エッセイ集 薪ストーブの里から

田渕義雄・薪ストーブエッセイ きみがいなければ生きていけない

信州の山里に暮らす自然派作家がつむぐ薪ストーブをめぐる物語

Arcadia is here 寒山六月的アルカディア

六月の緑は日捲りのカレンダー。山々の緑が日毎に深まっていく。庭の木立が緑に染まっていく。
その林床を桜草がピンクに染めていく。
水仙とチューリップの季節はいった。その花柄を折り取っていく。
小鳥たちのラブソングはもうない。木立の幹に掛けた巣箱に近づけば、コガラの雛たちの声が聞こえる。
菜園が夏草のそれに従って緑に染まっていく。





パルナシウスが庭を舞いはじめた。初夏にだけたおやかに庭や草原を舞うこの蝶が好きだ。
うすばしろ蝶のラテンネーム(学名)であるパルナシウスは“パルナッソス山の住人”という意味。
パルナッソス山はギリシャのシークレット・マウンテン。アポロはミューズたちと共にこの山に住んでいた。
またその山麓には哲学者の大学があった。
フランス菊が咲いて、パルナシウスが夢見るように庭を舞えば、季節は夏なんだ。さあー、夏のページを繙こう。


パルナシウス:うすばしろ蝶


太陽が子午線を登りつめていく六月。6月21日夏至の正午に太陽は子午線を登りつめる。
北緯23度26分に位置する土地(台湾の中部、インド、湾岸エリア、北アフリカ、それからメキシコ)では、
この日の正午に太陽の影は消滅する。
本当の夏は六月なんだ。夏至を過ぎれば、日一日と昼間の時間は短くなっていく。

わたしは夏至の日に生まれた。タブチ君は双子座のB型(道理で!)。
アストロジー(占星術)には少し興味がある。
自分の誕生月と季節の推移がその子供の感受性に運命をもたらすかも知れないと思うからだ。
自分は一年で一番日が長くて明るい日に生まれた。しかし、その日は天文学的には夏が終わる日なんだ。

「ジェミニ(双子座)は話し好き、隠し事をしない。適応性に富み多才。
ジェミニには二面性がある。移り気で神経質。自分勝手。女性好き。
ジェミニの文学上の典型はバイロンのドン・ジュアン(ドンファン)。
6月21日日生まれの著名人は実存主義者のジャン-ポール・サルトル」。
アストロジーの本を繙いてみればそう書いてある。
そうかもね…。Women are beatiful. 話好きなのだが、そのくせ自分には孤独癖があるみたいだ。
“気紛れで自分勝手”といのは言い得て妙。あなたの星座はなんですか?





時鳥きく折りにこそ夏山の
青葉は花におとらざりけり(西行)


自分の生まれた季節が好きだ。で、六月の自分は断然ハッピー。
一年で一番麗しい季節、それは双子座の日々だ。
高緯度地域や高冷地ではとくにそうだ! 「アルカディアはここにある」と感じる。
アルカディアはギリシャの高原にあったという桃源郷のことだが、人はどうして異国の僻地や神話の世界にそれを探そうとするのだろうか?
アルカディアはここにあり、そしてあなたの住むそこにある。
われわれは誰でもアルカディアに住むアルカディアンであるべきだ。

人の幸せはいろいろだが、みんなが自分の郷土をアルカディアだと感じることが大切なのだ。
そうでしょ。だって、みんながその逆を思えば、そこはアルカディアの逆の土地になるだろう。
今からたったの50年前、我が弧状列島はここもそこも類い希に緑麗しいアルカディアだった。
今ではそうとも思えないかも知れないけれど、実は今でも日本列島はアルカディアである。
六月の山々の緑が、そう言っている。





わたしは今日、すぐ側の川で釣ってきた岩魚の塩焼きと、庭のアスパラガスと山ウドとラディッシュのサラダで白米を食べた。
春先に剪定したラズベリーの枯れ茎とリンゴの剪定枝をアンコールで燃やして、その熾き火で岩魚を焼いた。

寒山六月の夕暮れは肌寒い。わたしはそれを“青葉冷え”と名付けた。
薪小屋の薪でストーブを焚くほどではないのだけれど、ちょっと肌寒く感じる夕暮れ。
枯れ枝でストーブに火を起こす。部屋がたちまち暖まってきて、部屋の空気が乾いていい気持ち!

枯れ枝の火が熾き火になったところで、アンコールのドアを全開にする。
炉室に焼き網を差し込んで魚をグリルするんだ。
“枯れ枝の熾き火焼き魚”は美味しい。六月の薪ストーブは、素敵なグリル・ファイアーである。





岩魚が毛鉤に飛びかかってくる六月。その遅い夕暮れをわたしは釣り暮らす。
そして、菜園の野菜を添えて冷たい流れからの贈り物を有り難くいただく。アルカディアはここにある…。

来るべき冬のための薪も作らず、夏を釣り暮らした付けの勘定書は九月に送り届けられるだろう。
さもあればあれ! 秋になったら秋に考えるさ。
「今、ここでそこで、みんなアルカディアンたれ。また、パルナシアンであれ。
何をあくせく明日をのみ思い煩うのか。楽しきは楽しめ、限りある人の命ぞ」。
それが、双子座からの六月の伝言なんだ。


Photoes by Yoshio Tabuchi

Dandelion Celebration タンポポのオムレツ

英国の著名な劇作家であるバーナード・ショウはこう言っている。
「神に出逢いたければ庭を探せ」

バーナードは孤独を好んだ作家だった。彼の電話は呼び出し専用で、外部からかかってくることはなかった。
彼は庭に一坪ほどの小屋を建てて、そこで執筆した。
この小屋は、その窓をいつも日差しに向けていられるように回転式になっていた。





「五月の庭にはミューズが住んでいる」。わたしの場合にはそう感じる。
彼女は左手に綺麗な色の絵の具を、右手には魔法の絵筆を持っている。
彼女は浅葱色(あさぎいろ)の軽やかなワンピースを着ている。
ショートヘアーの髪は水彩絵の具の明るいオーカー(黄土色)。
だったら、ほっそりとしたその目の色はネモフィラの花の透明なスカイブルーといったところかな。

ワンピースの裾を静かに揺すりながら、素足の彼女が庭を歩く…。
ときどき立ち止まって足許をみつめる。絵筆をほんの少し動かす。
するとそこに菫が咲いている。芝草の中にムスカリの紫がある。

彼女は何本もの絵筆を持っている。彼女の絵の具は、そのまま色んな花の色になっている。
彼女は迷わない。絵筆に絵の具をつけて、それを動かす。
すると、そこに金色の水仙が咲いている。ヒアシンスが咲く。ネモフィラが咲く。
スモモが咲く。山桜が咲く。リンゴが咲く。チューリップが咲く。





そのようにして、彼女は庭と呼ばれるキャンバスに綺麗な絵を描いていく。
注意深く、細い絵筆で、ときどき小首を傾げながら…繊細な手つきで…。
でも、ギリシャ神話の昔からミューズは気紛れで、飽きっぽい。

やがて彼女は、太い絵筆に緑色の絵の具をたっぷりとふくませる。
オーケストラの指揮者がそのタクトを思いっきり振り下ろすようにその絵筆を動かす。
すると、芝生がぱっと緑になる。
もう一度、絵筆を振り下ろす。
すると、芝生の緑に黄色いタンポポの絵の具がまき散らかされている。

五月の庭には、音楽のミューズも……。
コガラとシジュウカラがソプラノで囀る。初鶯がまだ舌足らずな声で歌う。
ウソが口笛を吹く。イカルが「日月星」と囀る。黒ツグミが明け方「杏子、杏子」とリッチな声で歌う。
すると、杏の花が咲く。その歌声は、いつしかコーラスになって美しいハーモニーを奏でる。

「小鳥は、縄張り宣言のために鳴くのだ」と教えられた。そんなの、功利主義者の嘘よね。
鳥たちは、仲良くみんなで歌っている。
「春なんだよ! 春は再生の季節。ロマンチックな春。恋の季節。素敵なきみとデートしたいな」。
小鳥たち、それぞれの言葉でそう歌っているんだ。





やがて、郭公が晴れ晴れとした声で、季節が初夏へと移ろっていったことを告げるだろう。
「郭公鳴かぬ内は結構と言うな」。高冷地にはそういう格言がある。
「郭公が鳴かない内は、まだ遅霜がある。だから、郭公が鳴くまでは寒さに弱いトマトや茄子の苗は定植するな」という意味。
この格言は、園芸的ミューズからの厳守すべき伝言であることを報告しておこう。


四月がいつになく寒かったので、春野菜のコストが高騰しているらしい。そこで、グッドニュースを。
「庭のタンポポは滋養に富んだ美味しい春野菜だ」ということを。
タンポポは鉄分とビタミンAとシアミンとリブフラビン(ビタミンB2)に富んだ葉野菜としてある。
なかでも特記すべきは、ビタミンAの豊富さだ。
ほうれん草はビタミンAに富んだ野菜として知られているが、タンポポにはその倍近くの値が。
レタスとの比較なら十倍近くに。
だから、庭の嫌われ者であるタンポポに対する最善の対処法は「食べてしまおう」ということである。





タンポポの若葉はほうれん草のようにして美味しく食べることができる。
欧米では栽培されたタンポポの葉が普通に売られている。
レタスに混ぜてグリーンサラダとして。スープやラーメンの青菜として。また、炒め物の野菜として。
タンポポの葉は、春が深まって大きくなってしまうと苦さが増して強張る。花の咲き始めが旬だ。
タンポポの花は、食用菊的に活用することができる。わたしのお薦めは“タンポポのオムレツ”。





タンポポのオムレツ(2~3人分)

*咲き始め的タンポポの花 1カップ
*卵 4個
*バター 大さじ2盛り
*塩胡椒 適宜

フライパンにバターを溶かしてタンポポの花を軽く炒める。
塩と胡椒で好みの味付けを。これを具にしてオムレツを焼けば出来上がり。
ご存じでしょうが、オムレツを焼くときには強火的中火で素早く。ただし、焼きすぎないように。
タンポポのオムレツには、タンポポの若葉と花も添えて召し上がれ。


Photoes by Yoshio Tabuchi

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