宮崎学「森の動物日記」

森と里と野生動物たちから教わった自然のメッセージ 信州・駒ヶ根在住の動物写真家宮崎学のフォトエッセイです

かわらぬ自然の原風景


(Photo:陣馬形山頂から見た、伊那谷の風景。矢印のところが「養命酒」工場。標高820m。)

戦国時代の「武田軍ののろし台」といわれる陣馬形山(1445m)は、長野県の中川村にあります。
この山の頂に立つと、中央アルプスの全容が目の前に迫り伊那谷も見下ろせる一大パノラマ絶景です。
これだけ眺望がよければ、戦国時代にはさすがに「のろし台」の価値もたかかったことでしょう。
そう思いながら、中央アルプスを眺め伊那谷の人々の暮らす町や顔を思い浮かべて地形を見ていると『養命酒』の白い工場が目にとまりました。


(Photo:上から縄文時代、弥生時代、平安時代の復元住宅。
養命酒駒ヶ根工場の復元住居。)

この養命酒工場敷地内には、縄文時代、弥生時代、平安時代の復元住居が展示されていて見学自由です。
縄文時代の遺跡は中期ということですから、いまから4,000年も前のことです。
それぞれの時代が同時に出土したということはとても珍しいことなのでしょうが、現在でもそこに「養命酒」という工場があるのですからそれだけ中央アルプスからすばらしい水が取れるということです。

そう思って縄文時代や弥生時代の人々の生活を想像してみると、現在でも自然の地形は当時とまったく変わっていないのではないか、と考えてしまいます。
この同じ場所で、縄文時代は狩猟採集生活を数千年にわたって続け、弥生時代には農耕生活をしていました。そしてそれが現代のわたしたちの暮らしにつながっています。
こんなすばらしい自然の恵みがあったからこそ、ここに人が住めてきたのだとボクは思うようになりました。


(Photo:若い雄鹿。シカは縄文人にとって貴重な食糧でした。)

八ヶ岳山麓の縄文遺跡からは、いろいろな動物たちの骨が発見されています。
シカ、イノシシ、ノウサギ、キツネ、タヌキ、アナグマ、カワウソ、テン、サル、オオカミ、クマ、ムササビ、イタチ、オコジョ、ヤマネコ、カモシカ…などです。

このなかで、圧倒的に多いのはシカとイノシシであり全体の80%以上に達していたということですから、縄文時代には両者が主食となっていたことはまちがいないようです。


(Photo:イノシシも昔から大変なご馳走でした。)

中央アルプス山麓の遺跡はまだまだ発掘不十分なので野生動物の骨は見つかっていませんが、たぶん八ヶ岳山麓とほぼ同じものを獲物にしていたと思われます。
そう考えてボクは、現在の中央アルプス山麓の野生動物たちの顔ぶれを想像してしまいました。
すると、カワウソやオオカミ、ヤマネコを除けば現在でもすべて生息しているものばかりです。
カモシカだって、高山に生息するイメージの強い動物ですが、現在では標高700mくらいの山麓部にも普通にいます。

また、河川には現在のようにコンクリート堰堤などがなかったから、イワナやヤマメが想像もつかないくらいに魚影が濃く生息していたはずです。
そして、森からの恵みもふんだんにあり、さぞや楽しい生活だったのではないかと夢想してしまいました。
そんな生活を営みながら、縄文時代は争いごともなく1万年もの長き時代がつづいていたというのですから驚きです。


(Photo:我が家の柴犬。縄文柴犬の骨格を守っています)

当時の住居には「縄文犬」といわれる、現在の柴犬のような、小型の日本犬の祖となる「犬」が一緒に暮らしていたことが判明しています。
これらの犬は、とても大切にされていたらしく主人と一緒に葬られているような骨が東北地方の遺跡などから出土しています。
そして、その頭骨はオオカミに酷似しており、あきらかに現在の「柴犬」とは骨格がちがっているのです。


(Photo:①縄文柴犬の頭骨。②現在の柴犬の頭骨。額段のへこみに注目。
資料提供:天然記念物柴犬保存会

それは、額にあたる骨がフラットなのが特徴で、このことは獲物の臭いをストレートにかぎ分けることができ鼻が敏感で五感に優れていたことがうかがえます。
そんな当時の犬の骨格にきわめて近い骨格を持った、日本犬の血を守り続けているのが「縄文柴犬」として存在しています。

太古の昔から犬は自由に放し飼いにされており、主人や家族と一緒に住居のなかで暮らし、オオカミやクマの襲撃から家族や集落を守っていたことが充分にうかがえます。


(Photo:我が家の柴犬。毎日こうして山野を駆け巡っています。)


(Photo:ツキノワグマは、昔人にとっては恐怖の存在にちがいない。)

鉄砲などの武器を持たない縄文人にとって、オオカミやクマは恐怖の野生動物だったにちがいありません。
その証拠に遺跡からは他の動物の骨は多くてもオオカミとクマは1%にも満たないそうです。
だからボクは、縄文人が食料にするためにクマを殺したのではなく、クマの死体を拾って食べるのが精一杯だったのではないかと思いました。
集落にやってくるオオカミやクマに集団で立ち向かい、嫌がらせをして追い返してくれる当時の犬の存在は、縄文人にとってどんなに心強い味方だったことでしょう。

ボクは、「縄文柴犬」を飼っていますが、野生動物に敵対するDNAが強く残っているらしく、山道を放し飼いで散歩する時など、野生動物に出合うと敏感に反応して立ち向かう姿をよく見ます。

そして、野生動物たちの側から犬を見た場合にも、犬に対する警戒反応が異常に大きく、柴犬との敵対関係が大昔から続いていたことを充分に予想させる行動をします。
ということは、四千年以上も前の縄文時代から現代社会まで、野生動物の習性は何ら変わることなく今日まで続いてきているということなのです。


(Photo:渓流も元気に駆ける)

こうしたことから、いま現在の「獣害」に苦しんでいる現代社会をみれば「日本犬」の使い方は充分にあるのではないかとボクは考えています。
ここ50年で日本は、「犬の放し飼い禁止」という法律をつくり、自然に対する人間の意識も大きく変化してきました。
しかし、陣馬形山という山頂から伊那谷の地形をみても、自然環境は縄文時代からまったく変わっていないことに気づきます。
そして、そこに生きる野生動物も数千年以上も前から同じスタイルで生きているということです。

人間の家の造りを見ても、つい50年前の「かやぶき屋根」の家は、縄文時代や平安住居のかやぶき屋根の家と基本的には同じです。
それを思うと、現代人はこの50年間で一気に千年以上ものスピードで生活様式を変化させてしまったようです。
自然あっての人間ということを縄文人の方がずっと大事にしていたようです。


(Photo:八ヶ岳山麓の井戸尻遺跡にある縄文中期の復元住居です。)


(Photo:いまだ現存するかやぶき屋根の家は、縄文から平安時代の流れをくんでいることが伺えます。)


(Photo:こうして眺めてみると日本の自然環境は縄文時代からまったく変わっていないことに気づきます)



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