ほうれん草はビタミンAに富んだ野菜として知られているが、タンポポにはその倍近くの値が。
レタスとの比較なら十倍近くに。
だから、庭の嫌われ者であるタンポポに対する最善の対処法は「食べてしまおう」ということである。





タンポポの若葉はほうれん草のようにして美味しく食べることができる。
欧米では栽培されたタンポポの葉が普通に売られている。
レタスに混ぜてグリーンサラダとして。スープやラーメンの青菜として。
また、炒め物の野菜として。

タンポポの葉は、春が深まって大きくなってしまうと苦さが増して強張る。
花の咲き始めが旬だ。
タンポポの花は、食用菊的に活用することができる。
わたしのお薦めは“タンポポのオムレツ”。





タンポポのオムレツ(2~3人分)

*咲き始め的タンポポの花 1カップ
*卵 4個
*バター 大さじ2盛り
*塩胡椒 適宜

フライパンにバターを溶かしてタンポポの花を軽く炒める。
塩と胡椒で好みの味付けを。これを具にしてオムレツを焼けば出来上がり。
ご存じでしょうが、オムレツを焼くときには強火的中火で素早く。ただし、焼きすぎないように。
タンポポのオムレツには、タンポポの若葉と花も添えて召し上がれ。


Photoes by Yoshio Tabuchi

Spring of cold mountain 寒山の春

高冷地に住む佳さの一つは、春がどのようにしてやって来るのかを、じっくりと見守れることだ。
人は季節を四分割して、春夏秋冬と名付ける。
人は、何かにつけてケジメを付けたいのだ。
なぜかと言えば、区切りをつけることで、人は前へ先へと進むことができると思うからだ。
物流による物流のための物流的消費構造がそのことに拍車を掛ける。
で、急ぐ理由は何もないのに、人は忙がしい。
わたしの後ろに後続車などまったくないのに、わたしの車の前に飛び出してくる村娘の自動車みたいに…。





“高冷地の春は束の間”。長い間、そう思っていた。
五月になって、庭のオオヤマザクラが咲いて、リンゴの花がほころぶ。
とうとうこの山里にも遅い春がやってきたのだ! 
そう思う間もなく、春はたちまち夏に追われて高山に逃げ込んでいってしまう。
しかし、そうではないのだ。
桜の開花期がどこよりも遅いということは、そのぶん春が長期に及ぶということだ。





二月の或る暖かい日に、コガラが舌足らずな声で囀る。
翌日からはまた厳しい寒さがつづいて、アンコールが夜通し燃えつづける。
コガラは、それっきり歌わない。
しかし、あの日から春はこの庭にあって、雪のマントの下で目覚めていたのだ。

そして、三月。
枯葉に埋まった庭の日溜まりに、おずおずとその頭をもちあげているフキノトウを発見する。
山を下りていたツグミが帰ってきて、枯葉を嘴で跳ね上げて食べ物を探している。

そして…四月になったある朝、
バスルームの洗面台で顔を洗っているとき、ガラス窓の気配がいつもとは違っていることに気づく。
「なんだろうか?」と思って、窓の向こうを見つめる。すると、木立の下生えの灌木にかすかな“緑”を発見する。
それは、今年最初に見る新緑だ! まだ半分眠っていた眼がぱちくりしてその緑を見つめる。

その瞬間の驚きと歓びをどう表現したらいいのだろうか? 
その日、まだ冬姿のままの庭の芝生を歩いている鳥を見る。アカハラが長い冬の休暇から帰ってきたのだ!





その日から、寒山の春は日めくりのカレンダーになる。
ヒマラヤン・プリムローズがピンクのぼんぼりを灯して、冬眠から目覚めたスジボソヤマキチョウを誘う。
水仙が咲く。ムスカリが花壇を紫に染める。梅が咲く。白いスモモの花が甘い香りを春風に乗せる。

スモモの花の甘い香りは、女の化粧のそれだ。
つまりは、女の化粧の匂いはスモモのそれを真似たのだ。
「スモモの花が咲くときには、男衆に気を付けるように」というインストラクションがこの山里にはある。
それから、梅が満開になる。山桜が咲く。リンゴの花が頬をピンクに染める。
木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)が「タブチ君、春爛漫よ」と微笑む。





薪ストーブが焚きたくて、この寒い山に来た。
きみに出逢えて本当によかった。思っていた以上にずっときみといられる土地に来てよかった。
木花咲耶姫とこの土地を終の棲家とすることができて、わたしはラッキーだった。
薪ストーブ焚きながら、遅い春の到来をじっくり見守る閑暇を得ることができてよかった。

Things are the same.But everything is changing.
諸行無常。
いつの世も、時代はめまぐるし変化する。諸行無常は、寂しい言葉じゃない。
それは、「今を、それぞれに自分らしく生きなさい」というエールだ。
春再び。この春もすぐに逝く。楽しきは楽しめ。限りある人の命ぞ。





薪切って、薪割って、薪乾かして、薪焚いて…
また、薪切って、薪割って、それが幸せと気づかせてくれた薪ストーブに感謝! 
たがだか死んでいくまでの今日一日を、今日も薪ストーブと戯れることができてよかった。
きみと一緒なら、孤立無援であることを恐れない。

人は今、人間とばかり人生を分かち合いたがっている。
漢字の人間は”じんかん”ということであり、それは世間とか娑婆という意味だ。確かに人は“類的な存在”である。
でも今は人は、人間(じんかん)に流され、人間に惑わされて、他人の視線が自分の価値だと勘違いしている時代なのではなかろうか?

孤独に気づかない孤独な大衆。高度に社会化されたマネー資本主義の僕。我も群れたし、熱くなるほどに…。
だが、それはできない。春なのに、「来るべき冬のために、さっさと薪を作れ!」という託宣がが聞こえくるからである。
How to live sanitaly and simply in a troubled world. 
「正気を保ちながら、この厄介な世界をどう簡素に生きるか」を考えなさい。
この家のアンコールイントレピットがそう言っている。


Photoes by Yoshio Tabuchi

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