子鹿のバンビ
ある日アトリエで仕事をしていると、知り合いのおじさんが訪ねてきました。
「おーい gakuさん、バンピをいるかい?」
「バンビ?」
「母親にはぐれて弱っていたから、gakuさんに見せようと思って連れてきたよ」
「生きているんかいな?」
「生きているよ、可愛いぜぃ ほら車のなかにいる」
おじさんの車の中をみると、床下に子鹿が座り込んでいました。
白い斑点がきれいでかわいい目をした小さい鹿がじっとこちらを見つめていました。
なんでも南アルプスの山奥に工事で出かけていたところ、母親からはぐれて弱っていたらしく、道ばたに座り込んでいたそうです。
ボクに見せに来てくれたようですが、
「可愛いって言っても、野生のバンビなんて飼うつもりはないよぅ」
とボクは断ってしまいました。
おじさんは「あんまり可愛いので、gakuさんがよろこぶと思って、オラ連れてきただよ・・・」としょんぼりしています。
「おいおい、それは違うよ、野生の動物は自然にまかせておくのがイチバン」
「だって、目の前にうずくまってたから、母親にはぐれてそのまま死んでしまうかと思って・・・」
「いや、これは生まれたばかりのバンビだから、まだ走って逃げることができないので、人の気配を感じた母シカがバンビだけを隠して逃げたのさ。そして、あとでこのバンビを必ず連れにくるんだからさ・・」
「そういうものかい、なぁー」
「バンビにはそのための鹿の子模様があって、敵から見つからないように保護色になっているんだよ」
子鹿の白い斑点は、森のなかでは木漏れ日の陰影に溶け込むので動かなければまず発見されないのです。
おじさんはテンション下がりまくりでしょげています。
「いやぁー 知らなかった、 可哀想なことをしてしまったなぁー」
「いまからでも遅くはないから、現場に返してくるのがイチバンだよ」
ボクに、そう言われたおじさんは、バンビを再び車に乗せて、2時間の道のりをあわてて南アルプスの工事現場へ取って返しました。
シカたちは、耳がよく発達していて、私たち人間には聞こえない超音波などでお互いの意思疎通をはかっています。
なので、このバンビも現場に着けば、母親を探して信号を出すことでしょう。母親も、いなくなったバンビを必死になって探すから、とにかく現場近くに戻しておくことがいちばんなのです。
このようなことは、すべての野生動物にも通じることなので、野鳥のヒナなどを拾ってしまっても、まずは現場に返すことが大事なのです。
こうして、バンビを南アルプスに返したのですが、後日この話を聞いた農家のおばさんがすごい剣幕で怒りはじめました。
「バンビは可愛いかもしれんがねぇ、あれが大きくなったらウチの畑を荒らすようになるからほんとに困る。シカなんて、増えて増えて、農家はみんな困っているんだに」
たしかにおばさんの言い分も当たっています。
今日では、日本中のいろんな場所で、ニホンジカは大変な勢いで増加中です。
そして農作物に甚大な被害を与えています。
特定の野生動物が激減してしまうのも環境破壊ですが、特定の野生動物が急激に増えるのも環境破壊になりますから、そのへんのバランスが大切なことだといえます。
わたしたち現代人は、野生動物を「かわいい」か「かわいくないか」だけで判断してしまうところがありますが、自然界での動物たちの位置づけをもっとシビアに冷徹に見れるようになることが時代的にも必要なのかもしれません。
ボクも、森のなかでシカに出会うとうれしくて心が踊ります。
しかし、自然界のバランスを考えてみると、やっぱりニホンジカは増えすぎたなぁーと感じます。
ここのところの折り合いが大切だと思うのですが、シカたちが現代人に自然界の仕組みを再認識させるためにも私たちに宿題を出してきているように感じてなりません。
(最近のシカは毒草のタケニグサも食べるようになった)
(分布拡大をしているところではこのような角研ぎ痕が頻繁にみられる)
(道路に鹿の飛び出し注意看板。鹿といえどもぶつかれば大事故に・・)
(夜の森でエサを食べる鹿たち)
(新緑の中のニホンジカの親子)

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